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第9部 倒錯のイグニス

#180 イベント準備⑦

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 タナトスに生殖能力はない。
 だからいくら”中出し”されても妊娠の危険はないのだが、そのままにしておくのはさすがに気持ち悪かった。
 ウェットティッシュを指に巻きつけ、膣の内側から残存する精液を拭い去った。
 身体中にこびりついた愛液と防護液もふき取ると、床の上にたちまちテッシュの山ができた。
 ウェットティッシュは杏里の必需品である。
 だからいつも、リュックに複数のパックを忍ばせている。
 それを全部使い切ると、ようやくさっぱりした気分になれた。
 元のように下着をつけ、ブラウスを羽織り、ボタンを留める。
 スカートを穿いて、ファスナーを上げ、位置を調節した。
 ワインレッドのネクタイを首に巻き、ブレザーを羽織る。
 着替える杏里を、大山と前原が憑かれたように眺めていた。
 髪の毛を手で整えると、杏里は視聴覚室を出た。
 廊下を歩き出そうとした時である。
 後ろの引き戸が開いて、すらりとした人影が杏里の前に立ちふさがった。
 窓から射し込む秋の午後の陽に、ブロンドの髪がまばゆく輝いた。
「ルナ…」
 さすがに杏里は驚いた。
「ルナも…ここにいたの?」
 全然気づかなかった。
 おそらくルナは、ブースのひとつに潜み、息を殺して杏里の動向をうかがっていたのだろう。
 浄化を恐れて、大山と前原がブースに隠れていたように。
 杏里の問いにも、ルナは何も言わなかった。
 ただ、強いまなざしで正面から杏里を見つめているだけだ。
「見ちゃった?」
 気まずい思いで、杏里はたずねた。
 視聴覚室の各ブースには、1台ずつノートパソコンが置かれている。
 その1台1台に、あの映像が生中継されていたとしたら…。
 ルナも、当然、杏里アキラの痴態をつぶさに目撃しているに違いない。
 まったく、どういうつもりで、大山はルナを呼んだのだろう?
 杏里は腹立たしさを覚えずにはいられなかった。
 ルナはタナトスらしさを前面に出した時の杏里を嫌悪しているのだ。
 これではまるで、仲違いしろと言っているようなものではないか。
 その時になって初めて、杏里は廊下の窓がびりびり振動していることに気づいた。
 風もないのに、窓という窓が鳴っている。
 まるで音叉のように、高周波を発して細かく震えているのだ。
「杏里…」
 苦しげに顔を歪めてルナが言ったのは、杏里が不安に駆られて周囲を見回した時である。
「わたしはもう…おまえを守ってやる自信がない」
 その悲痛な声に、杏里は再びルナに目を向けた。
 杏里を見つめ返すルナのアクアマリンの瞳に浮かんでいるのは、ひどく切実な何かだった。
「私を見捨てるって、そう言いたいの? こんなにふしだらな女だから?」
 怒りをこめて、言い返す。
 いくらなじられたって、仕方がないのだ。
 私はタナトスなのだから。
 普通の人間の女とは、生まれながらにして違うのだから。
「そうじゃない…。でも、このままでは、わたしは嫉妬でおかしくなってしまう」
 すすり泣くようなルナの言葉とともに、一番近いガラスが割れた。
 縦横にひびが入ったかと思うと、次の瞬間、粉々に吹き飛んだ。
 パリン、パリン、パリン、
 それを皮切りにして、次から次へと窓ガラスが割れていく。
 ポルターガイスト現象。
 不安定なルナの精神が、周りの物体に影響を及ぼしている…。
「私に、どうしろっていうの?」
 投げやりな口調で、杏里は言った。
「ルナが何と言ったって、私はセックスをやめないよ?」
「そんなことはわかってる。百も承知だ」
 ルナが語気を強めた。
 恨むような眼で杏里をにらみつけ、喉の奥から声をしぼり出した。
「だから、これ以上悩まなくて済むよう、私を浄化してほしいんだ。おまえに骨抜きにされた、さっきのあの男みたいに、頭も身体も、めちゃくちゃになるまで」









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