上 下
1 / 61
第零章

プロローグ

しおりを挟む






 子供のころ、男の子が女の子をいじめている光景を見たことがある。それは、私の知り合いの男の子と女の子だった。
 女の子は嫌がっていたが、男の子は止めようとしなかった。だから私は言った。
「好きな子をいじめるのはいいけれど、怪我をさせたら嫌われるのは当たり前じゃない」
 男の子は以前、いじめている女の子を階段から突き落としてしまったのだ。好きで好きで、自分を見てほしくて男の子は好きな子をいじめてしまうのだという。そんな気持ち、わかるはずもなかった。わかりたくもなかった。
 好きな女の子の前で私がそんなことを言ったものだから、男の子は赤面して振り上げていた右手を渡しに振り下ろした。殴られても構わなかった。好きな女の子の前でそんなことを言ったのだから、殴られる覚悟だってあった。
 けれど、私は殴られることはなかった。何故なら、振り上げていた男の子の右手首を掴んでいる人がいたからだ。この街に、人族の子供の喧嘩を止める人はいないといってもいい。それなのに、私の目には男の子の右手首を掴む手が見えた。しかし、それは人族のものではない。
 男の子も掴まれてそれが人族ではないとわかったのだろう。顔を引きつらせながら、自分の右手首を掴む者を見上げた。そして小さく悲鳴を上げた。
「女に手を上げるのは、男として最低だぞ」
 男性は睨みつけてはいないのだろうけれど、身長が高いため睨みつけられているように見えるのは仕方がない。掴んでいた手を振り払うと、男の子と女の子は悲鳴を上げて私を置いて逃げてしまった。
 走って逃げていく2人を見て、私を助けてくれただろう男性は小さく息を吐いた。悲鳴を上げられることには慣れているのかと思ったが、そんなはずはないだろう。どんな者でも、悲鳴を上げられたら傷つくもの。
 はじめて会う男性が、傷ついているのかはわからない。彼の表情から読み取ることすらできない。けれど、彼には言わなくてはいけないことがある。
「助けてくれて、ありがとうございます」
「なぜ、抵抗をしなかった?」
 その言葉に私は首を傾げた。抵抗する理由がなかったからだ。手を上げられたのは、私が悪いとわかっていたから。だから、抵抗する理由はない。
 何も言わずに首を傾げたままの私に彼はもう一度小さく息を吐いて何かを呟いた。それは「やはり、人族にとってこの姿は恐ろしいか」という言葉だった。
 彼が何を言っているのかわからなかった。しかし、私が黙って首を傾げている姿を見て、どうやら怖がっていると思ったらしい。どうせ、彼には二度と関わることはない。そう思いはしたが、誤解だけは解いておきたかった。何故そう思ったのかは、あのときの私にはわからなかった。
「あなたのことが怖いわけではないの。抵抗しなかったのは、私が悪いからなの」
「……詳しくは聞かないが、友人は大切にしないといけない」
「友人? 私のことを友人と思っている人はいないわ」
 私の言葉に、彼の表情が歪んだように見えた。わかりにくいが、それは私の言葉に悲しんだのかもしれない。会ったばかりの彼のことはわからないけれど、きっとそうなのだろう。
 黙って私の頭を撫でてくれる彼の右手はとても優しかった。そんな彼を怖いと思うはずはなかった。
 友人と思っている人はいないと言ったことに悲しんだであろう彼。何も言わず、聞くこともなく頭を撫で続けてくれた。両親に頭を撫でられたのは、まだ幼いころ。それでも、彼に頭を撫でられたことがとても嬉しかった。
「気をつけて帰るんだぞ」
 暫く黙ったまま頭を撫でてくれた彼は、それだけ言うと私から離れて行った。私は黒いその背中を黙って見つめていた。
 彼の姿は、私が成長しても忘れることはなかった。顔は覚えていないけれど、声と黒い彼の背中だけははっきりと覚えている。しかし、それ以外は何も覚えていない。
 けれど、私にはわかる。今目の前で椅子に座り、右手で紅茶の入ったカップを持って僅かに目を見開く彼があのときの彼だということを。きっと彼は私のことを覚えてはいないだろうけれど、私は覚えている。
 まさかこんなところで会うとは思っていなかったけれど、漸く探していた彼に会うことができたのは嬉しく思う。状況はよくないけれど。
 彼に会うことができたのは、今日の朝突然父様に言われたことがきっかけだった。そのときは嫌だった。彼に会えるとは思っていなかったし、私には好きな人がいたのだから。
 私の好きな人は今目の前にいる彼。きっと一目惚れだったのだろう。彼のことを忘れることができなかったのだから。けれど、父様に言えるはずがなかった。何故なら、彼は人族ではないからだ。
 だから、私は断ることができなかったのだ。









しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうせ結末は変わらないのだと開き直ってみましたら

風見ゆうみ
恋愛
「もう、無理です!」 伯爵令嬢である私、アンナ・ディストリーは屋根裏部屋で叫びました。 男の子がほしかったのに生まれたのが私だったという理由で家族から嫌われていた私は、密かに好きな人だった伯爵令息であるエイン様の元に嫁いだその日に、エイン様と実の姉のミルーナに殺されてしまいます。 それからはなぜか、殺されては子どもの頃に巻き戻るを繰り返し、今回で11回目の人生です。 何をやっても同じ結末なら抗うことはやめて、開き直って生きていきましょう。 そう考えた私は、姉の機嫌を損ねないように目立たずに生きていくことをやめ、学園生活を楽しむことに。 学期末のテストで1位になったことで、姉の怒りを買ってしまい、なんと婚約を解消させられることに! これで死なずにすむのでは!? ウキウキしていた私の前に元婚約者のエイン様が現れ―― あなたへの愛情なんてとっくに消え去っているんですが?

契約結婚の相手「愛人を作ってもいい!贅沢をしてもいい!だから、とにかくあらゆる言葉で俺の自尊心を保ってくれ!それが俺の条件だ!」

下菊みこと
恋愛
結婚して日が浅いのに夫の浮気で離婚した幸薄女性の二度目の結婚。 一度目の結婚に失敗したジゼル。ファビアンという男と契約結婚することに決める。…が、なにやらめんどくさい条件を突きつけられた。どうする、ジゼル!? 小説家になろう様でも投稿しています。

捨てられた令嬢と錬金術とミイラ

炭田おと
恋愛
 ルシヨンの領主の娘、カロルは、婚約者を友人に奪われ、父を亡くした直後、今度は領地と財産を叔父に奪われて、絶望のどん底にいた。  そんな時、町では知らない人はいないと言われるほど有名だった女傑、アンティーブ辺境伯夫人が何者かに殺害されるという事件が起こる。  たまたま王宮を訪れて、自分の推理を話したカロルは、偶然、話を聞いていたノアム陛下に能力を認められて、アンティーブ辺境伯夫人を殺害した犯人を捜してほしいと頼まれた。  犯人を見つけることができたなら、見返りとして、ノアム陛下が領地と財産を取り戻す手伝いをしてくれると言う。  隠し部屋、錬金術、ミイラ――――次々と出てくる事実に戸惑いながらも、領地を取り戻すため、カロルは奔走する。  41話で完結です。  毎日、12時、18時、22時に一話づつ更新します。  一部暴力的、グロテスクと感じる表現があるかもしれません。

ごめんなさい、全部聞こえてます! ~ 私を嫌う婚約者が『魔法の鏡』に恋愛相談をしていました

秦朱音@アルファポリス文庫より書籍発売中
恋愛
「鏡よ鏡、真実を教えてくれ。好いてもない相手と結婚させられたら、人は一体どうなってしまうのだろうか……」 『魔法の鏡』に向かって話しかけているのは、辺境伯ユラン・ジークリッド。 ユランが最愛の婚約者に逃げられて致し方なく私と婚約したのは重々承知だけど、私のことを「好いてもない相手」呼ばわりだなんて酷すぎる。 しかも貴方が恋愛相談しているその『魔法の鏡』。 裏で喋ってるの、私ですからーっ! *他サイトに投稿したものを改稿 *長編化するか迷ってますが、とりあえず短編でお楽しみください

溺愛されても勘違い令嬢は勘違いをとめられない 

あおくん
恋愛
巷で人気が高いと評判の小説を、エルリーナ公爵令嬢は手に取って読んでみた。 だがその物語には自分と、婚約者であるアルフォンス殿下に良く似た人物が登場することから、エルリーナは自分が悪役令嬢で近い将来婚約破棄されてしまうのだと勘違いしてしまう。 「お父様、婚約を解消してください!」から始まる公爵令嬢エルリーナの勘違い物語。 勘違い令嬢は果たして現実を見てくれるのか。 そんな一冊の本から自分は第一王子とは結ばれる運命ではないのだと勘違いする令嬢のお話しです。 ざまぁはありません。皆ハッピーエンドです。 いつも一人称視点で書いているので、三人称視点になるように頑張ってみました。 楽しんでいただけると嬉しいです。 全7話

獣人国の皇子が私の婚約者

satomi
恋愛
タイトルのまんまです。婚約者はオオカミの獣人なので、ツンデレを発揮しても何をしても尻尾の様子で丸わかり!婚約者と王子の成長です。 そんなお話です

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

悪役令嬢は、初恋の人が忘れられなかったのです。

imu
恋愛
「レイラ・アマドール。君との婚約を破棄する!」 その日、16歳になったばかりの私と、この国の第一王子であるカルロ様との婚約発表のパーティーの場で、私は彼に婚約破棄を言い渡された。 この世界は、私が前世でプレイしていた乙女ゲームの世界だ。 私は、その乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまった。 もちろん、今の彼の隣にはヒロインの子がいる。 それに、婚約を破棄されたのには、私がこの世界の初恋の人を忘れられなかったのもある。 10年以上も前に、迷子になった私を助けてくれた男の子。 多分、カルロ様はそれに気付いていた。 仕方がないと思った。 でも、だからって、家まで追い出される必要はないと思うの! _____________ ※ 第一王子とヒロインは全く出て来ません。 婚約破棄されてから2年後の物語です。 悪役令嬢感は全くありません。 転生感も全くない気がします…。 短いお話です。もう一度言います。短いお話です。 そして、サッと読めるはず! なので、読んでいただけると嬉しいです! 1人の視点が終わったら、別視点からまた始まる予定です!

処理中です...