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アトリエから 01
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その日の帰り、晃司が歓迎会を兼ねて飲みに行こうということになり、それには西尾美鈴も同行することになった。
池袋の外れの安居酒屋に三人で入っていった。古びてはいるが他に客も少なく、落ち着いた店であるのが友作は気に入った。テーブルを囲んで三人で座り、それぞれに注文を終えてから晃司は言う。
「あのアトリエを主宰していた先代というのがね、ここにいる西尾美鈴さんのお祖父さんなんだ。そしてさらに我々の大学での大先輩にも当たる」
「へえ、けっこう繋がりが濃いんだね」
友作は驚いた顔をして美鈴の方を見た。美鈴は恥ずかしそうにして言う。
「お祖父さんがあのアトリエにいる時は、却って私は小さくなっていたのよ。今は引退してくれてのびのびやっているわ」
「それじゃ、事実上の主宰者は美鈴さんということに?」
友作の言葉に美鈴は顔を赤らめた。
「いえ、私はただの受付兼小間使いですわ。美術研究所の所長は栗塚先生ですもの」
すると晃司が笑いながら言う。
「ははは、雇われ所長だけどね」
それから三人で乾杯をし、昔話などを肴にさらに杯を重ねた。酔いが回って来た頃に晃司が友作を指差しながら美鈴に言う。
「この友作というのがな、一見温厚そうな顔をしているがな、酷いやつなんだ。羊の皮を被った狼というやつだ」
「まあ面白そう、何かあったんですか?」
美鈴の言葉に晃司が答える。
「何かあったも何も、僕の最愛の女性を奪っていったんだ。しかも僕が書いたラブレターを使ってだな。それが今のこいつの奥さんというから、腹立つじゃないか」
「まあ!」
美鈴は眼を丸くして友作を見た。友作は晃司に返して言う。
「成り行きでああなってしまったんだ。文句があるなら自分で手紙を渡せば良かっただろ?」
「友作があんなやつだとは思わなかったんだ。お陰で僕は今でも独り身さ」
「手紙を渡すなどというまどろっこしい手を使うからだよ。僕なら酒にでも誘ってさっさと押し倒すけどな」
「ま!」
そばで聞いていた美鈴が声を上げた。すると晃司が言う。
「な、言ったろ?こいつはこういうやつなんだ、実は狼なんだよ。美鈴も気をつけろよ、油断すると押し倒されちまうぞ」
賑やかな酒宴となった。店を出ると友作は二人に手を振って、違う方向へ向かった。そして歩きながら思った、晃司は美鈴に気があるのかな、と。もしそうであるなら、年齢に差はあるものの、独身者同士仲良くすればいいと。
目白のアトリエに通い始めてから、友作の中で何かが変わっていった。これまで抑え込んでいたものが腹の底から沸々と湧いて出てくるような感じである。友作は思った。確かに自分はデッサンの名手かも知れないが、本当の意味で絵を描いてはこなかった。ただ描写を繰返し、自らを表現してはこなかった。自らを表現するまでの技量にまでは至らなかった。そこまで辿り着く以前に筆を置いてしまったのだ、と。職業画家になりたいのではない。ただ自分の中から沸き上がるものを表現したいだけなのだ、と。
家に戻ると娘の明莉が言う。
「この頃お父さんたら、休みの日は出てばかりね。少しはどこかに連れていってよ」
「その年頃でお父さんと一緒に出歩いても楽しくないだろ?」
「そんなことはないわ、私はお父さんが大好きだから、二人きりでデートをしてみたいな」
娘からそう言われると友作も眼尻を下げてしまう。しかし却って、友作の方がもうすぐ大学生の娘と出歩くことに
抵抗を感じるのも事実である。
「大学は推薦で決まったんだから、後は彼氏でも作ってみてはどうだい?」
「お父さんは私に彼氏が出来て平気なの?焼き餅とか妬いたりしない?」
「妬きはしないよ。それとも妬いて欲しいのか?」
「普通の家の父親というものは、そういうものらしいよ。私の友達も、彼氏を紹介したらその子のお父さんは途端に不機嫌になったとか言っていたもの」
「まあ、それは人それぞれだよ。お父さんはむしろ、明莉に早く彼氏を作ってもらって、そして早く嫁に行って欲しいよ」
「彼氏はそのうちに作るわよ。それまではお父さんが彼氏よ。だから、ね、いつでもいいから私とデートしよ」
「変わった娘だな」
「変わっているのは親譲りだから」
池袋の外れの安居酒屋に三人で入っていった。古びてはいるが他に客も少なく、落ち着いた店であるのが友作は気に入った。テーブルを囲んで三人で座り、それぞれに注文を終えてから晃司は言う。
「あのアトリエを主宰していた先代というのがね、ここにいる西尾美鈴さんのお祖父さんなんだ。そしてさらに我々の大学での大先輩にも当たる」
「へえ、けっこう繋がりが濃いんだね」
友作は驚いた顔をして美鈴の方を見た。美鈴は恥ずかしそうにして言う。
「お祖父さんがあのアトリエにいる時は、却って私は小さくなっていたのよ。今は引退してくれてのびのびやっているわ」
「それじゃ、事実上の主宰者は美鈴さんということに?」
友作の言葉に美鈴は顔を赤らめた。
「いえ、私はただの受付兼小間使いですわ。美術研究所の所長は栗塚先生ですもの」
すると晃司が笑いながら言う。
「ははは、雇われ所長だけどね」
それから三人で乾杯をし、昔話などを肴にさらに杯を重ねた。酔いが回って来た頃に晃司が友作を指差しながら美鈴に言う。
「この友作というのがな、一見温厚そうな顔をしているがな、酷いやつなんだ。羊の皮を被った狼というやつだ」
「まあ面白そう、何かあったんですか?」
美鈴の言葉に晃司が答える。
「何かあったも何も、僕の最愛の女性を奪っていったんだ。しかも僕が書いたラブレターを使ってだな。それが今のこいつの奥さんというから、腹立つじゃないか」
「まあ!」
美鈴は眼を丸くして友作を見た。友作は晃司に返して言う。
「成り行きでああなってしまったんだ。文句があるなら自分で手紙を渡せば良かっただろ?」
「友作があんなやつだとは思わなかったんだ。お陰で僕は今でも独り身さ」
「手紙を渡すなどというまどろっこしい手を使うからだよ。僕なら酒にでも誘ってさっさと押し倒すけどな」
「ま!」
そばで聞いていた美鈴が声を上げた。すると晃司が言う。
「な、言ったろ?こいつはこういうやつなんだ、実は狼なんだよ。美鈴も気をつけろよ、油断すると押し倒されちまうぞ」
賑やかな酒宴となった。店を出ると友作は二人に手を振って、違う方向へ向かった。そして歩きながら思った、晃司は美鈴に気があるのかな、と。もしそうであるなら、年齢に差はあるものの、独身者同士仲良くすればいいと。
目白のアトリエに通い始めてから、友作の中で何かが変わっていった。これまで抑え込んでいたものが腹の底から沸々と湧いて出てくるような感じである。友作は思った。確かに自分はデッサンの名手かも知れないが、本当の意味で絵を描いてはこなかった。ただ描写を繰返し、自らを表現してはこなかった。自らを表現するまでの技量にまでは至らなかった。そこまで辿り着く以前に筆を置いてしまったのだ、と。職業画家になりたいのではない。ただ自分の中から沸き上がるものを表現したいだけなのだ、と。
家に戻ると娘の明莉が言う。
「この頃お父さんたら、休みの日は出てばかりね。少しはどこかに連れていってよ」
「その年頃でお父さんと一緒に出歩いても楽しくないだろ?」
「そんなことはないわ、私はお父さんが大好きだから、二人きりでデートをしてみたいな」
娘からそう言われると友作も眼尻を下げてしまう。しかし却って、友作の方がもうすぐ大学生の娘と出歩くことに
抵抗を感じるのも事実である。
「大学は推薦で決まったんだから、後は彼氏でも作ってみてはどうだい?」
「お父さんは私に彼氏が出来て平気なの?焼き餅とか妬いたりしない?」
「妬きはしないよ。それとも妬いて欲しいのか?」
「普通の家の父親というものは、そういうものらしいよ。私の友達も、彼氏を紹介したらその子のお父さんは途端に不機嫌になったとか言っていたもの」
「まあ、それは人それぞれだよ。お父さんはむしろ、明莉に早く彼氏を作ってもらって、そして早く嫁に行って欲しいよ」
「彼氏はそのうちに作るわよ。それまではお父さんが彼氏よ。だから、ね、いつでもいいから私とデートしよ」
「変わった娘だな」
「変わっているのは親譲りだから」
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