ゴールドレイン

小夏 つきひ

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東京

東京⑫

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「弟さん、名前なんていうんですか?」
「アヤト」
「この望遠鏡、アヤト君が使ってたんですよね?」
晴喜は本棚の方を向いて本を探す仕草をした。
「あいつはこれを受け取る前に死んじまったんだ。車に跳ねられてさ」
「……」
拓人は言葉を失った。晴喜が一冊の本を取り出し勉強机の上で開いた。本には銀河の写真が大きく載っている。
「あいつがさ、いっつもこの本めくっては空ばっか見てたから、年の離れた兄貴としてたまにはでかいプレゼントでもしてやろうって思って買ったんだ。そしたら母親から急に連絡があって…」
ページをめくっていた手が止まった。何かに吸い込まれそうな恐怖を感じたように見えた。
「翌年中学に上がる予定だった。いつのまにか親父は家を出ちまって母親は1人で暮らしてたんだ」
「お父さんはどこにいるんですか?」
「わからない。俺もその頃にはカメラの仕事で忙しくしてて、実家にいなかったんだ。母親も俺にはあんまり言わないタイプだから詳しくは知らない」
晴喜は本を閉じると窓の方へ行き鍵を開けた。窓から風が入ってきた。初夏の日差しが部屋のカーペットをはっきりと照らしている。
「母親が入院してからは時々喚起しにこの家に来てたんだけど、それももうしなくてよくなる」
「どういうことですか?」
「この家は売ることにした」
「…」
「もしかしたら母親が退院する日がきてまたここに住むかもしれないって思ってたけど、もういなくなっちまったしな。これで少しはお前の気持ちがわかるよ」
晴喜は力なく笑った。
「この部屋暑いな。あとで望遠鏡は箱に詰めるとして、一旦降りるか」
「…はい」
後ろに続いて部屋を出た。ドアを閉める際にもう一度部屋の中を見渡した。誰がいるというわけでもないが、不思議な空間に見えた。


ダイニングに戻り、大分減っていた麦茶のグラスを見て晴喜は冷蔵庫からペットボトルを取り出した。時計を見ると2時半を過ぎたところだった。
「昼飯食ったか?」
「はい」
「そうか。そういえば瑠香から連絡があったんだけど、知り合いのカメラマン紹介したいって言われてんだって?」
「はい。でも断りました」
「なんで?」
「俺は晴喜さんに教わりたいんです」
「ほんとにそれだけの理由なのか?」
「はい」
「ありがとな。これは俺からの提案だけど、瑠香の言ってるカメラマンに暫く世話になったらどうかな?」
「なんでですか?」
「俺は当分手続きとかこの家のことで忙しくなるし、それによって詰まる仕事も色々あるから」
「だったら落ち着くまで待ちます」
「駄目だ。お前は今、年齢的にも吸収しやすい時期なんだ。だからチャンスを逃がさないでほしい」
「でも」
「もちろん何歳だろうと挑戦できるし学ぶこともできる。ただ、早くからどれだけ多く経験を重ねられるかによっていろんなことが変わってくるんだ。俺が時々教えるくらいじゃまったく足りない」
「…落ち着いたらまた、晴喜さんに教わることもできますか?」
「ああ。お前を突き放そうとしてるわけじゃないよ。それに、瑠香に言われたからでもない」
真剣だった晴喜の眼差しは柔らかなものとなった。
「それなら…」
拓人は一瞬覚えた不安を拭おうとゆっくり息を吸った。


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