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第1部 激甚のタナトス

#18 死と再生の儀式

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 自分がなぜそこまでして生きようとするのか、理解できなかった。
 いや、その前に、なぜこんな状態になっても死ねないのか、それがそもそもわからなかった。
 とにかく、気がつくと杏里は床にぶちまけられた己の臓物を拾い集め、腹腔につめこんでいたのだった。
 表面を血と粘液で覆われた臓物の塊は、ぬるぬる滑ってなかなかつかめなかった。
 特に腸はどこがどうつながっているのか皆目見当がつかず、順番も何もわからないので、はみ出さないようにぎゅうぎゅうに詰め込むのが精一杯だった。
 残り物がないかどうかを確かめ、作業が終了すると腹の裂け目を両手でしっかり押さえて、しばらくソファに横になった。
 10分もすると、皮膚と皮膚が癒着し始めたのがわかった。
 一度歩いてみようとしたら、臓器の重みで裂目が開いて腸の一部が飛び出してきたので、もうしばらく休むことにした。
 あずさはすっかり眠ってしまっており、いっこうに目を覚ます気配がなかった。
 自分はいったい何をやったのだろう、と杏里は思った。
 なぜこの人は、こんなに幸せそうな顔をしているのだろう・・・。

 1時間後、杏里は腹を押さえて自宅への道を歩いていた。
 いつまでもあずさの家に居るわけにも行かなかった。
 というより、もうあずさと一緒に居る必要性自体、なくなっていた。
 杏里にも、結局、彼女も萌たちと同じだったのだ、ということだけは、なんとなく理解できたのである。
 歩くと振動で腹の中の臓器が不自然に蠢いた。
 ときには足を止めて蠢動が収まるのを待たねばならなかった。
 が、いつもの倍以上の時間をかけてゆっくり歩いていると、次第に不自然な感じは収まっていった。
 
  玄関の鍵は開いたままだった。
 父と顔を合わせるのはできれば避けたかった。
 体調が普通であれば、家出も可能だったかもしれない。
 が、そんな元気はなかった。
 死にこそしなかったものの、大量の血液を失って、杏里は今や立っているのがやっとの状態だった。
 そうなるともう、杏里にとって帰る場所はここしかなかったのだ。
 玄関口に、男物の靴があった。
 杏里は顔をしかめた。
 父のものだった。
 戻っていたのだ。
 一瞬、回れ右して逃げようかと考えた。
 が、すぐにどうでもよくなった。
 ふと、この体で父に犯されたらどうなるだろう、と思った。
 内臓が全部飛び出して、今度こそ死ねるかもしれない。
 そう考えると、自虐的な笑いがこみ上げてきた。
 それならそれでいい。
 私に、生きる意味なんて、ない。
 どうせなら、父に殺してもらうのだ。

「ただいま」
 つい習慣的にそう口にしていた。
「お父さん、ご飯食べてきた?」
 いいながら靴を脱ぎ、四畳半に上がった杏里は、そこで固まった。
 奥の六畳間の酸で、何か大きなものが揺れていた。
 初め、また良子の幻を見ているのかと思った。
 だが、今度のそれはいつまでも消えなかった。
 首を吊っているのは、父だったからである。
 首吊り死体であるにもかかわらず、なぜか父は安らかな死に顔をしていた。
 
 どれだけそうして父の死体と向き合っていたのか。
 ふと、杏里は後ろから肩を叩かれて、びくっと体を硬直させた。
「ごくろうさま」
 振り向くと、ぼさぼさ頭の青年と、スーツに身を固めた美しい女が立っていた。
「ごくろうさま、杏里。合格だよ」
 ぼさぼさ頭を掻きながら、白衣姿の小田切がいった。
 
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