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第9部 ヒバナ、アンブロークンボディ!
#28 遭遇
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艶野夜(つやのよる)は自分の名前が嫌いだった。
小学生の頃、一度母に、
「どうして『夜』なんて名前にしたの?」
と訊いてみたことがある。
返事は、
「産まれたのが夜だったから」
という、ミもフタもないものだった。
せめて『朝』か『昼』だったら、と長い間思っていたが、あるときふと気がついて愕然となった。
『通夜の朝』でも、『通夜の昼』でも、縁起の悪いことには変わりない。
つまり、『つやの』なる苗字自体が最悪なのだ。
ともあれ、彼女のあだ名は、物心ついて以来ずっと"お通夜”で、大学生になった今もそうなのだった。
そんなあだ名で10年以上呼ばれてきた人間が、明るくなんてなれるはずがない。
それが思春期を迎える頃、彼女が出した結論だった。
お通夜は大学の近くに下宿している。
ワンルームマンションなどという洒落たものではなく、昔ながらの本物の下宿である。
その点だけは、部活の先輩の糸魚川貢と同じ境遇にあった。
お通夜は車の免許を持っていないので、通学はもっぱら自転車に頼っている。
きょうも、お通夜は自転車をこいでいた。
この前電柱にぶつかったせいでハンドルが微妙に曲がっており、まっすぐ走れない。
お通夜はよく考え事をする。
考え事というより、それは夢想に近い。
いや、妄想といってもいいかもしれない。
だから、よく転ぶし、自転車をいろいろなところにぶつけてしまう。
いつぞやは雪の日に止まっているロールスロイスに衝突して、多額の修理代をふっかけられそうになった。
そのときは自分も頭に重傷を負ったふりをしてなんとか逃げ切ったのだが、今度やったらおしまいだと思っている。
なのに、この前また電柱にぶつかってしまったのだ。
我ながら、さすがに情けなかった。
大学に着くと、まず部室に顔を出した。
きのうは犬神なんとかというルポライターをかろうじて振り切り、泥酔したヒバナを家まで届けるという、大変な一日だった。
もちろん車は貢が運転し、お通夜はただヒバナの横に乗っていただけなのだが、普段の何も波風の立たない生活に比べれば、お通夜的には驚天動地の事態だったのだ。
だいたい、大変といえば、あの青沼酒造を踏み潰した馬鹿でかい妖怪には、まったく驚かされたものだった。
その前に洋風の妖怪にも出くわしていたが、きのうのあれはとにかく大きかった。
まるでゴジラかガメラ並みだったのだ。
そして、それをひとりで倒したヒバナは最高にかっこよかった。
ただ、まさかお酒ごときで、彼女があんなになるなんて思ってもみなかった。
というのが正直な感想ではあったのだが。
部室に入ると、まずパソコンを立ち上げた。
電子工学科に所属するくらいだから、お通夜はパソコンが好きである。
カラオケと同じくらい好きだ。
だから扱いには慣れている。
最初に、『鬼の首』を検索してみた。
エリアを中部地方に絞る。
あるとしたら、腕の近く。
やはり、愛知か岐阜が臭い。
「あった」
しばらく探すうち、それらしい情報がヒットした。
『鬼の首塚』
場所は岐阜である。
地図で見る限り、馬籠の近くだろうか。
必要な情報をプリントアウトし、今度は奥のカーテンの方に向かう。
部室を仕切るこの白い布の向こうは、失踪中の部長、丸山の住居なのだ。
なぜ丸山は、”観測者”を特定できたのか。
貢にも話したように、それがお通夜にとっての最大の謎だった。
以前丸山は、すべての事象はヒバナ中心に起きている、といっていた。
だが、それだけのことで、ヒバナの勤め先の店長が、人間原理の中心、観測者だとわかるものだろうか。
この部屋に何か秘密が隠されているに違いない。
そう、お通夜は踏んでいる。
その可能性に思い至ったのは、ゆうべ、青沼美月の家で夕食をご馳走になっているときのことだった。
それ以来、この部屋を捜索したくてウズウズしていたのである。
が、カーテンを開けると、先客がいた。
女だった。
丸山の椅子に腰かけ。机の上のデスクトップパソコンのキーボードをいじっている。
「あら?」
振り向いた。
細い縁の眼鏡が細面の顔によく似合う、意外に若い女だった。
真ん中分けしたさらさらのストレートヘアを、両肩のあたりに垂らしている。
意志の強そうなまなざしをしていた。
女というより、少女というべきだろう。
有名な私立高校の制服を着ている。
頭の良さそうな、インテリ風の少女である。
全体に色素が薄い、とお通夜は思った。
ツクヨミほどではないが、髪も肌も白っぽいのだ。
相手はきっと自分のことを、
『陰気な女』
と思っているだろうと考えると、とたんに言葉が出てこなくなった。
この先回り思考がお通夜の特性であり、悪い癖である。
すべて悪いほうに先に想像してしまうので、改めていうことがなくなってしまうのだ。
「ひょっとして、あなた、ここのヒト?」
少女が訊いた。
明らかにお通夜のほうが年上とわかっているのに、傍若無人な態度だった。
自分のことをお姫様だとでも思っているのか。
「お姫様じゃなくてね」
少女がにたりと笑った。
「あたしは、神様らしいのよ」
お通夜は硬直した。
目の玉が飛び出るかと思った。
読まれた。
心を読まれたのだ。
「ま、それはともかく、あなたも彼を探しにきたんでしょ。丸山時郎」
お通夜は知らず知らずのうちにうなずいている自分に気づいた。
この娘、あなどれない。
何か、不思議な力を持っている。
「じゃ、一緒に探さない? 正直、どこから手をつけていいかわからなくて、困ってたの」
なんでもないような調子で、少女がいった。
「あ、あ、あなた、誰?」
やっとの思いで、お通夜はそれだけを口にすることができた。
「ごめんなさい。自己紹介、まだだったわね」
少女が微笑む。
「あたしは乾(いぬい)ナミ。そう、今、あなたが考えた通り」
唇の両端が吊り上がり、笑みが大きくなる。
小悪魔めいた、いたずらっぽい表情だ。
「あなたの友だち、岬ヒバナの天敵よ」
小学生の頃、一度母に、
「どうして『夜』なんて名前にしたの?」
と訊いてみたことがある。
返事は、
「産まれたのが夜だったから」
という、ミもフタもないものだった。
せめて『朝』か『昼』だったら、と長い間思っていたが、あるときふと気がついて愕然となった。
『通夜の朝』でも、『通夜の昼』でも、縁起の悪いことには変わりない。
つまり、『つやの』なる苗字自体が最悪なのだ。
ともあれ、彼女のあだ名は、物心ついて以来ずっと"お通夜”で、大学生になった今もそうなのだった。
そんなあだ名で10年以上呼ばれてきた人間が、明るくなんてなれるはずがない。
それが思春期を迎える頃、彼女が出した結論だった。
お通夜は大学の近くに下宿している。
ワンルームマンションなどという洒落たものではなく、昔ながらの本物の下宿である。
その点だけは、部活の先輩の糸魚川貢と同じ境遇にあった。
お通夜は車の免許を持っていないので、通学はもっぱら自転車に頼っている。
きょうも、お通夜は自転車をこいでいた。
この前電柱にぶつかったせいでハンドルが微妙に曲がっており、まっすぐ走れない。
お通夜はよく考え事をする。
考え事というより、それは夢想に近い。
いや、妄想といってもいいかもしれない。
だから、よく転ぶし、自転車をいろいろなところにぶつけてしまう。
いつぞやは雪の日に止まっているロールスロイスに衝突して、多額の修理代をふっかけられそうになった。
そのときは自分も頭に重傷を負ったふりをしてなんとか逃げ切ったのだが、今度やったらおしまいだと思っている。
なのに、この前また電柱にぶつかってしまったのだ。
我ながら、さすがに情けなかった。
大学に着くと、まず部室に顔を出した。
きのうは犬神なんとかというルポライターをかろうじて振り切り、泥酔したヒバナを家まで届けるという、大変な一日だった。
もちろん車は貢が運転し、お通夜はただヒバナの横に乗っていただけなのだが、普段の何も波風の立たない生活に比べれば、お通夜的には驚天動地の事態だったのだ。
だいたい、大変といえば、あの青沼酒造を踏み潰した馬鹿でかい妖怪には、まったく驚かされたものだった。
その前に洋風の妖怪にも出くわしていたが、きのうのあれはとにかく大きかった。
まるでゴジラかガメラ並みだったのだ。
そして、それをひとりで倒したヒバナは最高にかっこよかった。
ただ、まさかお酒ごときで、彼女があんなになるなんて思ってもみなかった。
というのが正直な感想ではあったのだが。
部室に入ると、まずパソコンを立ち上げた。
電子工学科に所属するくらいだから、お通夜はパソコンが好きである。
カラオケと同じくらい好きだ。
だから扱いには慣れている。
最初に、『鬼の首』を検索してみた。
エリアを中部地方に絞る。
あるとしたら、腕の近く。
やはり、愛知か岐阜が臭い。
「あった」
しばらく探すうち、それらしい情報がヒットした。
『鬼の首塚』
場所は岐阜である。
地図で見る限り、馬籠の近くだろうか。
必要な情報をプリントアウトし、今度は奥のカーテンの方に向かう。
部室を仕切るこの白い布の向こうは、失踪中の部長、丸山の住居なのだ。
なぜ丸山は、”観測者”を特定できたのか。
貢にも話したように、それがお通夜にとっての最大の謎だった。
以前丸山は、すべての事象はヒバナ中心に起きている、といっていた。
だが、それだけのことで、ヒバナの勤め先の店長が、人間原理の中心、観測者だとわかるものだろうか。
この部屋に何か秘密が隠されているに違いない。
そう、お通夜は踏んでいる。
その可能性に思い至ったのは、ゆうべ、青沼美月の家で夕食をご馳走になっているときのことだった。
それ以来、この部屋を捜索したくてウズウズしていたのである。
が、カーテンを開けると、先客がいた。
女だった。
丸山の椅子に腰かけ。机の上のデスクトップパソコンのキーボードをいじっている。
「あら?」
振り向いた。
細い縁の眼鏡が細面の顔によく似合う、意外に若い女だった。
真ん中分けしたさらさらのストレートヘアを、両肩のあたりに垂らしている。
意志の強そうなまなざしをしていた。
女というより、少女というべきだろう。
有名な私立高校の制服を着ている。
頭の良さそうな、インテリ風の少女である。
全体に色素が薄い、とお通夜は思った。
ツクヨミほどではないが、髪も肌も白っぽいのだ。
相手はきっと自分のことを、
『陰気な女』
と思っているだろうと考えると、とたんに言葉が出てこなくなった。
この先回り思考がお通夜の特性であり、悪い癖である。
すべて悪いほうに先に想像してしまうので、改めていうことがなくなってしまうのだ。
「ひょっとして、あなた、ここのヒト?」
少女が訊いた。
明らかにお通夜のほうが年上とわかっているのに、傍若無人な態度だった。
自分のことをお姫様だとでも思っているのか。
「お姫様じゃなくてね」
少女がにたりと笑った。
「あたしは、神様らしいのよ」
お通夜は硬直した。
目の玉が飛び出るかと思った。
読まれた。
心を読まれたのだ。
「ま、それはともかく、あなたも彼を探しにきたんでしょ。丸山時郎」
お通夜は知らず知らずのうちにうなずいている自分に気づいた。
この娘、あなどれない。
何か、不思議な力を持っている。
「じゃ、一緒に探さない? 正直、どこから手をつけていいかわからなくて、困ってたの」
なんでもないような調子で、少女がいった。
「あ、あ、あなた、誰?」
やっとの思いで、お通夜はそれだけを口にすることができた。
「ごめんなさい。自己紹介、まだだったわね」
少女が微笑む。
「あたしは乾(いぬい)ナミ。そう、今、あなたが考えた通り」
唇の両端が吊り上がり、笑みが大きくなる。
小悪魔めいた、いたずらっぽい表情だ。
「あなたの友だち、岬ヒバナの天敵よ」
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