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第2部 背徳のパトス

#10 杏里とナルシシズム

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 小田切たち三人が帰り、その後の夕食の時間が終わると、病室の中は静寂に包まれた。
 下手に外に出るとまた新たな厄介事を背負い込みかねないので、杏里は部屋の中で大人しくしていることにした。
 しばらくテレビを見て過ごしたが、すぐにそれにも飽きてしまった。
 夜9時に看護師が最後の検温に来ると、消灯時間になった。
 昼間断続的に何度も眠ったので、目が冴えて眠れなかった。
 小田切たちとの会話の内容を、頭の中で反芻した。
 人間の中に混じって繁殖しようとする"外来種”なる生物。
 それを発見するのが、タナトスのもうひとつの役目。
 しかし、小田切の説明には納得しがたい点がいくつかある。
 小田切は、タナトスが外来種を発見できるのは、性行為のときに限る、といった。
 確かに昨夜、杏里は実際に謎の男に襲われ、刻印を肌に刻まれた。
 だが、外来種が雌だった場合はどうなるのだろう?
 その際は、当然のことながらセックスは不可能である。
 あるいは、挿入という行為がなくとも、それに類するものであればよいということなのだろうか?
 杏里は器具で犯されたときのことを思い出した。
 女同士でも、たとえばああいう形で快楽を共有し合うことができれば、刻印は刻まれるのだろうか?
 
 気がつくと、胸を触っていた。
 掌に、コリコリしたものが当たる。
 そのたびに、いいようのない快感が走った。
 乳首が勃起しているのだった。
 乳房を強くもまれたときの感覚が蘇る。
 杏里は衝動的に病衣を脱いだ。
 息が荒い。
 奇妙に倒錯的な気分に陥ってしまっているのがわかる。
 思い切って、パンティ一枚の、裸になった。
 窓に裸体を映してみる。
 見慣れているはずの自分の体が、夜の闇を背景にしているせいか、別人の肉体のように、ひどく艶かしく淫靡なものに見える。
 陰影が濃いので、実際以上に体のラインが強調されているのだった。
 ふいに欲情がこみ上げてきて、衝動的に乳房をつかんでいた。
 あふ、
 うめきがもれた、
 乳房をつかみながら、人差し指で乳首をなでる。
 びくんと体が跳ねた。
 股間がねっとりと潤い出すのがわかった。
 指を口の中に入れ、舌で舐め回す。
 唾液が唇の端からしたたった。
 指に唾液をたっぷりつけ、両の乳首に塗りつける。
 その上に掌を当て、ゆっくり乳首を転がすように動かしてみる。
 気持ち、いい・・・。
 理性が吹き飛んだ。
 タナトスも外来種も、もうどうでもよかった。
 すべてを忘れてしまいたかった。
 どうすればもっと気持ちよくなれるのか。
 杏里はそれだけに意識を集中していた。
 手を口に運び、唾液で濡らすと、何度も体中を撫でさする。
 豊かな曲線を描いた自分の肉体が、いとおしくてならなかった。
 こんなにやわらかくて、こんなにすべすべしているのに、人間じゃない、だなんて・・・。
 窓に顔を映す。
 この顔、嫌いじゃない。
 少し丸くて、少したれ目だけど、でもかわいい。
 窓に映る自分の唇に、そっとキスをする。
 ぞくっとするほど冷たい感触が返ってくる。
 温めてあげる。
 舌を出す。
 鏡の自分も、同じように舌を出してきた。
 舌の先同士が触れ合った。
 背筋がぞくっとした。
 好きだよ、杏里。
 つぶやいた。
 たとえ世界中が敵に回ろうとも、私だけは、あなたが好き・・・。
 知らぬ間に、右手がパンティの上から性器をまさぐっていた。
 布地に染みができていた。
 どうしようもないほど、溢れてくるのだ。
 左手で左の乳首を強くつかみ、人差し指で乳首をこねる。
 右手の指が、勃起して驚くほど大きくなった真珠状の突起を、下着の上から探り当てていた。
 あん。
 喘いだ。
 もうがまんできなかった。
 パンティをずらし、”それ”をむきだしにする。
 ”唇”が充血して、膨らんでいる。
 その間から、ねっとりとした体液が溢れ出ようとしていた。
 割れ目に沿って、ゆっくりと指でさする。
 気持ち、いい・・・。
 たまらなくなって、人差し指を挿入した。
 痛くはなかった。
 それどころか、痺れるような快感があった。
 あとは、夢中だった。
 指の動きが速くなる。
 はあ、はあ、はあ。
 喘ぎ声が止まらない。 
 いつのまにか、下着を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になっていた。
 前からの愛撫だけでは飽き足らなかった。
 杏里はベッドの上でよつんばいになった。
 尻を突き出し、下から性器に指を突っ込んだ。
 体液がしたたった。
 一本ではもの足りない。
 二本、三本と挿入する指の数を増やしていく。
 狂ったように動かした。
 本能的に、それに合わせて腰を振っていた。
 全身、愉悦の虜と化していた。
 いい、いい・・・・
 ”穴”の中で、襞という襞が軟体動物のように指に吸いついてくる。
 右手でピストン運動しながら、左手を股間に差し入れて、むき出しのクリトリスを指で強くつまんだ。
 そのとたん、後頭部で火花が飛んだ。
 あ、あ、あん・・・!
 蝶番がはずれたかのように、腰が突然がくがく振動した。
 甘い泣き声を上げて、杏里はシーツの上に横倒しになった。
 むっちりした太腿を、熱い体液がしたたり落ちていく。
 初めてのオナニーは、杏里に凄絶なほどの快楽をもたらしたようだった。
 散々陵辱され続けてきた経験から、性的なものへの嫌悪感が芽生えてもよさそうなものだが、そうはならなかった。
 むしろ、自分で自分を愛するという行為自体が、杏里の性感帯に火をつけたのだった。
 が、そのけだるい満足感も、長くは続かなかった。
 体の火照りが冷めていくのに比例して、心の奥の空洞が大きくなっていく。
 そこだけぽっかり大きな穴が空いたように、空しくて、さびしくてならなかった。
 ふと気がつくと、杏里はすすり泣いていた。
 泣きながら、拳で弱々しくベッドを叩いていた。
 どうして、どうして、どうして・・・。
 そう、口の中で繰り返しつぶやきながら。

 病室の扉がわずかに開いている。
 前髪の長い、顔色の悪い少年が廊下にしゃがみこみ、中を覗いていた。
 右手に小さな注射器を握っている。
「待ってろ」
 小声でつぶやいた。
「すぐに殺してやるから」
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