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第3部 凶愛のエロス

♯4 損傷

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 叫びすぎて喉が枯れてしまっていた。
 杏里は、まるで自分が戦った後のように疲れ果て、"観覧席"の椅子にぐったりと沈み込んでいた。
 一度姿を消した冬美と小田切が戻ってきたのは、30分ほどしてからのことだった。
「笹原さん、出番よ」
 ひとりぽつんと椅子に腰かけている杏里を見つけると、冬美がそう声をかけてきた。
 出番?
 杏里は眉をひそめた。
 何のことだろう?
 今度は私に戦えとでもいうのだろうか。
「一緒に由羅のところに来てほしいの」
「結果は・・・・?」
 返事をする代わりに、杏里はたずねた。
「合格よ」
 冬美がいった。
「ちょっともたついたけど、独りで外来種の成体を倒したわけだから」
「よかった・・・」
 杏里はひとりごちた。
 一人前の"パトス"として認められること。
 それが、本当にいいことなのかどうか、杏里にはわからない。
 だが、由羅は勝ちたかったはずなのだ。
 あんなにがんばって不合格では、彼女が浮かばれないだろう。
 そう思ったのである。
「杏里、わざわざ学校を休ませてまでおまえに来てもらったのには、理由がある」
 冬美の背後に立っている小田切が、廊下からの逆光の中でいった。
「ひとつは、直に由羅の戦いぶりを見て、絆を深めてもらうこと」
 冬美が後を引き取った。
「あなたたちは、今後ずっとパートナーとしてやっていくことになる。
 そう、どちらかが完全に戦闘不能状態に陥って、お互いの関係を解消せざるを得なくなるときまで、ね」
 戦闘不能状態?
 杏里は眉を揺り上げた。
 私たちの場合は、死ぬ、とはいってもらえないのだろうか。
「それからもうひとつ。あなたの力で、由羅を治療してやって欲しいの」
「私の・・・・力?」
 私には、力なんてない。
 私にあるのは、この忌まわしい肉体だけなのだ。
「おまえの治癒能力は、多少なら他人にも作用する。もちろん、大病や重度の肉体損壊には効き目はないが、今回の由羅の怪我くらいなら、簡単に治せるはずだ。そのほうが、医者にかかるより回復も早い」
 小田切がいった。
「他人を、治す・・・? それは重人の役回りじゃないの?」
「ヒュプノスが癒すのは"心"だ。物理的なヒーラーはタナトスさ」
「今頃、重人君が由羅を落ち着かせてるはず。今度はあなたが、彼女を助けてあげる番」
 冬美が手を差し出した。
 それを無視して、杏里は椅子から立ち上がった。
 重人も来ているのか。
 それならまだ気が楽だ。
「でも、本当にそんなこと、私にできるの?」
 杏里は冬美の視線を避け、直接小田切に話しかけた。
「ああ、大丈夫。やり方も何も、ただ患部に手を当ててやるだけでいい」
「幸い、由羅の怪我は軽微だわ。ああ見えても、彼女はパトス。あの子の体重、何キロだと思う?」
 冬美がまっすぐに杏里を見つめて、訊いてきた。
 あまりに意外な質問だった。
「体重?」
 無視しきれなくなって、思わず杏里は訊き返した。
 この女、急に何を言い出すのだろう?
「私より、少し軽いくらい・・・・? 42,3キロとか」
「違うわ」
 冬美がほんの少し、口許に笑みを浮べた。
「90キロ。骨と筋肉の密度が、あなたの倍以上あるの」
「90キロ・・・?」
 悪い冗談かと思った。
 あのか細い体で、私の2倍の体重・・・?
「あなたの肉体がプラナリア並みの再生能力を持っているように、由羅の体も装甲車並みに頑丈に出来てるの。普通の人間だったら、たとえ大人でも、外来種にあれだけやられたら、5分としないうちに死んでるわ。でも、彼女は30分以上、耐え抜いた。それに、見たでしょ? あの攻撃方法」
 杏里の脳裏に、由羅が敵の胸板をぶち破った瞬間の、あの凄絶な映像がフラッシュバックした。
 あんなこと、人間には不可能だ。
 世界ランキングのどんな格闘技の選手を呼んできても、絶対に無理に違いない。
 つまりは、由羅も私同様、人間ではない、ということなのだろう。
 プラナリアにたとえられたことは気に入らなかったが、急に由羅に会いたくてたまらなくなった。
「私、行きます。由羅はどこ?」

 一度外の通廊に戻り、階段で一階下に下りる。
 そこは、フロアは全体がひとつの病棟を成しているようだった。
 消毒の匂いが強い。
 ずらりと並んだ部屋のひとつに、由羅はいた。
 この前杏里が入院していた病院の個室に、間取りも内装もそっくりの部屋だった。
 由羅はベッドに腰かけていた。
 驚いたことに、中学校の制服を着ている。
 見るからに痛々しい姿だった。
 顔が左右非対称に変形し、まぶたが両方とも垂れ下がって半ば目を隠してしまっている。
 頬骨が折れているのかもしれなかった。
 下手くそなモザイクのように、あちこちに絆創膏が貼られていた。
 右手に包帯を巻き、首から吊っている。
 あの一撃で、腕の骨も折れたのだろうか。
 茫然と突っ立っていると、
「やあ、杏里」
 ベッドサイドの丸椅子から、黒眼鏡の少年がぴょんと飛び上がって、笑顔を向けてきた。
 ヒュプノス、栗栖重人である。
 こちらも何のつもりか、中学校の制服を着ていた。
「気分はどう?」
 冬美がたずねると、由羅が気まずそうに横を向いた。
「だいぶ落ち着いたよ。精神的なストレスは、ほぼ解消できたと思う」
 代わりに重人が答えた。
「10分ほど、寝かせてあげたからね」
 ヒュプノスはその名の通り、催眠術を使ってタナトスたちのささくれ立った精神を癒す力を持っている。
 杏里もこの前重人の世話になったばかりである。
 あの催眠効果は、タナトスだけでなく、パトスにも有効だということなのだろう。
「ごくろうさま」
 冬美はうなずくと、重人の手を取った。
 小学生並みに小柄な重人は、そのまま冬美の子供のように見えた。
「じゃ、私たちはこれで。後は、笹原さん、由羅を頼んだわよ」
「ロビーで待ってる。終わったら、来い」
 小田切がいった。
「冬美・・・。もう行くのか」
 そっぽを向いたまま、由羅がつぶやいた。
 冬美は聞こえなかったかのように、重人の手を引いてさっさと部屋を出て行ってしまう。
 由羅の表情が歪んだ。
 ドアが閉まると同時に、杏里を睨み据えて、噛みつくようにいった。
「おまえ、何しにきやがったんだ」
 ものすごい剣幕だった。
「ひょっとして、うちのこと、笑いに来たのか?」
 さすがの杏里も、これにはむっとせずにはいられなかった。
 睨み返した。
 そして、心の中でつぶやいた。
 ちょっと、重人、どうなってるのよ?
 この子、ぜんぜん落ち着いてなんか、いないじゃない!
 
 

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