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2話 病

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「おはよう」
「おはようございます!」

 店の扉を開くと、来店を知らせる鈴の音が店内に響いた。丁度テーブルを並べていたネスティはホミカを見て笑顔で挨拶をした。それでも開店準備を止めようとはしない。
 店の2階に住むようになった頃は、ホミカが来るとわざわざ手を止めて頭を下げて挨拶をしていた。けれど今ではホミカを見ても手を止めることもなく挨拶をするようになった。

「今日はリンさんが薬を取りに来る日よね」
「はい。いつもの場所に準備をしましたけど、一応確認をお願いします」
「分かったわ。先に確認してくるから準備よろしくね」
「はい。……あれ?」

 常連客が薬を取りに来る日のため、薬の準備はネスティに任せている。すでにできている薬を紙袋に入れるだけだ。保管庫に置いてあるそれを確認しに行こうとしたホミカの耳に届いた声。
 どうやらネスティは、レニーを見つけたようだった。それ以上何も言われなかったので、ホミカは気にすることもなく店の隅にホコリが落ちていないことを確認してから研究室へと向かう。レニーは何も言われずともそこからは入ってこなかった。
 扉を閉めてそのまま保管庫へと向かう。奥にある茶色い紙袋。その中に渡す薬が入っている。いつも同じものを渡すので、流石にネスティも覚えている。それでも間違っていたら大変なので確認は怠らない。

「うん。大丈夫」

 確認を終えると、まずは保管庫の掃除をする。毎日掃除しているとしてもホコリは貯まる。10分ほどかけて掃除を終わらせると。次はカバンを開いて、家で作った足りない薬を置く。研究室で作ってもいいのだが、店を閉めてからでは帰りが遅くなる。朝店に来てから作るにしても、開店時間に間に合わないこともある。
 だから薬が足りなくなると自宅の自室で作ることが多い。自室だと誰かに迷惑をかけることもなく、明かりがなくても月明りさえあれば平気だった。開店時間内に足りないと気がつけば、店はネスティに任せて研究室で作るのだが、忙しいと閉店後に気がつくことが多いのだ。
 他に足りない薬がないことを確認して保管庫から出る。次は研究室の掃除だ。道具は使った日に洗っているため洗う必要はない。念入りに掃除をして、研究室を見渡して問題ないことに頷いてから扉を開いた。
 
「何かあった?」

 何故か睨むようにしてお互いを見つめる1人と1匹に、ホミカの口からはそんな言葉しかでてこなかった。

(猫、苦手だったのかな?)

 薬師見習いだとしても、猫が苦手なのかという話をしたことがない。一緒に暮らしているわけではないので、好き嫌いなどはお互いに知らない。

「あのね、ネスティ」
「この子、ホミカさんの猫ですか?」
「うん、そうなんだけど……猫、苦手だった?」
「いいえ、大好きです。でも、この子は少し不思議な感じがするんですよね」

 そう言ってネスティはレニーに近づくこともなく、離れてカウンターへと入ってしまった。もしかすると、レニーが普通の猫ではないと分かっているのかもしれない。
 ホミカが何も言わないから、何も言わない。レジを確認するネスティは時々レニーへと視線を向けるが、レニーは気にしていないのか窓辺で大人しく座っている。背中を向けているので、その目が開いているのかは分からない。

「レニーって言うの。仲良くしてね」
「レニーって……。私も猫は大好きだから仲良くしたいんですけど、レニーちゃんがあまり仲良くしたくなさそうなんですよね」

 苦笑いをするネスティの言う通り。レニーは猫らしいと言えばらしいのだが、仲良くするつもりが全くないようで、先程はまるで睨みつけるようにしてネスティを見ていた。
 それに2人の時のように話さないということは、ホミカ以外がいる時は猫のふりをしていたいのだろう。そんなレニーの様子に苦笑いをするしかなかった。





 店が開店すると、すぐに常連客がやって来た。リンというお年寄りで、薬を受け取りに来たのだ。すでに準備してあるその薬をホミカが取りに行き、ネスティはリンを椅子に座らせて対応をする。
 ホミカが戻ってくると、リンは孫娘の話をしていた。5歳になったという孫娘が可愛くて仕方がないようで、店に来ると必ず話す。しかし、今回は少し様子が違った。
 どうやら最近、孫娘の歯が痛み出して痛み止めが欲しいらしい。子供用の薬もホミカは作っているので、売ることはできる。しかし、行かないといけないのは歯医者だろう。

「リンさん、お待たせしました」
「あら、ホミカちゃん。子供用の痛みどめも貰えるかい?」
「構いませんけど、歯が痛い場合は早めに歯医者に連れて行ってあげてくださいね」

 紙袋をテーブルに置いて、ホミカは保管庫へと戻る。ハートの形をしたピンクのオイルボトルを手に取る。その中には痛み止めの錠剤が入っている。大人用と子供用では、錠剤の数が違うので見ただけで分かる。
 子供用を手に取るとすぐに戻った。すると、歯医者は孫娘が怖がると話をしているのが聞こえてくる。

「子供用の薬、お持ちしました」
「ありがとう」
「1日1錠を飲ませてくださいね。痛みが続くからと2錠飲ませたりしないでください。それと、怖がるとしても孫娘さんのためにも歯医者に連れて行ってくださいね」

 何度も同じことを言うと迷惑がられるが、それは孫娘のためでもある。いくら痛み止めを飲んで痛みを抑えたとしても、効果が切れたらまた痛み出す。何度も繰り返していると薬を飲んでも効果が無くなってしまうのだ。
 歯医者は怖いかもしれないが、治療をして痛みを消してくれる。

「虫歯が治る薬でもあればいいんだけどね」
「虫歯は歯医者さんしか治せませんからね」

 リンの言葉に苦笑いを浮かべるネスティの言う通り、虫歯を治す薬は存在しない。勿論、魔法で治すことも不可能なのだ。
 痛み止めを紙袋に入れると、最後にもう一度数があっているかを確認してホミカはリンに渡した。受け取ると、会計をするためにゆっくりと歩き出した。会計はネスティに任せているので、ホミカはリンが躓いたりしないように少し後ろについて歩いた。
 会計を済ませると、ホミカは先に扉へと向かい開く。店から出ると、リンは頭を下げてゆっくりと家へと向かって歩き出した。その後ろ姿を見送ってからホミカは店内へと戻った。
 先程リンが座っていた椅子とテーブルを拭いていたネスティは、未だに窓辺に座っているレニーへと視線を向けた。もしかすると、リンはレニーの存在に気がつかなかったかもしれない。それほどに気配がない。
 何を思ってそこに座っているのかは分からないが、ネスティは近づくつもりはないようだ。ホミカも今は話しかけるべきではないと思っており、消費した痛み止めを作るためにネスティに声をかけてから研究室へと向かった。



 研究室で小さい鍋とかき混ぜるための木べら、すり鉢とすりこぎ棒をテーブルに用意する。保管庫からはルクという薬草の葉が入ったオイルボトルとリムという木の実2つをオイルボトルから取り出し、リズの滴という液体の入った青い瓶を手に取り研究室に戻る。
 元々研究室にはエミリアが作ってもらったと思われる暖炉がある。上で薬を作れるようになっており、暖炉はホミカの魔法でも簡単に火をつけることが可能だった。
 鍋を暖炉の上に置くと、中にリムの実を入れた。暖炉の扉を開き、魔法で火をつけるとすぐに閉じる。前に立っていても熱は感じない。
 暖炉の近くにあるテーブルですり鉢の中に、オイルボトルから取り出したルクの葉を10枚入れるとすぐに蓋をしてすりこぎ棒ですり潰す。液体に近くなるまですり潰すと手を止めて鍋をのぞく。リムの実は形が残っておらず液体になっていた。
 そこにすりこぎ棒についた薬草を木べらで落とし、すり鉢の中身を鍋に入れる。無駄にしないように木べらで取ると、そのまま鍋の中身をかき混ぜる。
 ルクは痛み止めの効果がある薬草で、楓に似ており花も実もつけない。ホミカが作る痛み止めは全てこの薬草を作っている。他にも痛み止めの効果がある薬草はあるが、扱いが難しいため使うことはない。葉1枚に対して、作る種類にもよるが、薬10個分が作れる。
 リムの実は熱すると液体になり、液体の薬に入れると苦みを消してくれるという特性があるのだ。実は甘く、種が無い。一口サイズのそれは、葉10枚に1つ使うと仄かに甘い薬ができあがる。苦みを消すために入れるのだが、子供用の薬にはあえてリムの実を多く使うこともある。苦いと、子供が薬を飲むことを嫌がってしまうからだ。今回は子供用ということもあり、リムの実を2つ使い、甘くしている。
 鍋の中身をかき混ぜ終わると、暖炉の火を消す。消し方は簡単。扉を開くだけ。火が消えたことを確認すると、木べらを取りだす。そしてリズの滴を10滴入れる。
 リズの滴は、魔法アイテムで魔法道具店で売っている。液体を5ミリほどの大きさの錠剤に変える効果があり、1滴で1錠になる。しかし1滴では薬の効果が強すぎるため、10滴を入れるのだ。1分待てば錠剤の完成。
 その間に使った道具を洗う。リズの滴と薬草の入っているオイルボトルは保管庫に戻して、保管庫から新しいハートの形をしたピンクのオイルボトルを2つ持って戻り、鍋の中を確認する。そこには10錠の白い錠剤があった。暫く冷まさないといけないので、鍋はそのままにしてテーブルにボトルを置いて研究室から出る。
 店には数人の客がいて、中には話をしに来ただけのお年寄りの姿も見える。よくある光景なので驚きはしない。お年寄り同士で話をして帰る人も多い。それぞれにお茶を用意して、ネスティは対応しなくてはいけない人が誰かを確認してその人と話しているのだ。
 今回もネスティは1人の側で話を聞いている。その人は初めて見る人で、どうやらこの街の人ではないようだ。金髪の綺麗な女性で、上流階級の人間だと一目見ただけで分かる。店の外に馬車が見えることから、遠くから来た人のようだ。

「あら、貴方がホミカさんですね」

 研究室から出てきたホミカに気がついた女性が声をかけてきた。ネスティと話していた女性で、どうやらホミカに用事があるようだ。一目見てホミカだと気がついた女性は、ネスティに話を聞いていたのかもしれない。
 近づいて挨拶をするホミカに、女性は薬の種類が記載されている紙に指を滑らせながら口を開いた。

「最近、王都である病が流行っていることを知っているかしら?」
「いいえ。王都から離れていることもあり、あまり情報が流れてきません。こちらへ来られたのは、それが関係しているのですか?」

 知らないふりをしながら尋ねるホミカだったが、彼女はすでに病のことは知っていた。何故なら、これから彼女が関わることだからだ。今まで彼女は病の原因を突き止めたことはない。だから薬を作ることもできない。

「貴方でしたら、薬を作っているかと思ったの」
「病の原因が分かれば作れますが、知らない病の薬は作れませんね。それに、王都には優秀な薬師がいると聞いています。その方々が薬を作ってくださるのではないでしょうか?」
「もう、ひと月も原因が分かっていないのよ」

 薬師達が原因を調べてひと月経っているのだろう。そのことを知っているということは、この女性は薬師の関係者なのかもしれない。
 記憶とは違う出来事のため、女性が何者なのかは分からない。けれど、ホミカを頼って来るということは王都ではかなり広まっているのかもしれない。
 女性はゆっくりと椅子から立ち上がった。これ以上ここにいても、薬は手に入らない。他の薬屋にでも行くのだろう。

「貴方は、原因を突き止めることができますか?」

 その言葉にホミカは「できます」と答えそうになった。しかし、何も考えずに答えることはできない。これは、未来への分岐点。簡単に答えてしまったら、同じ運命をたどる可能性があるのだ。
 女性の真剣な眼差しを見返し、ホミカは少し考えた。原因を突き止めるには、王都に行かなければならない。それに、王都で調べなくてはいけない。植物なのか、動物なのか。それとも、人為的な物なのかを。

「ここにいては、原因を突き止めることは不可能です。だからと言って、王都に行けば原因が分かるのかと言われれば何とも言えません。王都の人間ではないから原因が分かるかもしれないですし、分からないかもしれない。としか答えられません」

 ホミカの言葉に満足でもしたのか、女性は笑みを浮かべると小さく「そう」と呟いて店から出るために扉へと向かって歩いて行った。
 女性が何を思ったのかホミカとネスティには分からず、顔を見合わせてから女性を追いかけた。
 馬車に乗ろうとしていた女性は、2人に気がつくと「また会いましょう」と笑顔を浮かべた。馭者が扉を閉めて2人に頭を下げてから御者台に座り、ゆっくりと馬車が走り出した。
 走り去る馬車の方角にあるのは王都だ。どうやらそのまま戻るようで、女性が何者だったのかは分からず終いだった。





 お昼。ホミカはレニーと共に商店街に来ていた。お昼を食べるためだ。店はネスティに任せているので問題ない。
 ニンジンとジャガイモの配達を頼み、何処で食べるかを考えていたホミカだったが、魔法道具屋が目に入った。今日使ったリズの滴の在庫が少なくなっていたことを思いだして足を向けた。
 重い扉を開くと、開店していないのではないかと思うほどに店内は暗い。しかし、奥に見えるカウンターには初老の男性が1人座って新聞を読んでいる。一度ホミカへと視線を向けて、僅かに聞こえる声で「いらっしゃい」と言うとすぐに新聞へと視線を戻してしまった。
 いつもと変わらない様子に小さく笑い、商品を入れるためのステンレスのバスケットを手にして店内を歩く。
 時々訪れるという冒険者からも評判のいい店なだけあり、珍しいものも多い。しかし、ホミカにはいらないものばかりだ。
 魔法がかけられているオイルボトルを10本バスケットに入れ、カウンターへと向かう。

「リズの滴5本ください」

 新聞をカウンターに置くと男性は奥の部屋へと入って行く。リズの滴は専用の保管場所があるようで男性に言わなくては購入できないのだ。
 リズの滴を手にした男性は、一度レニーへと視線を向けたが何も言わずに商品を紙袋に入れながら会計を始める。

「王都で病が流行っているらしいわね」
「そうらしいな。王都の薬師でも原因が分からんのなら、『魔女』であるあんたに助けを求めに来るかもしれんな」
「どうかしらね」

 それだけを話し、会計を済ませるとホミカは紙袋を受け取り店を出た。男性は耳が早い。王都から商品を仕入れていることもあり、話を聞くのだろう。病の話をしても驚くことはなかった。
 男性から詳しく聞けるかと期待していたホミカだったが、どうやらそれ以上は知らないようで何も聞けなかった。王都に行く前に原因を突き止めることはやはり無理なようだ。

「さて、お昼は何にしようか、レニー」

 返事が返ってこないことを分かっていながらレニーに声をかけて、カフェへと向かう。外で食べればレニーと一緒にいることができる。だから、レストランに入って外で待たせるよりはいいだろうと考えたのだ。足元にいるレニーへと視線を向けながら、ホミカはカフェで何が美味しいのかを考えた。
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