たまにっ記

長月やなぎ

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vol.003 作品の「感想」欄について思うこと

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 このサイトの各作品内にある「感想」欄について、最近思ったことをつらつらと書きたいと思います。
 多少不快な表現があるかもしれませんが、なにとぞご容赦を。



 さて、各作品には感想欄がありますが、この欄の使い方は作者によって千差万別、十人十色。
 純粋に感想が並んでいる作品もあれば、作者と読者の掛け合いで新たな作品を作るがごとく使われている作品や、完全に閉じている作品もありと、さまざまな使われ方をしています。

 その中でもよく目に付くのが、「誤字や脱字の報告や指摘」です。
 この報告や指摘も、受け取り方は作者によってさまざまでしょう。
「ありがたい」と思う人。「余計なお世話だ」と思う人。
 返信を見ていれば、「ありがとう」と言って即座に修正する人。修正せずに特に何も言わずそのまま感想を承認する人、中には承認せずに削除する人も当然いるでしょう。

 ちょっと考えてもらいたいのが、「作者も一人の人間だ」ということです。
 作者のタイプも、プロ(書籍化されている作品を持っている人)、プロを目指している人、趣味で気晴らしに書いている人、さまざまでしょう。
 ネット社会では常々言われていることですが、顔は見えなくとも画面の向こうには生身の人間がいるのです。
 同じ言葉であっても、励みにする人もいれば、傷つく人だっているわけです。
 大事なのは、少しでも相手のことを考えて発言(書き込み)することではないでしょうか。

 そんな中で、最近問題だと思っているのが、
 1、誤字ではない文章を誤字に修正してしまう見当外れの指摘。
 2、作者の表現を無視した、読者の主観による文章の修正。
 3、作者を全否定した、物語の根幹に関わる部分の修正要望(というか横暴)
 の3つです。



 1について説明します。
 とある作品で「やめてください!」と作者が書いているところを、
 とある方が、淡々と「やめてください!」→「止めて下さい!」と指摘していました。
 これ、どこが間違っているのでしょうね?
「止めて」は「やめて」とも「とめて」とも読めます。
 しかし、「止めて」を「やめて」と読むのは、「常用漢字表にない音訓」いわゆる「表外読み」というものです。
 公文書や新聞などのマスメディアは、原則としてこの常用漢字表をもとに文章を作成しています。(固有名詞は除く)
 その場合、「止めて」は「とめて」と読むのが一般的となりますが、小説などの創作物にそんな縛りはありませんから、「やめて」と書いても「止めて」と書いてもどちらも間違いではありません。
 しかしながら、前後の文脈を見るに、緊迫した状況下で、とっさに叫んだ言葉ですから、「やめて」と「止めて」、どちらがより読みやすく、スピード感が損なわれないでしょうか?

 例えば次のようなテンプレの場面で考えてください。

 とある街道で、ヒロインを乗せた馬車が盗賊に襲われています。
 そこへ、護衛を引き連れ、馬で移動中だった主人公の王子が現れます。
 王子は「止めろ!」と叫びました。

 さて、このあと王子一行はどのような行動をとったでしょうか?
「やめろ!」と叫んで自ら飛び出すのか、「とめろ!」と叫んで護衛に指示を出したのか。
 この文面だけでは理解できませんよね。
 このあとの文章を読んで、理解はできるでしょう。その場合、「文脈から推理する」という作業が脳内で生じ、物語の中から現実に引き戻され没入感が損なわれませんか?

 あいまいな表現を避けるため、「やめて」と書くか、「止めて」と書くか、「めて」とルビを振って書くか。いずれにしろこれは「作者の表現によっていかようにも変わる」のです。
 一読者が修正していい内容ではないと思います。

 次に、「ください」と「下さい」です。
 これは間違いやすいのですが、
「下さい」は、英語で言うところの「give」の意味で使われます。
「水を下さい」=「Give me water」、「時間を下さい」=「Give me time」
「ください」は、英語で言うところの「Please」の意味で使われます。
「お越しください」=「Please come」、「やめてください」=「Please stop it」
 公文書的にはどちらの場合も「ください」で統一しているくらいなので、迷ったら「ください」と書いておけば間違いありません。

 以上の点を鑑みると、
「止めて下さい」という指摘は見当外れの大間違い。
「やめてください」、「止めてください」、「めてください」どれを使うかは「作者次第」というわけです。

 さらに極め付きの指摘は、
「なけなしの力」→「泣け無しの力」という指摘です。
「泣け無し」そもそもこんな言葉は存在しません。
「なけなし」で「ほんのわずかしかない」という意味の一つの名詞です。
 あえて漢字で表すと「無けなし」や「無け無し」となるようです。

 指摘する前に、辞書などを使って、よく調べましょう。



 2について説明します。

 とある作品の中で「聖女になる代わることが」という文章がありました。(会話文の一部抜粋です)
 これをとある読者が「聖女になる代わることが」→「聖女になることが」と指摘していました。
 確かに前後の文脈から「聖女になることが」という文も正しく見えるかもしれません。
 ですが、「聖女に成り代わることが」という文の誤字(打ち間違い)かも? とは考えられないでしょうか。
 なぜ「聖女になることが」と、作者でもないのに断定できるのでしょうか。
 これは完全に「作者の表現を無視した、いち読者の主観による修正」だと思います。
 これも厳に慎まなければならないと思います。



 3について説明します。

 信じられないことですが、いち読者の気に入らない流れだからと、別の流れにしてくれ、という、要望とも言えない横暴を垂れ流し、物語の方向性にまで指摘をする、我儘で傲慢な人が、一定数いるようです。
 なぜ、読者の意向に合わせて作者が物語を改変せねばならないのか。
 なぜ素直に、物語を楽しめないのか。
 気に入らないのなら読まなければいい。
 そんなに自分の望む流れにしたいなら、自分で創作すればいいではありませんか。



 主に以上の三点が最近(昔からかもしれませんが)問題だと思っていることです。
 実際にこういった指摘を連続で受け、モチベーションを失ったり、怖くなったりで、更新を休止したり、作品そのものを削除したり、退会された方までもいます。
 この指摘ともいえない指摘を受けた作者も、以前に同じような目に遭い、一時期作品を非公開にしたり、更新の頻度を落としたりされていました。

 読者「様」なんて勘違いでもしているのでしょうか。
 指摘をするにしても、言い方というものがあります。もう少し相手のことを考えて発言(書き込み)する風潮になればいいなと思います。

 執筆初心者の私としましては、長く続けている作者の方々には、尊敬の念でいっぱいです。
 物語を「無から生み出す」ということが、これほど大変だとは、想像以上でした。
 私も、長く続けられるように精進したいと思います。



 さてさて、最後になりますが、上述の1と2を行っていた方が、同作者の別作品で、とんでもないことを語っていました。
 その発言した内容を、作者の名前を伏せて紹介します。
 この発言は、上述の1と2に関して、目に余ったので苦言を呈したあとにしたものです。
 あまり他人をあげつらうのは、趣味ではないのですが、あんまりな内容だったのであえて紹介します。
 ご気分を害されそうな方はここで閲覧をやめていただいたほうがいいかもしれません。












 それではどうぞ
(この発言の前に、上述の1と2に当たる指摘を、箇条書きで17個もしています)

私も○○さんを含め他人に何をどうこう言える立場では有りません。小説の文章には主語と述語があり起承転結が存在します。小説の文章に話し言葉は許されなくて禁止になってるのは古の昔からです。どんな小説の文章にも構成があります。プロの校正や校正を勉強した人間には一発で判明します。〇〇さんの気分を害したら、ごめんなさい。人は誰でも完璧では無いから誤字や脱字は仕方ないとしても、もう少しだけ文章の構成力を持って下さい。プロの小説家の小説を何冊・何十冊でも読んで、文章の構成力を養って下さい。本を読むことは仕事の休憩中や仕事が終わった後、仕事が休日の時に出来ますよね?本は1分・2分でも読めますよ。私は本を読むことで育児と主婦業、仕事からリラックスされます。〇〇さんの趣味が読書じゃ無くても良いのです。忙し合間の1分や2分。〇〇さん自身が書いている電子小説の為にも勉強するつもりでプロが書いた本を読んでみて下さい。プロが書いた本を読みながら文章力を上げること養うことを、私は〇〇さんに是非お薦めします。長々しい文章で、ごめんなさい。



 もう……ね。
 なんて言ったらいいのでしょう。
 なんでこんなに、自分のことを棚に上げて、上から目線でこんな発言ができるのでしょうか。
 この発言の前に変な指摘を17個もしているのですよ!? しかもほぼ毎日。
 粘着質なストーカーか、重箱の隅をつつくように家事についてどうでもいい指摘をする小姑みたいです。

 ブーメランって知っていますか?
 某政党も真っ青な特大ブーメラン、いっぱい刺さってますよ。

 若干丁寧な言葉遣いはしていますが、要するに、
「誤字・脱字が酷いし文章の構成力もないから、プロ作家の小説いっぱい読んで勉強しろ。隙間時間の1分や2分取れるでしょ、私もできているのだからあなたもやりなさいよ」
 ということを言っているわけですよ。(超訳すぎかな?)
 作者の生活環境を知るわけもないのに。正直に言って気持ち悪いです。

「小説の文章には主語と述語があり起承転結が存在します」
「序破急」って知っていますか?
 純文学の中には、ほぼ起承転結がないものもありますよ。

「小説の文章に話し言葉は許されなくて禁止になってるのは古の昔からです」
 とんでもない暴論です。完全に古今東西、世界中の文壇に喧嘩売っていますね。

「話し言葉は禁止」ですって? どこの論文です?
 話し言葉が使えないとなると、小説内の会話もとんでもないことになります。

 例えばラノベのテンプレ。冒険者ギルドで荒くれ者に絡まれる主人公の場面。

「ここはテメェみてぇなガキが来るとこじゃねぇぞ!」

 話し言葉を使わないと、

「ここは貴殿のような少年が来る場所ではない」

 妙に礼儀正しい荒くれ者? になりました。

 もう一つ、カツアゲされる場面。

「さっさと金出せや!」

 話し言葉を使わないと、

「貴殿は早急に金銭を提出すべきだ」

 こっちが悪いような気がしてきました。

 話し言葉が使えない。つまり方言や略語も使えないということです。
 我が郷土出身の宮沢賢治を真っ向から否定するおつもりかっ!

 一体どこから、こんな変な知識を仕入れてくるのでしょう。



 小説というものはもっと自由なもののはずです。
 もっと心を落ち着けて、おおらかな心で創作の世界に飛び込んではいかがでしょう。



 人の振り見て我が振り直せ。

 くれぐれもご自重なさいませ。
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