ゴールドレイン

小夏 つきひ

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咲④

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「何しよるんや?」
目の前の影は多重子のようだ。
「お茶飲んでました」
暗闇に目が慣れると一瞬多重子の瞳が見えた。
「他の部屋に入るなよ」
「はい」
影は動かない。拓人は歩き出した。自分の部屋の襖を開け、横目で向こう側を見た。あまりに暗くその姿がまだそこにあるかはわからなかった。
布団に入り耳を澄ませると、尖った音が聞こえた。多重子が襖を閉めたようだ。何故か恐怖が込み上げる、拓人は頭に布団を被りその理由を考えた。
-----あの低くしわがれた声は聞き覚えがある。


久しぶり、と多重子に声を掛けていた近隣の住人達は1週間も経つと訪ねて来なくなった。そして、多重子が夜になっても帰らない日が続いた。由雄は無口でいるものの、毎回2人分の食事を用意した。最初は自分の存在をないものとされているような気がした拓人は由雄を信用した。無機質な感じのする多重子よりは安心できる存在だと思った。
4日ぶりに帰ってきた多重子は疲れた様子だった。時々不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、拓人の顔を見た。
学校の生徒達は拓人に話しかけることが少なくなった。遊びに誘う度に断られることで愛想が尽きた者もいる。家の事情を聞かれたくない拓人はできるだけ人との関わりを避けた。そうするとやはり周りの生徒からの視線は段々そっけないものとなり、担任の宮田は遠巻きに見守った。
隣にいる比嘉悠真は一度も話しかけてこない。だが、拓人にとってはそれが有り難いようでもあった。
家に帰っても拓人には娯楽が何もない。居間にはテレビがあるが畑で仕事をする由雄が帰って来ると常に野球やニュースが流れている。
そしていつしか学校の帰りに辺りを散策するようになった。最近見つけて気に入ったのは、ある田んぼの畦道をまっすぐ歩いたところにある広い草原くさはらだ。何もない故に誰も来ない場所だとわかった。目をよく凝らすと小さな花が咲いていたり、カマキリやバッタがいることに気が付いた。仰向けになれば空が広く、風の音が自由を想像させる。大したものは何もない、それでも拓人は自分を癒すものが見つかったことに小さな喜びを感じた。心が軽くなった途端、なぜか咲の姿が浮かんだ。咲はあれから話しかけてこない。教室以外で目が合うことは時々あった、その度に咲は笑みを見せる。拓人はこれまでに見たことのない不思議な雰囲気を持った咲に興味を持った。


「今日から自分の部屋で食べなさい」
仮面のような笑顔で多重子が言った。食卓に座ろうとした拓人が渡されたのはいつものご飯茶碗だ。
「部屋で?」
「そうや」
白飯が盛られた茶碗と箸を持ち、おかずをどうすればいいのか迷った。
「何してんの、はよ行き」
拓人は目を泳がせた。
「聞こえんの?」
「…」
「いただきますは?」
「いただきます」
部屋へ向かった。心臓が妙な音を立てている。
部屋のドアを閉めるとき、茶がないことに気が付いた。茶碗を畳に置いて再び台所へ行った。

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