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彼岸花をあなたに
しおりを挟むこれは、僕が記者を辞めるきっかけになった、最後の取材者の話。
『彼岸花をあなたに』
齢80にもなる資産家の男が、60程歳下の女性と結婚した3ヶ月後に息を引き取った。
そりゃあマスコミは格好の餌だと言わんばかりにその2人に群がって、かくいう僕もその中の1人であったわけだけど。
男の死因は心臓発作。
やれ妻が殺害を企んだだのなんだの盛り上がりを見せる中、医学的には本当に外因のない心臓発作で、それでも一度盛り上がりを見せたマスコミはあれやこれやと女性を叩く。
遺産欲しさにやったんだ、どうにかこうにか殺したんだ、遺産のために結婚したんだ。
言いたい放題言われて、SNSでも叩かれて、それでも着丈に笑う女性をマスコミや大衆はここぞとばかりに食い物にした。
僕は、そんな彼女の真意が知りたくて。
なんの気はなしに申し込んだ取材を受けてくれた時は心臓が飛び出るかと思った。
「何故、いろんな取材を断る中、僕の取材を受けてくれたんですか?」
売れてる雑誌ではない、三流の記者の僕の取材に。
そう尋ねる僕に、妻である美しい女性は微笑んだ。
「あなたが、1番私に興味がなさそうでしたので」
物静かな声が紡ぐ。
にこりと笑った笑顔はこの世のものとは思えないくらい美しくて、僕は思わず息を飲んだ。
「…では、質問をしていきます。旦那さんとは、どういう出会いだったんでしょう?」
「あの人とは、私が小学生の時に知り合ったのです。まぁ、知り合ったと言っても彼は覚えていないでしょうけど…」
彼女はぽつらぽつらと話し出した。
「当時親から虐待を受けていた私は、今よりもずっとずっと汚かったわ。お風呂にも入れてもらえなくて、当たり前のように学校でもいじめられていた。毎日毎日死にたいなんて思ってて、でも死ぬ勇気もなくて。そんなところで出会ったのがあの人だった。公園でぼーっとしていた私に、話しかけてくれたの」
「…松川さんは、なんと?」
「君みたいな綺麗な女性がこんなところに1人でいたら、私みたいな悪い男に連れて行かれちゃうよ。」
「松川さんらしいですね、」
「えぇ。こんな小汚い娘を捕まえて何言ってるのかと思ったわ。彼はなにも言わずに私の隣に座ってくれて、私が帰るまで一緒にいてくれたの。はじめてだったわ、人に優しくされたこと」
僕は、女性が紡ぐ鈴のような声を書き溢すことのないようにメモ帳に書き連ねていく。
「それが、出会い。その日の出来事は別に私を救ってくれたわけじゃない、現実は変わらず残酷で、事態は何も変わらなかったわ。でも、それは確かに私が生きる意味になった。生きて、この人と生きたい。それだけで私が生きる意味が出来たの。」
にこりと笑う女性は言葉を続ける。
「高校には通わせてもらえなかったわ、お前は風俗ででも働け、って。でも、私、はじめてはあの人が良かったの。必死に朝も夜もバイトをして、お金を稼いだわ。身なりも少しは整えて……ふふ、このメイク用品ね、100円均一で買ったのよ」
くすくすと笑う女性の声、僕は何も言うことができない。
「結婚できる年になって、恥ずかしげも無く私は彼に会いに行ったわ。お嫁さんにしてもらおうと思ったの。でも、当たり前のように断られたわ。「僕は誰とも結婚しない」って。でもね、私、諦めが悪いの。それから毎週あの人に会いに行ったわ。彼はいつも週末、この街のハズレにあるバーに来るから、そこで何度もプロポーズした。」
「16歳くらいから、ずっとですか?」
「そうね、かれこれ5年越しかしら。毎週毎週欠かさなかったわ。彼が知らない女の人を連れててもお構いなし。あなたが好きだから結婚してほしい、私を最後の女にして欲しいって。とうとう折れてくれたのが3ヶ月前よ」
「それで、結婚した…」
「彼も困っていたわ。こんなに求愛されたのははじめてだって。ふふ、私は一途なの。この3ヶ月間、毎日毎日ご飯を作って、洗濯をして、まるで家政婦のように家事をしたわ。でも、バイトはやめなかった。ヒモになりたいわけじゃないもの」
「……」
「幸せだったわ、彼の側にいられて。好きな人と一緒にいるって、こんなに心がぽかぽかするんだって。はじめて知ったの」
にこにこと、幸せそうに笑う彼女の笑顔に心がずきりと痛む。
もしこれが演技なのだとしたら、きっとこの人は人間ではない。
それくらい屈託のない笑顔に、僕は一つの疑問を投げかけた。
「マスコミとかに叩かれて、あなたは辛くないんですか?」
「辛くはないわ。だって、誰がなんと言おうと私が彼を愛した事実は変わらなくて、それは紛れもない真実だから。私が正しいと思うことを否定されたってなんてことないわ」
女性がうふふ、と笑う。
僕はその後も世間が気になっているであろうことや僕自身が気になっていることを聞いて、取材は終わった。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとう。あなたと話せて良かったわ」
にこりと笑った女性の言葉に、僕は気付かない振りをした。
僕が書いた拙い記事が載った雑誌が発売された日、彼女は自ら命を断った。
それは、彼女が全ての遺産を受け取った日でもあって、そして、その全てを孤児院やそういった子どもを救う為の施設に寄付した日でもあって。
あんなに彼女が悪だと喚いていたマスコミは一転掌返し、どうして彼女が死んだのかなんてことを連日騒いでいる。
僕は、最初からわかっていた。
あの日彼女を取材した日から、きっと彼女が死ぬことを。
彼女は言っていた。
「生きて、この人と生きたい」と。
もう彼女にはなくなってしまったのだ、この世界を生きる意味が。
それほどまでに彼女は彼を愛していたのだろう。
「松川さんと結婚できて良かったね」
彼女の墓の前に立ち、僕は呟いた。
僕は、彼女と同級生だった。
みんなが馬鹿みたいな顔して彼女をいじめる中、僕はそんな周りなんて、彼女なんて見えていないかのように日々を過ごしていた。
いじめられていたわけではない、でも、誰とも話さない僕は周りの全てが馬鹿に見えて、ろくに会話もしなくて。
だから彼女は言ったのだろう。
1番私に興味がなさそうだったから、と。
あなたと話せて良かったわ、と。
僕にとってはただの赤の他人が死んだ話。
でも、僕はその日を境目に、記者を辞めた。
『彼岸花をあなたに』
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