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第3部 ヒバナ、デッド・オア・アライブ!

#8 死の国からの使者

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「それ以上、一歩も動いちゃ、ダメだよ」
 カイとヒバナがそろって足を踏み出そうとした瞬間、頭上から声が降ってきた。
 軽薄そうな、若い男の声だった。
 見上げると、天井に差し渡し三メートルはあろうかと思われる、とほうもなく大きな蜘蛛が貼りついていた。
 大蜘蛛は垂直に床へと伸びた糸を伝ってツーッと音もなく着地すると、
「ほら、見てごらん。ボクがこう脚を動かすとね」
 蜘蛛の前脚から一本の糸が伸び、ミミの首に巻きついている。
 その糸がピンと張ると、ミミが苦しげにうめき、顔をゆがめた。
 ミミは今やいつものヒルの姿ではなく、ヒバナが先ほど幻視した通りの、手足のない、トルソのような人間の女の姿に変わっている。
 脇や腹にやや贅肉のついた、中年の女性の肢体である。
 その一度も陽に当たったことのない蔭花植物のような生白い肉体に、蜘蛛の糸が幾重にも巻きつき、やわらかな肉にキリキリと食い込んでいる。
 なまじ全裸であるだけに、ひどく痛々しい。
「ね、苦しがってるでしょ。だからキミたちは、動いちゃいけないんだよ」
「なにい・・・」
 カイが斧を振りかざしたままの姿勢で、ぎりぎりと歯軋りした。
「あんた何者? なんでそんな卑怯なことするの! どうせなら、正々堂々と戦いなさいよ!」
 ヒバナが目を怒らせて怒鳴った。
「恐いねえ、竜族のねえちゃんは。そんなこと言われたって、見ての通りボクは華奢にできてるから、肉弾戦には不向きなんだよ。わかるでしょ?」
 ひょうひょうとした口調で、蜘蛛が答える。
 確かに本人の言う通り、この蜘蛛の魔物は脚ばかり長くて、重量的にはかなり軽そうだ。
 ちょうどMの字の形に折り曲げた八本の脚の中心にバレーボール大の頭胸部がゴンドラみたいにぶらさがっているといった印象で、全体のフォルムは針金細工の鳥かごに似ている。
 いわゆる、メクラグモの一種らしい。
「何者かって質問にも答えておくと、根の国のマガツカミって知ってるでしょ。彼の部下の死天王の一人、レイナの僕(しもべ)さ。レイナにはいつも『黒子(クロコ)』って呼ばれてる」
「シンとやらの仲間か」
 カイが横から口をはさむ。カイにもヒバナにも、小さなビルほどもある蟹の化け物に乗って襲ってきたあの狂った男のことは、まだ記憶に新しい。
「シンねえ。彼は言ってみれば天才肌だけどわかりやすいやつでさ、だからキミたちにあっけなくやられちゃったみたいだけど、レイナは違うよ。女だけにやり方が陰湿って言うか、いや、こんなこと僕(しもべ)のボクが言っちゃいけないんだけどね」
 胴体をゆらゆら揺らしながら、蜘蛛が言う。状況にまるで不似合いな、とぼけたキャラクターだった。
「でもレイナはほんと、イイ女でさあ。ボク、あのカラダ、いっぺん抱かせてもらいたいと思ってがんばってるんだけど、なかなか評価してもらえなくて。まあ、外見が蜘蛛だからしょうがないといえば、そうなんだけどさ」
何をくだらないことをグダグダ言ってやがる。とっととミミを離せ。でないと」
 カイが怒りで顔を真っ赤にし、再び大斧を振り上げる。
「おじさん、短気は損気って言うでしょ。もう、ホントに懲りない人だなあ」
 蜘蛛があきれたように言い、ミミの首につながった糸をクイっと引く。
 うめき、裸体をくねらせるミミ。
 口の端から、透明な涎が垂れている。
「ミミを、お母さんを返して!」
 ひずみが叫んだのはそのときだった。
「お母さん・・・?」
 ヒバナは思わずひずみを振り返った。
 この子には、あの女性が、生みの親に見えているのか。
 そうか、そういうことなのか。
 ミミは、ひずみにとって、友達や相棒というより、母親代わりだったのだ。
 よし。
 ヒバナは決意した。
 いちかばちか、やってみるまでだ。
 背中に右手を隠し、人差し指のつま先に火を点す。
 ヒバナに宿った第二の竜、赤の竜の属性は『火』だ。だからヒバナは火を自由に操ることができる。
「お母さんだって? このうじ虫の大きいのが? うは、お嬢ちゃん、笑わせてくれるねえ」
 蜘蛛にはなぜかミミがヒルの姿にしか見えないらしい。
 蜘蛛の注意がひずみのほうに逸れたその一瞬を逃さず、ヒバナは右の人差し指に出現させたマイクロ火球を、電光石火の早業で放った。狙い通り、次の瞬間、火球がミミの首と蜘蛛の前脚をつないだ糸を断ち切った。
 カイが動いた。頭上高く振り上げた大斧を、蜘蛛に思いっきり叩きつけた。
 だが、ほんの少し、蜘蛛のほうが速かった。
 斧の一撃を軽快なフットワークでかわすと、口から奔流のように大量の糸を吐き出し、見る間にカイの巨体の動きを封じていく。
「姉ちゃん、こんどやったら、このおじさんも殺すよ」
 繭のように糸でがんじがらめにされたカイを盾にしてヒバナに向かい合うなり、大蜘蛛が怒りのにじむ声で言った。
「いくらボクが温厚だからって、それはないだろ」
 ヒバナは相手の急所を狙って槍を構えていた。
 だが、大蜘蛛は巧妙にカイの背後に胴の部分を隠して、防御の体勢を取っている。
 この位置関係では、カイの身体が邪魔で攻撃できない。
 蜘蛛の巣に貼りつけにされたミミがうめく。
 新たな糸が首にまきついているのだ。
 このままでは、ミミもカイも殺されてしまう。
 うう、一体どうしたら・・・。
「ヒバナ、槍を貸せ」
 そのとき、カイが低く、ささやくように言った。
「え? どういうこと?」
「いいから、その槍で俺を繭ごと突くんだ」
 そうか、槍で糸を断ち切ればいいんだ! 
 ヒバナは軽く長槍を突き出した。
 繭の一部が破れる。
 カイの上腕部がぐわっと膨れ上がり、糸の束を断ち切った。
 そのまま自由になった両手で槍をつかみ、ヒバナの手から乱暴にもぎ取ると、
「ヒバナ、後は頼んだ」
 そう小さくつぶやくなり、渾身の力をこめて槍をおのれの胸に突き立てた。
「うおおおおっ!」
 絶叫とともに長槍がその部厚い胸板を貫通し、背後に隠れていた大蜘蛛の頭をも貫いた。
 血がしぶき、音を立ててヒバナの全身に降りかかる。
「カイ!」
 ひずみが金切り声で叫ぶ。
 ヒバナは跳躍した。
 崩れ折れたカイを飛び越え、槍で串刺しになって動けないでいる魔物に、真上から襲いかかる。
 ミミの首につながる糸をまず断ち切り、次に竜の右手で魔物の頭胸部を一気に握りつぶした。
 着地したとき、ヒバナは泣いている自分に気づいた。
 うつぶせに倒れたカイの背中から、ヒバナの槍が突き出している。
 血だまりが、すごい勢いで広がっていく。
「助けて、ミミちゃん!」
 振り返り、叫んだ。
 だが、ミミも動かない。
 たまらなくいやな予感がした。
 静寂の中、ひずみのすすり泣きだけがいつまでも聞こえていた。

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