上 下
272 / 288
第8部 妄執のハーデス

#121 逆襲①

しおりを挟む
 どさり。
 青黒く変色した零の左腕が、落ちた。
 腕の抜け落ちた左肩を右手で押さえ、零がゆっくりと顔を上げる。
 押さえた指の間から真紅の血があふれ出し、ぽたぽたと床に血だまりをつくっていく。
「よくも…」
 零の切れ長の眼は、その血だまりを映したかのように、憤怒で真っ赤に染まっている。
 長い髪が風もないのに波打ち始め、白い顔の周りにさあっと広がった。
 黒いレースの下着の上下だけを身に着けた零の全身から、陽炎のように何かが立ち上っていた。
 その何かが、ほとんど物理的な圧力を伴って、杏里の顔に吹きつけてきた。
 身の凍るような恐怖が、腹の底から突き上げてきた。
 毒に冒されるのは免れたとはいえ、片腕を失っては、さすがの零も弱っているはずである。
 そのはずなのだが、何かが違っていた。
 目に見えぬ怒りのオーラを身にまとい、零はひと回り大きくなったかのように見える。
 薄い唇の両端から突き出た八重歯が、今は剣歯虎の牙のように、長く鋭く変貌している。
 いつのまにか、杏里は床に尻もちをついていた。
 零に外された両肩と股関節はほぼ元に戻り、一応動けるところまでは回復してきていた。
 が、恐怖にすくんで、指一本動かせない。
 杏里から数メートル離れたところに、やはり由羅が倒れていた。
 零の猛撃をまともに食らったせいで、再び顔面が血まみれになっている。
 特にひどいのは潰された右目からの出血だ。
 左の目蓋も紫色に膨れ上がっていて、あれでは由羅の目は、もうほとんど見えていないに違いない。
「どうやら、先にバラバラにしなきゃならないのは、杏里じゃなく、おまえのほうみたいだね」
 その由羅を見下ろして、零が言った。
 底冷えのするような、冷たい声だった。
「できるならやってみろ」
 吐き出すように言うと、由羅が跳ね起きた。
 どこにそんな力が残っていたのか。
 身体を弓のようにたわめると、強靭な腰のばねを利かせ、高々と跳躍した。
 零の頭上にまでジャンプして、両足を開き、その首を挟みにかかった。
 が、片腕を失ってすらも、零の動きは由羅のそれを上回っていた。
 残った右手でとっさに由羅の左足のくるぶしあたりを鷲掴みにすると、ハンマーを振り回すかのように、ものすごい力で由羅の身体を壁にぶち当てた。
「くっ」
 全身を壁に叩きつけられ、ぼろ布のように床に崩れ落ちる由羅。
 そこに、悪鬼と化した零が襲いかかった。
 ガードのために上げた由羅の右腕に、肉食獣さながらの口でかみついた。
「うわあああっ!」
 絶叫する由羅。
 零が獲物の肉を食いちぎるライオンのように、激しく首を振った。
 異様な音が長く尾を引き、由羅の右腕がつけ根から噛みちぎられた。
 あまりのことに、杏里は頬を張り飛ばされたように呆然となった。
 零は、明らかに”進化”していた。
 怒りで以前より、確実に強く、そして凶暴になっている。
 こうしてはいられなかった。
「やめて! やめなさい!」
 杏里は飛び起きると、零の背中にしがみついた。
 だが、零は攻撃の手を緩めようとしなかった。
 瞬く間に由羅の左肩が血しぶきを上げ、もう一本の腕が噛みちぎられた。
「あうっ!」
 床に転がった由羅の腕に足を取られ、バランスを崩して転がる杏里。
「ぐあああああっ!」
 零にもみくちゃにされながら、由羅は喉も嗄れよとばかりに絶叫し続けている。
 由羅のいるあたりから驟雨のように血が噴き出し、杏里の頭上に降りかかってきた。
 どれだけそれが続いたのか。
 気がつくと、あたりがしんと静まり返っていた。
 目の前に、背の高い零の立ち姿があった。
 杏里に背を向け、じっと足元を見下ろしている。
 そして、開いたその長い脚の間から、それが見えた。
 手足を失い、胴体と頭部だけになった由羅。
 身体中が赤いペンキをかぶったように、真っ赤に染まっている。
 そのあまりのむごたらしさに、杏里は悲鳴を上げた。
 いつまでもやまないその悲鳴に、やがて零がおもむろに振り返った。
 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

女子切腹同好会 ~4完結編~

しんいち
ホラー
ひょんなことから内臓フェチに目覚め、『女子切腹同好会』という怪しい会に入会してしまった女子高生の新瀬有香。なんと、その同好会の次期会長となってしまった。更には同好会と関係する宗教団体『樹神奉寧団』の跡継ぎ騒動に巻き込まれ、何を間違ったか教団トップとなってしまった。教団の神『鬼神』から有香に望まれた彼女の使命。それは、鬼神の子を産み育て、旧人類にとって替わらせること。有香は無事に鬼神の子を妊娠したのだが・・・。 というのが前作までの、大まかなあらすじ。その後の話であり、最終完結編です。 元々前作で終了の予定でしたが、続きを望むという奇特なご要望が複数あり、ついつい書いてしまった蛇足編であります。前作にも増してグロイと思いますので、グロシーンが苦手な方は、絶対読まないでください。R18Gの、ドロドログログロ、スプラッターです。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

処理中です...