夜通しアンアン

戸影絵麻

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第6章 アンアン魔界行

#141 アンアン、死す⑧

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 全身から炎を吹き出し、凶戦士モードになった阿修羅王が、リングめがけて突進した。
 その背中では、あの火焔でできた輪がぐるぐる回っている。
 阿修羅王の身体に触れると、リングロープが弾けてくるくる丸まった。
「この雑魚めが!」
 紅蓮の炎を吹き上げる右手を伸ばし、敵の腕をつかもうとする。
 と、前鬼の身体が反転した。
 アンダースローの体勢を取ったかと思うと、やおら手の中の物体を空中に放り投げたのだ。
 飛び出したのは、ほかでもない、アンアンの肝臓である。
 血の糸を引き、放物線を描いて、大きな肉塊が舞い上がる。
 その時にはすでに、阿修羅王は前鬼に追いついていた。
 プラズマ状態と化した全身で、背後からたくましい鬼の身体を抱きしめた。
 じゅうっと肉の焦げる音がして、赤鬼の肉体が燃え上がる。
「ぎゃあああああああっ!」
 断末魔の悲鳴とともに、その顔が火を噴き出し、高温でどろどろに溶け始めた。
 阿修羅王の腕の中で前鬼の身体が炭化して消し炭のようになり、ぼろぼろと崩れ落ちた時である。
 観客席の最上層で、黒い大きな影が立ち上がった。
 2本の湾曲した角を持つヘルムで頭部を隠した、マントの巨人。
 暗黒大皇帝、その人である。
 右手にアンアンの肝臓を掲げ、左手には柄に豪奢な意匠を施された大剣を握っている。
 暗黒大皇帝は、のっしのっしと通路を下りてくる。
 リング上まで来ると、燃え盛る阿修羅王をじっと見下ろした。
「お見事だ」
 大地が震えるような声がした。
「さすが魔界一の破壊神。おぬしが優勝じゃ」
「そんなことはどうでもいい」
 唸るように阿修羅王が言った。
「そのアンアンの生肝をどうする気だ?」
「こうするのさ」
 暗黒大皇帝が、肉の塊を頭上に放り投げた。
 と、世界が白と黒に反転し、周囲の光景に変化が現れた。
「うわあああっ!」
 阿修羅王の全身から炎が消えていく。
 コロシアム型の観客席が幻のように消えていき、その後にどこまでも続く無人の氷原が出現した。
 気温が一気に何十度も下がったように、ひどく寒い。
 僕らは氷原の端っこに立ち、ただ茫然と”それ”を見つめていた。
 地面が揺れていた。
 バリバリと凍土が割れ、何か巨大なものが地中深くから現れようとしている。
「やっぱりな」
 僕の背後でナイアルラトホテップが、確信ありげにつぶやいた。
「こんなところに居たのか。わが究極の神よ」
 地上に伸び上がる、何本もの長い首。
 でかい。
 1本が高層ビルほどもありそうだ。
「わわわ、竜だぜ」
 早くも逃走する気なのか、へっぴり腰になって一ノ瀬が言った。
 そう、僕らの目の前に現れたのは、巨大な竜だった。
 ただ、竜にしては、首が多すぎる。
 あろうことか、数えると、9本もあった。
「ヤマタノオロチ?」
 思わずつぶやくと、玉がかぶりを振った。
「違います。オロチなら、首は8本のはずですよ」
「じゃあ、あれは…?」
 9本首の竜の前に、すでに暗黒大皇帝の姿はない。
 あの怪獣に吸収されてしまったというわけか。
 氷原には、リングに倒れた時のまま、腹から血を流したアンアンが伏している。 
 その傍らに大の字になってのびているのは、美少女モードに戻った阿修羅である。
「まず、アンアンと阿修羅を助けよう」
 意を決して、僕は言った。
「あの怪獣が、地上に全身を現さないうちに」

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