上 下
194 / 463
第9部 倒錯のイグニス

#194 生誕の秘密①

しおりを挟む
 家に帰る頃には、すでに日が暮れかけていた。
 腰の高さまでしかない跳ね戸を押し開け、杏里は前庭に立って暮れなずむ空を見上げた。
 平屋建ての杏里の家は、森に囲まれている。
 うっそうとした木々の背後になだらかな山並みが見え、沈む夕陽の残光を浴び、その稜線がオレンジ色に輝いていた。
 10月も中旬となると、この時間帯から風も急に冷たくなる。
 私は何者なのか。
 その思いが、杏里の心をかき乱していた。
 帰りのバスの中でいつものように痴漢たちに絡まれ、身体中をまさぐられたようだが、それもほとんど覚えていない。
 ただ、制服のスカートに新しい精液がこびりついていることから、そんなこともあったのかと思う程度である。
 タナトスはただの道具に過ぎない。
 死んだばかりの人間の肉体に外来種のミトコンドリアを移植して蘇生させた、フランケンシュタインのようなものだ。
 でも、もし人間として生きていた時の記憶が、蘇生後も残っているのだとしたら…。
 私は、”何者でもない”状態から、抜け出せるかもしれない。
 そのためにも、知りたいと思う。
 それがどんなに悲惨な前世でもかまわない。
 私はどんな境遇で育ったのか。
 父と母はどんな人物だったのか。
 そして、優しかった姉との関係は…。
 玄関に埃だらけの革靴が転がっていた。
 小田切が帰っているのだ。
「しょうがない人」
 杏里は靴を拾い上げ、ハンカチで表面の汚れをぬぐうと、きちんとそろえて靴箱に入れた。
「杏里か」
 茶の間に続く引き戸を開ける前に、小田切の声が飛んできた。
「遅かったな。また何かあったのか」
「まあね。でも、心配しないで。たいしたことないから」
 茶の間に上がり、卓袱台をはさんで小田切の正面に座った。
 小田切は珍しくテレビを見ているところだった。
 ローカルニュースの時間らしく、見覚えのあるアナウンサーが興奮気味に何かわめきたてている。
「まさかとは思うが、おまえ、この事件に巻き込まれてたんじゃないだろうな?」
 眼鏡の奥から、小田切の眼が探るように杏里を見た。
 テレビ画面に映っているのは、今さっき後にしてきたばかりのあの商業施設である。
 それを横目で見て確かめると、ぶっきらぼうに杏里は言い返した。
「そうだと言ったら?」
「やっぱりな」
 呆れたように肩でため息をつく小田切。
「そんなことじゃないかと思ったよ。さてはまた、外来種か?」
「違う。ただの通り魔。けど、他己破壊衝動がMAXまで高まってた」
「浄化したのか?」
「うん。たぶん、あいつ、もう二度と射精できないと思う」
 卓袱台の上のミカンの皿に手を伸ばし、杏里は答えた。
「どうりで臭うはずだ。しかし、女子中学生が軽々しく射精とか口にするなよな」
 染みだらけの杏里の制服を一瞥して、小田切がまたため息をつく。
「だって、じゃ、なんて言えばいいの? 射精は射精じゃない」
 むくれてみせる南里。
 小田切が憮然とした表情で、話題を変えた。
「それで、レイプでもさせたのか?」
 『された』ではなく、『させた』と表現したのは、杏里のことを知り尽くした小田切ならではである。
「挿入はなし。何か所か、ナイフで刺されたけどね」
「射精の次は挿入ときたか。まったく、なんてやつだ。それじゃ、可愛い顔が台無しだろう?」
「ふふん、一応、可愛いって認めてくれてるんだ」
「それもタナトスの属性のひとつだからな。しかし、それにしてはおまえ、えらく落ち着いてるな」
「だって、今の私は、ほら、あれだから」
「最強のプラナリア状態というわけか」
「その言い方、嫌い」
「まあ、とにかく無事でよかったよ」
 小田切も、杏里につられたように、ミカンを口に放り込む。
「それより、会っちゃった」
 ミカンで腹がくちくなると、何気ない口調で杏里は切り出した。
「私の産みの親だっていう、おじいさん。確か、富樫って名字だった」
「富樫?」
 とたんに小田切の声が尖った。
「富樫博士か? タナトス研究の第一人者の」
「ラボは、もうやめたって言ってた。勇次、なにか知ってるんでしょ?」
「詳しくは知らない。俺は下っ端だからな。なんでも、委員会のラボを抜け出して、そのまま行方不明になったとか…。数か月前のことだ」
「ラボって、どこにあるの? 本部には、それっぽい施設はなかったみたいだけど」
 杏里の問いに、小田切の眉がかすかに動いた。
「知らなかったのか? 自分の生まれた場所なのに。北海道だよ」
「北海道?」
「外来種の襲撃も受けにくいし、気候的にも向いてるんだろう。詳しい場所は、俺も知らないが」
 そんなに遠いのか。
 杏里は落胆した。
 校長の大山から、明日は学校を休むように言われている。
 その空いた時間を利用して、調べに行こうと思っていたのだ。
 が、ラボの所在地が北海道では、それも無理だった。
 日帰りで往復できる距離ではないし、第一、旅費がない。
「それから、孫をよろしくとか言ってたけど、あれはどういう意味だったのかな?」
「富樫博士の孫?」
 小田切の眉間にしわが寄る。
「待てよ。今まで気づかなかったが、富樫って名字、どっかで聞いたことないか?」
「あ」
 杏里は口に手を当てた。
 まさか。
 でも、そんなことって、あるだろうか?
「そうだ。そういうことだ」
 杏里の驚きの表情を見て、小田切がうなずいた。
「博士はおまえに、パートナーとして、最強のパトスをつけたかったんだ」




 

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

女子に虐められる僕

大衆娯楽
主人公が女子校生にいじめられて堕ちていく話です。恥辱、強制女装、女性からのいじめなど好きな方どうぞ

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

JOLENEジョリーン・鬼屋は人を許さない 『こわい』です。気を緩めると巻き込まれます。

尾駮アスマ(オブチアスマ おぶちあすま)
ホラー
ホラー・ミステリー+ファンタジー作品です。残酷描写ありです。苦手な方は御注意ください。 完全フィクション作品です。 実在する個人・団体等とは一切関係ありません。 あらすじ 趣味で怪談を集めていた主人公は、ある取材で怪しい物件での出来事を知る。 そして、その建物について探り始める。 あぁそうさ下らねぇ文章で何が小説だ的なダラダラした展開が 要所要所の事件の連続で主人公は性格が変わって行くわ だんだーん強くうぅううー・・・大変なことになりすすぅーあうあうっうー めちゃくちゃなラストに向かって、是非よんでくだせぇ・・・・え、あうあう 読みやすいように、わざと行間を開けて執筆しています。 もしよければお気に入り登録・イイネ・感想など、よろしくお願いいたします。 大変励みになります。 ありがとうございます。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

就職面接の感ドコロ!?

フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。 学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。 その業務ストレスのせいだろうか。 ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。

処理中です...