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第1章 あずみ
action 6 事故
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覗き穴から覗き、何も見えないのを確かめてから、ドアに耳を当ててみた。
うめき声も足音も、衣ずれの音も聞こえない。
「OKだ」
指でサインを出してみせると、あずみが鍵とチェーンロックを外し、そっとドアを押し開けた。
案の定、外の通路には誰も居なかった。
あずみの荷物と僕のぶつけた消火器が、ただ転がっているだけである。
「その釣り竿みたいなのは何なんだ?」
スポーツバッグの隣に、布袋に包まれた長い棒状の物体が落ちている。
「これはスピニングポールっていってね。練習用のポールダンスのポールなの」
あずみが布袋から取り出したのは、1メートルほどの長さの金属製の棒である。
「やってみせようか?」
両端に吸盤みたいな部品を取りつけ、先端を引っ張ると、棒は通路の天井に届くほどにも長くなった。
それをつっかえ棒みたいに、天井と床の間に固定する。
「やっ!」
棒に取りつくなり、あずみが弓なりに身体を反り返らせ、高々と右足を上げた。
そのまま、棒を掴んで、ぐるぐる回り出す。
「って感じ。すごいでしょ」
短い演技を終えると、大きな胸を突き出して、自慢げににっこり微笑んだ。
「あのさ、パンツ、思いっきり見えてるんだけど」
呆れて言うと、
「やだ、ばか、お兄ちゃんのエッチ」
あずみが眼を怒らせて睨んできた。
と思ったら、すぐにニイッと笑って、
「ていうのはうそでーす。見えてるんじゃなくて、見せてるの。あずみ、お兄ちゃんのために、勝負パンツたくさん持ってきたんだよ。今の白いのは、そのうちの一枚。露出高めのビキニタイプなんだけど、ちゃんと見てくれたかな」
僕は唖然とした。
「勝負パンツって…おまえ、誰と勝負すんの?」
「誰とって…」
あずみが頬を膨らませた。
「お兄ちゃんに、決まってるじゃない」
「はあ?」
外で繰り広げられている惨劇に比べ、なんと牧歌的な会話だろう。
僕はきまりが悪くなって、空を仰いだ。
天井と通路の手すりの間から広がる空は、初夏の明るさをいっぱいに放って底抜けに明るい。
なのにあの遠くから断続的に聞こえてくる悲鳴の数々。
僕らはもっと怯え、恐れ、犠牲者の死を悼み、悲しみ、殊勝になるべきだったのかもしれない。
今思うと、その直後に起こった出来事は、それこそそんな能天気な僕らに下った天罰だったのかもしれないと勘繰りたくなるほどだ。
災いへのカウントダウンは、あずみのひと言でスタートした。
「あれ? エレベーターが動いてる」
僕の部屋は、このワンルームマンションの5階の501号室。
エレベーターーホールは、鉤の手に曲がった突き当りにあり、ここからその動きが見えるのだ。
「気をつけろ」
小声で注意した時、エレベーターのドアが開いた。
転がるようにして出てきたのは、腰の曲がった老婆だった。
白髪の頭をお団子にした、着物姿の小柄な老婆である。
老婆は床に横倒しになると、力なく呻いた。
見ると、肩のあたりが赤く血に染まっている。
「大丈夫ですか?」
あずみが僕に荷物を押しつけて、うずくまる老人の元に駆け寄った。
そのとたんだった。
異様に素早い動きで、老婆が顔を上げた。
カサブタだらけの顔。
白目しかない眼。
「あずみ! 離れろ! そいつはゾンビだ!」
叫んだ時には、もう遅かった。
次の瞬間、老婆は深々とあずみの右腕に噛みついていた。
「お兄ちゃん…」
腕を噛まれたまま、あずみが僕を見た。
ひどく哀しそうな表情をしていた。
僕は目の前が真っ暗になるのを感じた。
あずみが。
僕の最愛の妹が…。
ゾンビに噛まれてしまったのだ。
うめき声も足音も、衣ずれの音も聞こえない。
「OKだ」
指でサインを出してみせると、あずみが鍵とチェーンロックを外し、そっとドアを押し開けた。
案の定、外の通路には誰も居なかった。
あずみの荷物と僕のぶつけた消火器が、ただ転がっているだけである。
「その釣り竿みたいなのは何なんだ?」
スポーツバッグの隣に、布袋に包まれた長い棒状の物体が落ちている。
「これはスピニングポールっていってね。練習用のポールダンスのポールなの」
あずみが布袋から取り出したのは、1メートルほどの長さの金属製の棒である。
「やってみせようか?」
両端に吸盤みたいな部品を取りつけ、先端を引っ張ると、棒は通路の天井に届くほどにも長くなった。
それをつっかえ棒みたいに、天井と床の間に固定する。
「やっ!」
棒に取りつくなり、あずみが弓なりに身体を反り返らせ、高々と右足を上げた。
そのまま、棒を掴んで、ぐるぐる回り出す。
「って感じ。すごいでしょ」
短い演技を終えると、大きな胸を突き出して、自慢げににっこり微笑んだ。
「あのさ、パンツ、思いっきり見えてるんだけど」
呆れて言うと、
「やだ、ばか、お兄ちゃんのエッチ」
あずみが眼を怒らせて睨んできた。
と思ったら、すぐにニイッと笑って、
「ていうのはうそでーす。見えてるんじゃなくて、見せてるの。あずみ、お兄ちゃんのために、勝負パンツたくさん持ってきたんだよ。今の白いのは、そのうちの一枚。露出高めのビキニタイプなんだけど、ちゃんと見てくれたかな」
僕は唖然とした。
「勝負パンツって…おまえ、誰と勝負すんの?」
「誰とって…」
あずみが頬を膨らませた。
「お兄ちゃんに、決まってるじゃない」
「はあ?」
外で繰り広げられている惨劇に比べ、なんと牧歌的な会話だろう。
僕はきまりが悪くなって、空を仰いだ。
天井と通路の手すりの間から広がる空は、初夏の明るさをいっぱいに放って底抜けに明るい。
なのにあの遠くから断続的に聞こえてくる悲鳴の数々。
僕らはもっと怯え、恐れ、犠牲者の死を悼み、悲しみ、殊勝になるべきだったのかもしれない。
今思うと、その直後に起こった出来事は、それこそそんな能天気な僕らに下った天罰だったのかもしれないと勘繰りたくなるほどだ。
災いへのカウントダウンは、あずみのひと言でスタートした。
「あれ? エレベーターが動いてる」
僕の部屋は、このワンルームマンションの5階の501号室。
エレベーターーホールは、鉤の手に曲がった突き当りにあり、ここからその動きが見えるのだ。
「気をつけろ」
小声で注意した時、エレベーターのドアが開いた。
転がるようにして出てきたのは、腰の曲がった老婆だった。
白髪の頭をお団子にした、着物姿の小柄な老婆である。
老婆は床に横倒しになると、力なく呻いた。
見ると、肩のあたりが赤く血に染まっている。
「大丈夫ですか?」
あずみが僕に荷物を押しつけて、うずくまる老人の元に駆け寄った。
そのとたんだった。
異様に素早い動きで、老婆が顔を上げた。
カサブタだらけの顔。
白目しかない眼。
「あずみ! 離れろ! そいつはゾンビだ!」
叫んだ時には、もう遅かった。
次の瞬間、老婆は深々とあずみの右腕に噛みついていた。
「お兄ちゃん…」
腕を噛まれたまま、あずみが僕を見た。
ひどく哀しそうな表情をしていた。
僕は目の前が真っ暗になるのを感じた。
あずみが。
僕の最愛の妹が…。
ゾンビに噛まれてしまったのだ。
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