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追憶

追憶⑩

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タケルとの電話を切ったあと、莉奈ちゃんにお礼を言いたくて電話をかけた。
コール音を何回か聞いて電話を切った。すぐに知らせたくて、タケルから電話がきたことをメッセージで送った。
1階から玄関のドアを開ける音が聞こえた、父が帰ってきたみたいだ。
階段を下りていくと父は額の汗を拭いながらやれやれといった感じの笑顔を見せた。
「おかえり」
「ただいま。久しぶりだな」
「うん」
「元気にしてたか?」
「元気だよ」
「なんか嬉しそうだな」
「そう?」
「彼氏でもいるのか?」
「…お父さんまで何言ってるの」
「母さんもそう聞いたのか?」
「うん」
「お前、明日長野に戻るんだよな」
「そうだよ」
「ゆっくり風呂に浸かってる時間はないな。ぱっとシャワー浴びて来るから、飯一緒に食べよう」
「そのつもりだよ」
「そうか、先食べててもいいぞ」
「待っとく」
「じゃ、急いでいってくるか」
父は張り切って風呂場へ行った。


父がシャワーを浴びて戻って来ると、母が用意してくれたおかずいっぱいの豪華な夕飯を食べながら近況について話した。と言ってもタケルのことを話すことはなく、柳瀬さん夫婦にお世話になっていることや会社の後輩の宮園さんについてだ。
父も母も嬉しそうに聞いてくれた。おかずもだいぶ減ったところで母が突然言った。
「夕夏、あの事お父さんに聞かなくていいの?」
「あの事って?」
「ほら、隆平君が紹介したいって言ってる仕事」
「え、お母さん知ってたの?」
「先週そこで隆平君と会ってそのときに言われたのよ、夕夏に聞いてみてもいいですかって」
「そうだったんだ」
「何だ?」
父が手元のビールを飲み干し2本目の缶を開けながら聞いた。
「隆平の知り合いが会社作るらしくて、そこで事務しないかって言われたの」
「へえ、何の会社なんだ?」
「ショッピングサイトの立ち上げって言ってた」
「おっ。面白そうだな」
父の反応に違和感を持った。母を見たけど特に何も気にならなかったみたいだ。
「でも会社ってこっちの方だよ?」
「まあ、若いうちは何でもやってみたらいいんじゃないか」
そう言って父はビールを喉越し良さそうに飲んだ。テレビで野球の試合が始まり、意識はそっちに向いたようだ。
私は疑問に思いながら残りのご飯を食べ、ごちそう様と言ったあと父へ質問を投げかけた。
「お父さん」
「んー?」
「私が今の会社辞めても気にしないの?」
「そうだな」
「知り合いの社長さんに頼んでもらって入ったのに?」
「ちゃんとした理由があって辞めるんなら別にいいんじゃないか」
父はテレビ画面に顔を向けたまま言った。
別に辞めようと思ってる訳でもないし、一応聞いてみただけだった。食器を流しへ運ぶと母がアイスを準備してくれていた。
「これ、近所の人がみんな美味しいって言ってるアイスなんだけど、ほんとに美味しいから食べてみて」
「そうなんだ」
母は私と父の分で2つ、アイスのカップを渡してくれた。そして小さな声でにこやかに言った。
「お父さん、あんたがこっちに戻ってくるんじゃないかって期待してるのよ」
「地方に行った娘を応援するのが普通じゃないの?」
「結局は寂しいのよ。この前なんか、いつかお嫁に行ったらもっと会えなくなるわねって言ったら拗ねちゃったんだから」
「ふーん」
Tシャツを着た父の背中を眺めた。何気ない感じで言ってるようで、そんな本音があるなんて意外だった。
アイスは評判通り美味しい。昼は桃のタルトを食べて、夜は桃のアイスを食べている。そんなことを思いながら平凡な1日の終わりを満喫した。

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