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#342話 施餓鬼会⑦
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翌朝、朝食の席に姿を現したのは、亜季ひとりだった。
「勇樹ったら、いくら呼んでも起きてこないのよ。よっぽど調子が悪いのかしら」
眉根を寄せて妹が誰にともなく言うと、
「あんたは大丈夫なの?」
母が私のはす向かいに座った亜季に声をかけた。
かすかにうなずく亜季。
その能面のような顔に表情はない。
今朝の亜季はキャラクターの絵柄の入った白いTシャツにショートパンツ姿である。
台所に隣接する居間に入ってきた彼女をひと目見た時、私はその色気に不吉な予感を覚えたものだった。
15歳になるかならないかのはずなのに、亜季は男と寝た直後の女のような一種異様な妖艶さを漂わせていた。
否が応でも昨夜のあのシーンを思い出す。
結局あの時、私はふたりに声をかけることもできずにこっそり退散してしまったのだったが、冷蔵庫の明かりの中に浮かび上がった彼女の艶めかしい肢体が、あれからずっと、まぶたの裏に焼き付いて離れないのだ。
「きょうも病院に行かなきゃならないんでしょ?」
「うん。でも、勇樹はちょっと無理みたい。もう少し様子を見ることにする」
「いったい何なんだろうね。川の水にウィルスでも混じってたとか?」
「そういえば、他の県でそんな事件もあったわね。湧き水からノロウィルスが検出されたんだっけ」
妹と母のやりとりを聞きながら、私はみそ汁を啜るふりをして、それとなく亜季を観察した。
ノロウィルスによる食中毒なら、症状は下痢と発熱が中心のはずである。
が、彼女はケロリとしていて健康そのもので、そのどちらも当てはまりそうもない。
昨夜の勇樹にしてもそうだ。
奇矯な行動を取ってはいたが、あの異常なまでの食欲は食中毒患者のものとはとても思えない。
「そういえばさ、あれ、勇樹だろ?」
考え込んでいると、突然母が言い出した。
「今朝見たら、冷蔵庫の中が空っぽになってて。なんだか、食べられそうなものは全部食べちゃったって感じ」
「どうして勇樹だとわかるの?」
「あの子は昔からそうだったじゃないか。うちに来ると勝手に冷蔵庫開けてさ、みんなのためにとってあったプリンやアイス、ひとりで全部平らげて」
「でも、それ、小さい頃の話でしょ?」
「いや、去年も、おととしもそうだった」
母が言い募るのを尻目に、小声でごちそうさま、とつぶやき、亜季が席を立つ。
食堂を出ていく後ろ姿はやはりもう、すっかり成人した若い娘のそれだ。
やり場のない焦燥感に駆られ、私も立ち上がった。
「ちょっと河原を見て来るよ。明日からお盆だから、しばらくの間、川に近づけなくなるだろ?」
「まあ、そんなしきたり守ってるの、わしら老人だけだけどね」
「川に入って変な病気もらってきたりしないでよ。これ以上病人が増えたら大変なんだから。それに、父さんにうつしたら最悪、死んじゃうかもしれないし」
「まあ、私はそれはそれでかまわないけどね。ひ、ひ、ひ、ひ」
「ちょっと、母さんったら!」
若いシングルマザーと老婆の会話を背中で聞き流しながら、家を出る。
まだ朝の8時だというのに外は暑く、ぎらつく太陽が、怒りに満ちた神の目か何かのように、わきあがる入道雲の間からじっとこちらを睨み下ろしていた。
「勇樹ったら、いくら呼んでも起きてこないのよ。よっぽど調子が悪いのかしら」
眉根を寄せて妹が誰にともなく言うと、
「あんたは大丈夫なの?」
母が私のはす向かいに座った亜季に声をかけた。
かすかにうなずく亜季。
その能面のような顔に表情はない。
今朝の亜季はキャラクターの絵柄の入った白いTシャツにショートパンツ姿である。
台所に隣接する居間に入ってきた彼女をひと目見た時、私はその色気に不吉な予感を覚えたものだった。
15歳になるかならないかのはずなのに、亜季は男と寝た直後の女のような一種異様な妖艶さを漂わせていた。
否が応でも昨夜のあのシーンを思い出す。
結局あの時、私はふたりに声をかけることもできずにこっそり退散してしまったのだったが、冷蔵庫の明かりの中に浮かび上がった彼女の艶めかしい肢体が、あれからずっと、まぶたの裏に焼き付いて離れないのだ。
「きょうも病院に行かなきゃならないんでしょ?」
「うん。でも、勇樹はちょっと無理みたい。もう少し様子を見ることにする」
「いったい何なんだろうね。川の水にウィルスでも混じってたとか?」
「そういえば、他の県でそんな事件もあったわね。湧き水からノロウィルスが検出されたんだっけ」
妹と母のやりとりを聞きながら、私はみそ汁を啜るふりをして、それとなく亜季を観察した。
ノロウィルスによる食中毒なら、症状は下痢と発熱が中心のはずである。
が、彼女はケロリとしていて健康そのもので、そのどちらも当てはまりそうもない。
昨夜の勇樹にしてもそうだ。
奇矯な行動を取ってはいたが、あの異常なまでの食欲は食中毒患者のものとはとても思えない。
「そういえばさ、あれ、勇樹だろ?」
考え込んでいると、突然母が言い出した。
「今朝見たら、冷蔵庫の中が空っぽになってて。なんだか、食べられそうなものは全部食べちゃったって感じ」
「どうして勇樹だとわかるの?」
「あの子は昔からそうだったじゃないか。うちに来ると勝手に冷蔵庫開けてさ、みんなのためにとってあったプリンやアイス、ひとりで全部平らげて」
「でも、それ、小さい頃の話でしょ?」
「いや、去年も、おととしもそうだった」
母が言い募るのを尻目に、小声でごちそうさま、とつぶやき、亜季が席を立つ。
食堂を出ていく後ろ姿はやはりもう、すっかり成人した若い娘のそれだ。
やり場のない焦燥感に駆られ、私も立ち上がった。
「ちょっと河原を見て来るよ。明日からお盆だから、しばらくの間、川に近づけなくなるだろ?」
「まあ、そんなしきたり守ってるの、わしら老人だけだけどね」
「川に入って変な病気もらってきたりしないでよ。これ以上病人が増えたら大変なんだから。それに、父さんにうつしたら最悪、死んじゃうかもしれないし」
「まあ、私はそれはそれでかまわないけどね。ひ、ひ、ひ、ひ」
「ちょっと、母さんったら!」
若いシングルマザーと老婆の会話を背中で聞き流しながら、家を出る。
まだ朝の8時だというのに外は暑く、ぎらつく太陽が、怒りに満ちた神の目か何かのように、わきあがる入道雲の間からじっとこちらを睨み下ろしていた。
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