182 / 463
第9部 倒錯のイグニス
#182 イベント準備⑨
しおりを挟む
「カラオケルームね?」
杏里が訊くと、ルナがうなずいた。
「港の近くに新しい店ができたらしい。一度行ってみたいと思ってた」
もっくんの店の更衣室から連想したのだろう、と杏里は思った。
ルナとカラオケというのは、なんだか合わない気もする。
シンガポールからやってきたという、スタイリッシュな美少女、ルナ。
その怜悧な美貌は、ロシア人の血を引いているのではないかと、ひそかに杏里は思っている。
考えてみると、不思議な成り行きだった。
手加減をせず念動力をふるうせいで、最初のうちは怖くて近寄り難かったルナ。
そのルナが、いつのまにか由羅に代わってパートナーの座につき、しかも杏里に恋焦がれているのだ。
あまつさえ、不純な目的でカラオケルームへ誘ってくるのだから、ある意味苦笑を禁じえなかった。
「それならチラシで見た気がする。あ、ちょうどいいから、何か食べよっか。私、カラオケルームで食べるフライドポテトと唐揚げ、大好き」
表面的には、いかにも女子中学生らしい、のどかな会話である。
だが、その割にはルナの顔は緊張に張り詰めたままだ。
「食べて、歌って、踊って、踊りながらするの」
いたずらっぽい目でルナを見つめて、杏里は言った。
「どうせなら愉しみましょ。だからいつまでも、そんなこわい顔してないの」
市の南側に位置する商業港周辺は、最近再開発が進んでいて、アウトレットをはじめとするレジャー施設の進出が著しい。
その駐車場に大型のワゴン車を止めると、百足丸は後部座席を振り返った。
「おまえたちはここで待ってろ。あのサイキッカーに気づかれたら一巻の終わりだ。俺がやつをここに運んでくるから、それまでは動くんじゃない」
何人もの人影が無言でうなずいた。
井沢に借りてきた”作業員”たちである。
全員優生種だから身体能力は申し分ないが、それだけで念動力に太刀打ちできるとはとても思えない。
百足丸が車を降りると、反対側からベージュのコートをまとったサングラスの女が降り立った。
ショートボブの髪型に大きめのイヤリング。
見る者をそそらずにはいられない、形のいい白く華奢な首。
コートからのぞく足首は細く、きゅっと締まっている。
「井沢さん抜きで、本当にうまくいくかしら?」
百足丸と向かい合うと、少しかすれた声でヤチカが言った。
サングラスに顔半分が隠れているせいで、どんな表情をしているのかまでは、わからない。
が、その口調に揶揄するような響きを感じ取り、百足丸は少なからずむっとした。
「あの零を捕獲したのは、この俺だ。駆け出しのパトスなんて、別にこわかねえよ」
半分、空威張りだった。
正直、こわい。
どうやったら射程内に近づけるか、その不安で頭が一杯だ。
「そうだったわね。ふたりほど、犠牲を出したようだけど」
ヤチカが皮肉混じりにつぶやいた。
「今度は綺麗に片づけてみせるさ。この人混みの中だ。いくらルナだって、むやみに力を使ったりしないはずだ」
アウトレットにひしめく人の群れを見やって、百足丸は言った。
杏里の動向を監視していた”瞑想室”から突然命令が下ったのは、ついさっきのことだ。
杏里とルナが港の複合施設に向かっている。
拉致のチャンスだ。
すぐに行動に移れ。
と、そういうわけだった。
拉致の対象は、タナトスの杏里ではなく、パトスの富樫ルナ。
イベントの前に、障害物を排除するのが目的だという。
「杏里のほうはいいのか? 元はと言えば、そっちが本命のはずだろう?」
ケータイに電話をかけてきた井沢に、百足丸はそう疑問をぶつけたものだった。
杏里とルナが工房にやってきた時、あえてヤチカに追い返させたのは、ルナの暴発を警戒してのことである。
杏里を放っておいて、その危険極まりないルナを捕まえて来いとは、これはいったいどういうことなのか?
「ばあさんとも話したんだが、イベント後の杏里を見てみたいんだ。彼女は日に日に進化しているようだ。今度の大イベントで、その肉体にどんな変化が訪れるのか…。拉致はそれを確認してからでも十分だということになってね。それには、先に邪魔者を排除しておかねばならない、とまあ、そういうわけさ」
「あんたは来ないのか? あんたの邪眼を使えば、たとえサイキッカーでも、簡単に無効化できるだろう?」
「俺はできるだけ目立ちたくないんだ。いつか、杏里の前に、足長おじさんみたいに味方のふりをして現れる。そんな可能性も残しておきたいのさ。それに、ルナの排除は、おまえとヤチカに任せたと言ったはずだろう?」
「こんなに早いとは思わなかった。相変わらず勝手なやつだ」
「ヤチカがいるから大丈夫だろう。今の杏里に対抗できるのは、ヤチカしかいない。ヤチカが杏里を牽制している間に、おまえがルナにとどめを刺す。それでめでたく、ジ・エンドさ」
「その後はどうする? 本部に連れ帰って、殺すのか?」
百足丸は、いつか画像で見たルナの美貌を思い出し、少し嫌な気分になった。
「いや」
スマホを通して、井沢が含み笑いする気配が伝わってきた。
「調教する。調教して、こっちの手駒にしてやるんだよ」
杏里が訊くと、ルナがうなずいた。
「港の近くに新しい店ができたらしい。一度行ってみたいと思ってた」
もっくんの店の更衣室から連想したのだろう、と杏里は思った。
ルナとカラオケというのは、なんだか合わない気もする。
シンガポールからやってきたという、スタイリッシュな美少女、ルナ。
その怜悧な美貌は、ロシア人の血を引いているのではないかと、ひそかに杏里は思っている。
考えてみると、不思議な成り行きだった。
手加減をせず念動力をふるうせいで、最初のうちは怖くて近寄り難かったルナ。
そのルナが、いつのまにか由羅に代わってパートナーの座につき、しかも杏里に恋焦がれているのだ。
あまつさえ、不純な目的でカラオケルームへ誘ってくるのだから、ある意味苦笑を禁じえなかった。
「それならチラシで見た気がする。あ、ちょうどいいから、何か食べよっか。私、カラオケルームで食べるフライドポテトと唐揚げ、大好き」
表面的には、いかにも女子中学生らしい、のどかな会話である。
だが、その割にはルナの顔は緊張に張り詰めたままだ。
「食べて、歌って、踊って、踊りながらするの」
いたずらっぽい目でルナを見つめて、杏里は言った。
「どうせなら愉しみましょ。だからいつまでも、そんなこわい顔してないの」
市の南側に位置する商業港周辺は、最近再開発が進んでいて、アウトレットをはじめとするレジャー施設の進出が著しい。
その駐車場に大型のワゴン車を止めると、百足丸は後部座席を振り返った。
「おまえたちはここで待ってろ。あのサイキッカーに気づかれたら一巻の終わりだ。俺がやつをここに運んでくるから、それまでは動くんじゃない」
何人もの人影が無言でうなずいた。
井沢に借りてきた”作業員”たちである。
全員優生種だから身体能力は申し分ないが、それだけで念動力に太刀打ちできるとはとても思えない。
百足丸が車を降りると、反対側からベージュのコートをまとったサングラスの女が降り立った。
ショートボブの髪型に大きめのイヤリング。
見る者をそそらずにはいられない、形のいい白く華奢な首。
コートからのぞく足首は細く、きゅっと締まっている。
「井沢さん抜きで、本当にうまくいくかしら?」
百足丸と向かい合うと、少しかすれた声でヤチカが言った。
サングラスに顔半分が隠れているせいで、どんな表情をしているのかまでは、わからない。
が、その口調に揶揄するような響きを感じ取り、百足丸は少なからずむっとした。
「あの零を捕獲したのは、この俺だ。駆け出しのパトスなんて、別にこわかねえよ」
半分、空威張りだった。
正直、こわい。
どうやったら射程内に近づけるか、その不安で頭が一杯だ。
「そうだったわね。ふたりほど、犠牲を出したようだけど」
ヤチカが皮肉混じりにつぶやいた。
「今度は綺麗に片づけてみせるさ。この人混みの中だ。いくらルナだって、むやみに力を使ったりしないはずだ」
アウトレットにひしめく人の群れを見やって、百足丸は言った。
杏里の動向を監視していた”瞑想室”から突然命令が下ったのは、ついさっきのことだ。
杏里とルナが港の複合施設に向かっている。
拉致のチャンスだ。
すぐに行動に移れ。
と、そういうわけだった。
拉致の対象は、タナトスの杏里ではなく、パトスの富樫ルナ。
イベントの前に、障害物を排除するのが目的だという。
「杏里のほうはいいのか? 元はと言えば、そっちが本命のはずだろう?」
ケータイに電話をかけてきた井沢に、百足丸はそう疑問をぶつけたものだった。
杏里とルナが工房にやってきた時、あえてヤチカに追い返させたのは、ルナの暴発を警戒してのことである。
杏里を放っておいて、その危険極まりないルナを捕まえて来いとは、これはいったいどういうことなのか?
「ばあさんとも話したんだが、イベント後の杏里を見てみたいんだ。彼女は日に日に進化しているようだ。今度の大イベントで、その肉体にどんな変化が訪れるのか…。拉致はそれを確認してからでも十分だということになってね。それには、先に邪魔者を排除しておかねばならない、とまあ、そういうわけさ」
「あんたは来ないのか? あんたの邪眼を使えば、たとえサイキッカーでも、簡単に無効化できるだろう?」
「俺はできるだけ目立ちたくないんだ。いつか、杏里の前に、足長おじさんみたいに味方のふりをして現れる。そんな可能性も残しておきたいのさ。それに、ルナの排除は、おまえとヤチカに任せたと言ったはずだろう?」
「こんなに早いとは思わなかった。相変わらず勝手なやつだ」
「ヤチカがいるから大丈夫だろう。今の杏里に対抗できるのは、ヤチカしかいない。ヤチカが杏里を牽制している間に、おまえがルナにとどめを刺す。それでめでたく、ジ・エンドさ」
「その後はどうする? 本部に連れ帰って、殺すのか?」
百足丸は、いつか画像で見たルナの美貌を思い出し、少し嫌な気分になった。
「いや」
スマホを通して、井沢が含み笑いする気配が伝わってきた。
「調教する。調教して、こっちの手駒にしてやるんだよ」
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる