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第273話 闇に這うもの(完結編)
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外は雨だ。
そういえば、今朝のニュースで梅雨入り宣言してたっけ…。
窓の外では、病院を囲む樹々が雨に打たれ、その向こうの車道では行き交う車が水飛沫を上げている。
「ありがとう」
かすれた声がしたので振り向くと、山形さんがベッドに身を起こし、僕のほうを見て微笑んでいた。
「気がついたの? よかった…」
僕は心底から安堵感が込み上げてくるのを感じ、思わず泣きそうになった。
あれから3日。
廃病院で僕らが見つけた死体は、その後の警察の調べで、近所で行方不明になっていた老女のものとわかった。
認知症の兆候があったのか、偶然あの病院に入り込み、そこで何らかの原因で息絶えてしまったらしい。
僕らは当然、住居不法侵入で取り調べられることになり、警察を筆頭に、周囲の大人たちからこってり絞られた。
問題は意識不明のまま病院に担ぎ込まれた山形さんだったけど、今、ようやく目覚めたというわけだ。
「和田君が助けてくれたんでしょ?」
山形さんの顔は少しやつれてはいるけれど、理知的で相変わらず美しい。
「覚えてるの? あの時のこと?」
「うん…ぼんやりと、だけど」
「大変だったね」
無意識のうちに、山形さんの手を取っていた。
どちらかといえば引っ込み思案な僕には、珍しく積極性のある行動だ。
白魚のような、という形容がぴったりのその白くしなやかな指は、なぜだかじっとりと湿っている。
「うん…でも、もう、大丈夫」
言いながら、何かを探すように周囲を見回す山形さん。
「何か欲しい?」
僕が訊くと、
「…水」
小声で答えた。
「ここ、空気が乾燥しているのかな。喉が渇いて、仕方ないの」
「空調のせいだろうね。ちょっと待ってて」
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出してきて渡すと、キャップをはずすのももどかしく、すごい勢いで飲み始めた。
「おいしい…。もう1本、もらえるかな」
「あ、ああ」
2本目もあっという間だった。
「まだ、ある?」
「う、うん…」
4本目にかかった時だった。
山形さんの顔の皮膚から油みたいな液体が湧き出して、だらだら流れ始めた。
なんだか顏の輪郭自体があいまいになって、ゼリーみたいに歪んでいく。
そのうちに、柔らかくなった眼窩からまん丸の眼球がぐりぐりせり出して、にゅうっと上へ伸び始めた。
「や、山形、さん…」
腰を抜かした僕を、細長い柄の先についたふたつの眼球で見下ろして、くぐもった声で”それ”が言った。
「まだ、足りない…。もっと、お水を…」
「い、今、買ってくるから、ちょ、ちょっと、待ってて」
ひきつった笑いを顔に浮かべ、僕は立ち上がった。
「あ・り・が・とォ…」
ベッドの中から答えたのは、山形さんとは似ても似つかぬ生き物だった。
あり得ないことだけど…。
それは、病衣に身を包んだ等身大のナメクジだったのだ。
そういえば、今朝のニュースで梅雨入り宣言してたっけ…。
窓の外では、病院を囲む樹々が雨に打たれ、その向こうの車道では行き交う車が水飛沫を上げている。
「ありがとう」
かすれた声がしたので振り向くと、山形さんがベッドに身を起こし、僕のほうを見て微笑んでいた。
「気がついたの? よかった…」
僕は心底から安堵感が込み上げてくるのを感じ、思わず泣きそうになった。
あれから3日。
廃病院で僕らが見つけた死体は、その後の警察の調べで、近所で行方不明になっていた老女のものとわかった。
認知症の兆候があったのか、偶然あの病院に入り込み、そこで何らかの原因で息絶えてしまったらしい。
僕らは当然、住居不法侵入で取り調べられることになり、警察を筆頭に、周囲の大人たちからこってり絞られた。
問題は意識不明のまま病院に担ぎ込まれた山形さんだったけど、今、ようやく目覚めたというわけだ。
「和田君が助けてくれたんでしょ?」
山形さんの顔は少しやつれてはいるけれど、理知的で相変わらず美しい。
「覚えてるの? あの時のこと?」
「うん…ぼんやりと、だけど」
「大変だったね」
無意識のうちに、山形さんの手を取っていた。
どちらかといえば引っ込み思案な僕には、珍しく積極性のある行動だ。
白魚のような、という形容がぴったりのその白くしなやかな指は、なぜだかじっとりと湿っている。
「うん…でも、もう、大丈夫」
言いながら、何かを探すように周囲を見回す山形さん。
「何か欲しい?」
僕が訊くと、
「…水」
小声で答えた。
「ここ、空気が乾燥しているのかな。喉が渇いて、仕方ないの」
「空調のせいだろうね。ちょっと待ってて」
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを出してきて渡すと、キャップをはずすのももどかしく、すごい勢いで飲み始めた。
「おいしい…。もう1本、もらえるかな」
「あ、ああ」
2本目もあっという間だった。
「まだ、ある?」
「う、うん…」
4本目にかかった時だった。
山形さんの顔の皮膚から油みたいな液体が湧き出して、だらだら流れ始めた。
なんだか顏の輪郭自体があいまいになって、ゼリーみたいに歪んでいく。
そのうちに、柔らかくなった眼窩からまん丸の眼球がぐりぐりせり出して、にゅうっと上へ伸び始めた。
「や、山形、さん…」
腰を抜かした僕を、細長い柄の先についたふたつの眼球で見下ろして、くぐもった声で”それ”が言った。
「まだ、足りない…。もっと、お水を…」
「い、今、買ってくるから、ちょ、ちょっと、待ってて」
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「あ・り・が・とォ…」
ベッドの中から答えたのは、山形さんとは似ても似つかぬ生き物だった。
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