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第2部 背徳のパトス
#4 杏里と特異体質
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目を開けると、最初に真っ白な天井が視界に飛び込んできた。
「大丈夫?」
次に、逆さになった少女の顔が視界に入ってくる。
高橋楓の丸顔だった。
杏里は身を起こした。
「まだ寝てたほうがいい」
おさげの楓の横に、背の高い少年が立っていた。
すっきりした顔立ち。
涼しげなまなざし。
アイドル歌手顔負けの、かなりの美少年である。
「あ、こちら、学級委員の山中翔太君」
頬をほんのり朱に染めて、楓が紹介する。
少年に好意を抱いているらしいことが、手に取るようにわかる。
「ここは?」
杏里は訊いた。
声がかすれてしまっている。
無理もない。
なんだかわからないが、そうとう強烈な毒薬を飲み干したのだ。
普通の人間なら、完全に絶命していたに違いない。
よろしく。
少年は軽く会釈をすると、
「ここは病院だよ。しかし驚いたなあ。君が飲んだのは、硫酸タリウムなんだぜ。さっきお医者さんがいってたけど、1グラムで大人でも死んじゃうぐらい強い毒なんだって。なのに、もうぴんぴんしてるなんて」
そうなのだ。
杏里の肉体は急速に回復していた。
強酸でぼろぼろに焼かれたはずの食道も胃も、今はもうすっかり元通りになっているのが、自分でもわかる。
「なんでそんな毒薬が、学校に・・・」
楓が恐ろしそうに眉をひそめた。
「元はといえば、殺鼠剤に使われるらしいよ。このへんはネズミ多いから、ふつうに薬局でも売ってるらしい」
少年はけっこう物知りらしかった。
顔だけでなく、頭もそこそこ良さそうだ。
名前はうろ覚えだが、そういえばクラスにこんな子がいた、と杏里は思った。
「だけど、誰なんだろうねえ、牛乳に毒入れたの、杏里も運が悪かったよねえ」
しみじみとした口調で、楓がいった。
杏里は苦笑した。
わかっていて自分から飲んだ、とはさすがにいえなかった。
そういえば、あの少年はどうしたのだろう。
私の苦しむ姿を目の当りにして、無事”昇華”してくれただろうか。
それだけは、確かめておきたかった。
「失礼します」
声がして、
若い女性の看護師が入ってきた。
髪の短い、クールな雰囲気の女性である。
白衣が細身の体によく似合っている。
起きている杏里を見て、驚いたように目を見開いた。
「じゃ、杏里、またね」
楓が笑顔で手を振った。
「無理しないで。授業のノートは僕と高橋がちゃんと取っておくから」
翔太がいった。
「ありがとう」
杏里は頭を下げた。
胸がじーんとした。
私、ふつうに中学生、してる・・・。
そう思ったら、涙がこぼれてきたのだった。
「どうしたら、わずか数時間でこんなことになる?」
レントゲンの画像が映し出されたパソコンの画面を食い入るように凝視して、医師がうめいた。
「どこも悪くない。治ってる。担ぎ込まれてきたときには、消化器官はすべて焼けただれていたのに」
診察室の椅子に杏里は坐っていた。
病室での簡単な診察の後、杏里がすっかり元気だとわかると、改めて診察室に呼ばれたのである。
薄青色の病衣を着ているが、胸が大きいので、気をつけていないとともすれば前がはだけそうになる。
「私、特異体質なんです」
杏里は蚊の鳴くような声で答えた。
「詳しくは、小田切さんに聞いてください。私自身、よくわかってないので」
嘘ではない。
たいていの傷は、数時間もすれば治癒してしまう。
それが杏里の”タナトス体質”である。
この前はあずさに内臓を半分以上摘出された。
それでも死なずに元の体に戻ったのだから、ほとんど化け物のようなものだ。
逆に言えば、”タナトス”としての役目は、それでなければとても務まらないのである。
「小田切って、君の叔父さん?」
「ええ。もうすぐ来るはずです。さっきLINEの返信がありましたから」
「とにかく、助かってよかったよ。まあでも、念のため、今日一日は入院して、もう少し様子を見よう」
眼鏡の奥からじっと杏里を見つめて、中年の医師がいった。
頭髪がバーコードのようにまばらで、なんだかマンガの登場人物のような印象の人だった。
小田切は、一時間ほどして、やって来た。
夏物のジャケットに綿パンとういそれなりにさまになったスタイルだが、相変らず頭は寝癖がついたままだった。
杏里の説明を聞くと、
「そうか」
とだけいった。
そしてしばらく顎をいじって考え込んでいたが。
「その少年、ちょっとやっかいかもしれないな」
ふいにぽつりとそんなことをいった。
「え?」
杏里が聞き返す。
「いいか、杏里。おまえの武器は何だと思う?」
「武器・・・?」
「教えてやろう。おまえの武器は、人の嗜虐性をそそるそのいつも怯えているような顔と、全身から発散するアンバランスなエロスだ」
ひどい冗談だ、と杏里は思った。
だが、小田切はあくまでも真面目な口調で続ける。
「特におまえのエロスは切り札として有効だ、たいていの死の衝動は、そのエロスで中和されてしまう。つまり、いったん相手を欲情させてしまえば、おまえの勝ちということだ」
「そんな・・・ひどい」
杏里は泣きそうになった。
私はまだ14歳なのだ。
そんな無茶な理屈があるものか。
「だが、逆に言えば、相手がおまえのエロスに反応しない場合、昇華まで持ち込むのはかなり難しい、ということになる」
「エロスに、反応しない?」
「おまえのエロスは強力だ。男だけでなく、女にも作用する。だが、もし相手が精通もまだのような未成熟の個体だった場合、エロスでは解決できないんだ」
「・・・じゃ、どうすれば」
そんなことをたずねること自体、小田切のペースにはまってしまうことになるのだが、杏里は訊かずにはいられなかった。
あの少年は、まだ治っていない?
私があんなに苦しい思いをしたにもかかわらず・・・?
これは由々しき事態であるといえた。
「わからない」
小田切がかぶりを振った。
「何とかおまえのペースに引き込むことができれば、としか、いいようがない」
「私の、ペース?」
どういうことだろう。
杏里はこれまで自分から積極的に動いたことなど、一度もないのだ。
ペースも何も、いつも受動的にただひたすらやられるだけなのである。
「じゃ、俺は帰る」
唐突に小田切が腰を上げた。
「医者にはおまえのことは一応説明しておいた。医学上の大発見だとか何とか騒がないように、クギを刺しておいたから、心配するな」
背中を向けた小田切に、杏里はふと思いついて声をかけた。
「あ、そういえば、ここ、何ていう病院?」
うかつにも、ずっとそれを知らないでいることに気づいたのだった。
「篠崎医院だよ。ほら、海沿いに建ってる民間の大きな病院。見たことあるだろ?」
その言葉に、杏里の顔からさあっと血の気が引いた。
思い出したのだ。
それって・・・もしかして。
あの少年が隠れていたところじゃない!
「大丈夫?」
次に、逆さになった少女の顔が視界に入ってくる。
高橋楓の丸顔だった。
杏里は身を起こした。
「まだ寝てたほうがいい」
おさげの楓の横に、背の高い少年が立っていた。
すっきりした顔立ち。
涼しげなまなざし。
アイドル歌手顔負けの、かなりの美少年である。
「あ、こちら、学級委員の山中翔太君」
頬をほんのり朱に染めて、楓が紹介する。
少年に好意を抱いているらしいことが、手に取るようにわかる。
「ここは?」
杏里は訊いた。
声がかすれてしまっている。
無理もない。
なんだかわからないが、そうとう強烈な毒薬を飲み干したのだ。
普通の人間なら、完全に絶命していたに違いない。
よろしく。
少年は軽く会釈をすると、
「ここは病院だよ。しかし驚いたなあ。君が飲んだのは、硫酸タリウムなんだぜ。さっきお医者さんがいってたけど、1グラムで大人でも死んじゃうぐらい強い毒なんだって。なのに、もうぴんぴんしてるなんて」
そうなのだ。
杏里の肉体は急速に回復していた。
強酸でぼろぼろに焼かれたはずの食道も胃も、今はもうすっかり元通りになっているのが、自分でもわかる。
「なんでそんな毒薬が、学校に・・・」
楓が恐ろしそうに眉をひそめた。
「元はといえば、殺鼠剤に使われるらしいよ。このへんはネズミ多いから、ふつうに薬局でも売ってるらしい」
少年はけっこう物知りらしかった。
顔だけでなく、頭もそこそこ良さそうだ。
名前はうろ覚えだが、そういえばクラスにこんな子がいた、と杏里は思った。
「だけど、誰なんだろうねえ、牛乳に毒入れたの、杏里も運が悪かったよねえ」
しみじみとした口調で、楓がいった。
杏里は苦笑した。
わかっていて自分から飲んだ、とはさすがにいえなかった。
そういえば、あの少年はどうしたのだろう。
私の苦しむ姿を目の当りにして、無事”昇華”してくれただろうか。
それだけは、確かめておきたかった。
「失礼します」
声がして、
若い女性の看護師が入ってきた。
髪の短い、クールな雰囲気の女性である。
白衣が細身の体によく似合っている。
起きている杏里を見て、驚いたように目を見開いた。
「じゃ、杏里、またね」
楓が笑顔で手を振った。
「無理しないで。授業のノートは僕と高橋がちゃんと取っておくから」
翔太がいった。
「ありがとう」
杏里は頭を下げた。
胸がじーんとした。
私、ふつうに中学生、してる・・・。
そう思ったら、涙がこぼれてきたのだった。
「どうしたら、わずか数時間でこんなことになる?」
レントゲンの画像が映し出されたパソコンの画面を食い入るように凝視して、医師がうめいた。
「どこも悪くない。治ってる。担ぎ込まれてきたときには、消化器官はすべて焼けただれていたのに」
診察室の椅子に杏里は坐っていた。
病室での簡単な診察の後、杏里がすっかり元気だとわかると、改めて診察室に呼ばれたのである。
薄青色の病衣を着ているが、胸が大きいので、気をつけていないとともすれば前がはだけそうになる。
「私、特異体質なんです」
杏里は蚊の鳴くような声で答えた。
「詳しくは、小田切さんに聞いてください。私自身、よくわかってないので」
嘘ではない。
たいていの傷は、数時間もすれば治癒してしまう。
それが杏里の”タナトス体質”である。
この前はあずさに内臓を半分以上摘出された。
それでも死なずに元の体に戻ったのだから、ほとんど化け物のようなものだ。
逆に言えば、”タナトス”としての役目は、それでなければとても務まらないのである。
「小田切って、君の叔父さん?」
「ええ。もうすぐ来るはずです。さっきLINEの返信がありましたから」
「とにかく、助かってよかったよ。まあでも、念のため、今日一日は入院して、もう少し様子を見よう」
眼鏡の奥からじっと杏里を見つめて、中年の医師がいった。
頭髪がバーコードのようにまばらで、なんだかマンガの登場人物のような印象の人だった。
小田切は、一時間ほどして、やって来た。
夏物のジャケットに綿パンとういそれなりにさまになったスタイルだが、相変らず頭は寝癖がついたままだった。
杏里の説明を聞くと、
「そうか」
とだけいった。
そしてしばらく顎をいじって考え込んでいたが。
「その少年、ちょっとやっかいかもしれないな」
ふいにぽつりとそんなことをいった。
「え?」
杏里が聞き返す。
「いいか、杏里。おまえの武器は何だと思う?」
「武器・・・?」
「教えてやろう。おまえの武器は、人の嗜虐性をそそるそのいつも怯えているような顔と、全身から発散するアンバランスなエロスだ」
ひどい冗談だ、と杏里は思った。
だが、小田切はあくまでも真面目な口調で続ける。
「特におまえのエロスは切り札として有効だ、たいていの死の衝動は、そのエロスで中和されてしまう。つまり、いったん相手を欲情させてしまえば、おまえの勝ちということだ」
「そんな・・・ひどい」
杏里は泣きそうになった。
私はまだ14歳なのだ。
そんな無茶な理屈があるものか。
「だが、逆に言えば、相手がおまえのエロスに反応しない場合、昇華まで持ち込むのはかなり難しい、ということになる」
「エロスに、反応しない?」
「おまえのエロスは強力だ。男だけでなく、女にも作用する。だが、もし相手が精通もまだのような未成熟の個体だった場合、エロスでは解決できないんだ」
「・・・じゃ、どうすれば」
そんなことをたずねること自体、小田切のペースにはまってしまうことになるのだが、杏里は訊かずにはいられなかった。
あの少年は、まだ治っていない?
私があんなに苦しい思いをしたにもかかわらず・・・?
これは由々しき事態であるといえた。
「わからない」
小田切がかぶりを振った。
「何とかおまえのペースに引き込むことができれば、としか、いいようがない」
「私の、ペース?」
どういうことだろう。
杏里はこれまで自分から積極的に動いたことなど、一度もないのだ。
ペースも何も、いつも受動的にただひたすらやられるだけなのである。
「じゃ、俺は帰る」
唐突に小田切が腰を上げた。
「医者にはおまえのことは一応説明しておいた。医学上の大発見だとか何とか騒がないように、クギを刺しておいたから、心配するな」
背中を向けた小田切に、杏里はふと思いついて声をかけた。
「あ、そういえば、ここ、何ていう病院?」
うかつにも、ずっとそれを知らないでいることに気づいたのだった。
「篠崎医院だよ。ほら、海沿いに建ってる民間の大きな病院。見たことあるだろ?」
その言葉に、杏里の顔からさあっと血の気が引いた。
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