20 / 40
RPG(1)
しおりを挟む
「写真より、お綺麗ですね」
「なんか、言った?」
「奥さん、お綺麗ですね、って言いました」
へえ……こいつ、女に興味あったんだ。
でもまあ、褒められて悪い気は、しない。真純は、ほんとに美人だから。
「ああ、なかなかの美人だろ?」
「所長と、お似合いです」
「どうしたの、お前」
「何がですか?」
「いや……別に……」
山内は大学のゼミの二つ後輩で、俺と同じく、頭がいい。
会計士としては、悔しいけど、俺より優秀で、クライエントからの信頼も厚い。
正直、企業の会計顧問は、こいつでもってるといってもいい。
独立してから、一番最初に声をかけたのが山内で、報酬に食いついて、あっさり俺の事務所へクライエントを連れて来た。
そう。こいつは金で動く。だからこいつには、破額の報酬を出している。しっかり働いてもらわないとなあ。
「真純の写真なんか、見たことあったっけ?」
「Facebookで」
ああ、そうか。お偉方のパーティの写真をアップしてたんだっけ。書いてるのは、藤木。俺はSNSなんてものには、全く興味ない。
よく見ると、山内は結構なイケメンで、スーツや持ち物のセンスもいい。背も高いし、スタイルも悪くないか。
この俺のかっこいいベンツを運転していても、違和感はまったくない。
「お前さ、女、いるの?」
「関係ないでしょう」
「三十八だろ? 結婚とか、興味ないのかよ」
「ありませんね」
山内は神経質にメガネを触って、本気で鬱陶しそうな顔をした。
「でも、奥さんみたいな女性なら、考えてもいいかな」
「な、何言ってんだよ!」
「僕につり合う女性は、それくらいのレベルだってことです」
「お前、ナルシストだな」
「僕以上の女性がいないだけです」
あー、俺が女なら、こんな男は絶対ムリ。
「真純は、お前以上なの?」
「そうですねえ。僕の好みの雰囲気ではあります」
ちょっと……こいつ、まさか、真純を狙ってんのか?
「安心してください。他人の所有物には興味ありませんから」
「し、心配なんかしてないし」
「わかりやすいですね、所長」
山内は鼻で笑った。なんだよ、こいつ! こういうとこが嫌いなんだよ!
「でも、どうしたんですか?」
「何がだよ」
「今まで、顔すら出したことなかったのに、急に事務所に入るなんて」
「……営業面を強化したかったんだよ。タイミング良く、仕事辞めたから」
「なるほど。よほど優秀なんですね」
「まあな」
「楽しみだなぁ。優秀な人間と仕事するのは、自分の糧にもなりますからね」
「金のことはさっぱりだから、教えてやってくれよ。頭はいいから、すぐ覚えると思うし」
「ところで、所長の仕事内容はご存知なんですか?」
「まあ、だいたいはな」
「なら、いいですけど」
俺の仕事……そんなこと、真純がわかってるはずない。
違法スレスレの仕事だからな……いつ、手が後ろに回ってもおかしくない。
「着きました」
「山内、お前に任せるから、しっかりやれよ」
「はい」
新規のクライエントとの交渉も上手くいった。
やれやれ……このご時世だからな。新規のクライエントを掴むのも一苦労なんだよ。
「二時か……腹減ったな。なんか、食って行こうぜ」
俺達は、通りすがりのファミレスに入った。
真純、ちゃんと帰ったのかな。電話してみるか。明るくはしてたけど、やっぱり、落ち込んでるだろうし。
コールはするけど、真純は出なかった。どうしたんだろう。何かあったんじゃないだろうな。
もう一度かけようとした時、外で電話をしていた山内が、慌てた様子で入ってきた。
「所長、調査が入ります」
「え? どこに」
「神谷先生の……」
マジかよ。危ないと思ってたんだよな……
「すぐ行くって言え」
「わかりました」
俺達は注文をキャンセルして、店を出た。腹減ったなぁ。
神谷の事務所につくと、かなり動揺した様子の秘書が俺を待っていた。
「佐倉先生、どうしましょう」
「落ち着いてください。我々に任せて。山内くん、帳簿」
「はい」
山内は慣れた調子で帳簿データを出して、コピーし、次々に『修正』していく。
「調査はいつ入る予定ですか」
「たぶん……明日の朝一で……」
「なら大丈夫です。まだ時間はありますから」
笑顔で言ったものの、正直不安。
ここの資金繰りはかなりブラックで、ツッコミどころ満載だ。関わりたくはなかったけど、松永さんの知り合いとなれば、断れない。ああ、やっぱり断っときゃよかったなあ……
「所長、これで……」
「うん……いや、これだと不自然だな。三年前のデータ見せて」
長丁場になりそうだ。夜までかかるな、これは……
時間は三時。真純、どうしてるかな。無事帰ったよな。
どうも真純が気になって集中しきれない。電話してみるかな……
そう思ってる矢先、真純からの電話が鳴った。
「真純?」
「うん。電話、出れなくてごめんなさい」
「いや、ちゃんと帰ったかなって思って」
「うん。帰ったよ」
「どうやって帰ったの?」
「電車」
「え? 藤木に送ってもらえばよかったのに」
「いいの。藤木くんも、忙しそうだったし」
「そうか……ああ、今日、遅くなるんだ。十一時までには帰るから」
「ご飯は?」
「食べて帰る」
「わかった」
なんか、いいことでもあったのかな? 声がなんとなく、弾んでいた。まあ、いいか。
落ち込んでるかと思ってたけど、明るくしてくれてるなら、別にいいよな。もう、退職のことはふっきれたのかもしれない。
来月から、新しい生活。俺達は、文字通り、二十四時間、三六五日一緒! ああ、楽しみだなあ。
これで杉本も、田山も、あんなヤツラが入り込む隙はないってわけだ。
さあ、これで集中できる。俺のクライエントに、調査なんて関係ないんだよ。
時計は七時を指して、窓の外が薄暗くなりかけたころ、電話が鳴った。
え? 中村? なんだろう……
「久しぶりじゃん。珍しいな、お前から電話なんて」
「ああ、今ちょっといいか……あの……門田さんが……」
「真純? 真純がどうかしたのか?」
「ケガをな……」
「ケガ? ケガって、どういうことだよ!」
「うん……こ、転んで、その、手を切ったみたいで……」
「ひどいのか!」
「いや、ケガはそんなに……あのさ、迎えに来てくれないか」
「わ、わかった。どこだよ」
「俺の会社」
「中村の? わかった、すぐ行く!」
その時の俺は、かなり動転していて、なぜ真純が中村の会社にいるのかとか、なぜ真純がそんなところでケガをしたのかとか、そんな単純なことすら考えられなかった。
「何かあったんですか」
「あ、ああ。真純がケガしたらしいんだよ。悪いけど、後頼んでいいか?」
「わかりました。もう少しですから」
「悪いな」
「大丈夫です。本来ならば、僕の担当ですし」
「何かあったら、電話くれ。ああ、車、乗って行っていいか?」
「ええ。僕は適当に帰ります」
胸騒ぎがする。
電話じゃ、あんなに明るかったのに……
真純、何があったんだよ? 待ってろよ、すぐ行くからな!
***
診察室で、真純はしきりに、転んだ、と繰り返していた。処置室で処置してもらってる間も、転んだ、と繰り返している。
「あの、ケガは……」
「傷自体は、深くはありますが、神経にも触ってませんし、縫う程でもないでしょう」
「そうですか。よかった……」
「ただ、ちょっと、精神的に動揺されてるようですね。転んだにしては、傷が不自然ですが……本当に転んだだけですか?」
この病院は、松永さんの紹介で、ある程度の融通は利く。
「私は、その場にいなかったので……でも妻は、転んだだけだと」
「そうですか。ご本人がそうおっしゃるならね……精神安定剤を出しておきましょう。今夜は飲ませてあげてください」
精神安定剤……
正直に言うと、俺は、もうどうすればいいのか、わからなくなっていた。
今日のことだって、普通の状態じゃなかったはずだ。正常な意識の中で、あんなこと、するわけがない。
なんとなく、俺はずっと、真純の変化を感じていた。
あの夜から、真純は、急に泣いたり、急に笑ったり、急に怒ったり、急に不安な顔をしたり……
俺は俺なりに、真純を受けとめる努力をしてきたけど……俺じゃ、ムリなのかな……
「ご主人、大丈夫ですか」
泣いてしまいそうだ。俺……限界かもしれない……
「何か、ご心配なことがありますか?」
「いえ……」
「奥様は、ずいぶん不安定な状態のようです。もし、よろしければ、心療内科か、精神科か、紹介状を出しますよ」
「精神科……妻は、病気なんですか。うつ病とか、そういう……」
「それを知るためにも、受診をおすすめします。一度、ご夫婦でゆっくり、話し合われてみては。それにご主人自身も、少しお疲れのようです」
「妻が、わからないんです……俺、どうしたらいいのか……」
「病名をつけることが、必ずしもいいことだとは思いません。しかし、周りの人までが、疲れてしまったら、奥様は誰を頼りしにしたらいいんでしょう。ご主人、あなたしか、いないのでは? 奥様が頼りにできる人は……適切な治療をすれば、奥様も、ご主人も、いい方向に進むはずです」
俺しか、いないのか。
真純には、もう、俺しか……俺が、すべて奪ったのか……
待合室には左手を吊った真純が、震えながら座っていた。
その真純は、いつもの美人で、イケてる真純じゃない。
弱々しくて、小さくて、まるでずぶ濡れの、汚れた捨て猫のような、哀しい……女。
真純……俺……ごめん……もう……
最低だ。
俺は、真純に気づかれないよう、裏口から、病院を出た。
震える真純に背中を向けて、俺は……
駐車場で、ベンツのエンジンをかけた。
助手席には、真純の少し湿ったハンドタオルが、涙のしみ込んだハンドタオルが、落ちていた。
「どうすればいいんだよ! 誰か教えてくれよ! もう限界だよ!」
運転席で、俺は、叫んだ。
涙が止まらない。手が震える。息が苦しい。
「なんでなんだよ……なんで……なんで、俺じゃダメなんだよ……」
携帯が鳴る。
たぶん、病院からだ。
俺を探している。支払いも、できないんだろう。どうしたらいい。逃げたい。逃げたいんだ。
「佐倉さんですか? すみません、奥様がお探しで……お会計ができないんです」
「……請求書を、送ってください。必ずお支払いします」
「佐倉さん? ちょっと、さくら……」
「知るかよ……もう知らねえよ……あんな面倒な女……もう知るかよ!」
「なんか、言った?」
「奥さん、お綺麗ですね、って言いました」
へえ……こいつ、女に興味あったんだ。
でもまあ、褒められて悪い気は、しない。真純は、ほんとに美人だから。
「ああ、なかなかの美人だろ?」
「所長と、お似合いです」
「どうしたの、お前」
「何がですか?」
「いや……別に……」
山内は大学のゼミの二つ後輩で、俺と同じく、頭がいい。
会計士としては、悔しいけど、俺より優秀で、クライエントからの信頼も厚い。
正直、企業の会計顧問は、こいつでもってるといってもいい。
独立してから、一番最初に声をかけたのが山内で、報酬に食いついて、あっさり俺の事務所へクライエントを連れて来た。
そう。こいつは金で動く。だからこいつには、破額の報酬を出している。しっかり働いてもらわないとなあ。
「真純の写真なんか、見たことあったっけ?」
「Facebookで」
ああ、そうか。お偉方のパーティの写真をアップしてたんだっけ。書いてるのは、藤木。俺はSNSなんてものには、全く興味ない。
よく見ると、山内は結構なイケメンで、スーツや持ち物のセンスもいい。背も高いし、スタイルも悪くないか。
この俺のかっこいいベンツを運転していても、違和感はまったくない。
「お前さ、女、いるの?」
「関係ないでしょう」
「三十八だろ? 結婚とか、興味ないのかよ」
「ありませんね」
山内は神経質にメガネを触って、本気で鬱陶しそうな顔をした。
「でも、奥さんみたいな女性なら、考えてもいいかな」
「な、何言ってんだよ!」
「僕につり合う女性は、それくらいのレベルだってことです」
「お前、ナルシストだな」
「僕以上の女性がいないだけです」
あー、俺が女なら、こんな男は絶対ムリ。
「真純は、お前以上なの?」
「そうですねえ。僕の好みの雰囲気ではあります」
ちょっと……こいつ、まさか、真純を狙ってんのか?
「安心してください。他人の所有物には興味ありませんから」
「し、心配なんかしてないし」
「わかりやすいですね、所長」
山内は鼻で笑った。なんだよ、こいつ! こういうとこが嫌いなんだよ!
「でも、どうしたんですか?」
「何がだよ」
「今まで、顔すら出したことなかったのに、急に事務所に入るなんて」
「……営業面を強化したかったんだよ。タイミング良く、仕事辞めたから」
「なるほど。よほど優秀なんですね」
「まあな」
「楽しみだなぁ。優秀な人間と仕事するのは、自分の糧にもなりますからね」
「金のことはさっぱりだから、教えてやってくれよ。頭はいいから、すぐ覚えると思うし」
「ところで、所長の仕事内容はご存知なんですか?」
「まあ、だいたいはな」
「なら、いいですけど」
俺の仕事……そんなこと、真純がわかってるはずない。
違法スレスレの仕事だからな……いつ、手が後ろに回ってもおかしくない。
「着きました」
「山内、お前に任せるから、しっかりやれよ」
「はい」
新規のクライエントとの交渉も上手くいった。
やれやれ……このご時世だからな。新規のクライエントを掴むのも一苦労なんだよ。
「二時か……腹減ったな。なんか、食って行こうぜ」
俺達は、通りすがりのファミレスに入った。
真純、ちゃんと帰ったのかな。電話してみるか。明るくはしてたけど、やっぱり、落ち込んでるだろうし。
コールはするけど、真純は出なかった。どうしたんだろう。何かあったんじゃないだろうな。
もう一度かけようとした時、外で電話をしていた山内が、慌てた様子で入ってきた。
「所長、調査が入ります」
「え? どこに」
「神谷先生の……」
マジかよ。危ないと思ってたんだよな……
「すぐ行くって言え」
「わかりました」
俺達は注文をキャンセルして、店を出た。腹減ったなぁ。
神谷の事務所につくと、かなり動揺した様子の秘書が俺を待っていた。
「佐倉先生、どうしましょう」
「落ち着いてください。我々に任せて。山内くん、帳簿」
「はい」
山内は慣れた調子で帳簿データを出して、コピーし、次々に『修正』していく。
「調査はいつ入る予定ですか」
「たぶん……明日の朝一で……」
「なら大丈夫です。まだ時間はありますから」
笑顔で言ったものの、正直不安。
ここの資金繰りはかなりブラックで、ツッコミどころ満載だ。関わりたくはなかったけど、松永さんの知り合いとなれば、断れない。ああ、やっぱり断っときゃよかったなあ……
「所長、これで……」
「うん……いや、これだと不自然だな。三年前のデータ見せて」
長丁場になりそうだ。夜までかかるな、これは……
時間は三時。真純、どうしてるかな。無事帰ったよな。
どうも真純が気になって集中しきれない。電話してみるかな……
そう思ってる矢先、真純からの電話が鳴った。
「真純?」
「うん。電話、出れなくてごめんなさい」
「いや、ちゃんと帰ったかなって思って」
「うん。帰ったよ」
「どうやって帰ったの?」
「電車」
「え? 藤木に送ってもらえばよかったのに」
「いいの。藤木くんも、忙しそうだったし」
「そうか……ああ、今日、遅くなるんだ。十一時までには帰るから」
「ご飯は?」
「食べて帰る」
「わかった」
なんか、いいことでもあったのかな? 声がなんとなく、弾んでいた。まあ、いいか。
落ち込んでるかと思ってたけど、明るくしてくれてるなら、別にいいよな。もう、退職のことはふっきれたのかもしれない。
来月から、新しい生活。俺達は、文字通り、二十四時間、三六五日一緒! ああ、楽しみだなあ。
これで杉本も、田山も、あんなヤツラが入り込む隙はないってわけだ。
さあ、これで集中できる。俺のクライエントに、調査なんて関係ないんだよ。
時計は七時を指して、窓の外が薄暗くなりかけたころ、電話が鳴った。
え? 中村? なんだろう……
「久しぶりじゃん。珍しいな、お前から電話なんて」
「ああ、今ちょっといいか……あの……門田さんが……」
「真純? 真純がどうかしたのか?」
「ケガをな……」
「ケガ? ケガって、どういうことだよ!」
「うん……こ、転んで、その、手を切ったみたいで……」
「ひどいのか!」
「いや、ケガはそんなに……あのさ、迎えに来てくれないか」
「わ、わかった。どこだよ」
「俺の会社」
「中村の? わかった、すぐ行く!」
その時の俺は、かなり動転していて、なぜ真純が中村の会社にいるのかとか、なぜ真純がそんなところでケガをしたのかとか、そんな単純なことすら考えられなかった。
「何かあったんですか」
「あ、ああ。真純がケガしたらしいんだよ。悪いけど、後頼んでいいか?」
「わかりました。もう少しですから」
「悪いな」
「大丈夫です。本来ならば、僕の担当ですし」
「何かあったら、電話くれ。ああ、車、乗って行っていいか?」
「ええ。僕は適当に帰ります」
胸騒ぎがする。
電話じゃ、あんなに明るかったのに……
真純、何があったんだよ? 待ってろよ、すぐ行くからな!
***
診察室で、真純はしきりに、転んだ、と繰り返していた。処置室で処置してもらってる間も、転んだ、と繰り返している。
「あの、ケガは……」
「傷自体は、深くはありますが、神経にも触ってませんし、縫う程でもないでしょう」
「そうですか。よかった……」
「ただ、ちょっと、精神的に動揺されてるようですね。転んだにしては、傷が不自然ですが……本当に転んだだけですか?」
この病院は、松永さんの紹介で、ある程度の融通は利く。
「私は、その場にいなかったので……でも妻は、転んだだけだと」
「そうですか。ご本人がそうおっしゃるならね……精神安定剤を出しておきましょう。今夜は飲ませてあげてください」
精神安定剤……
正直に言うと、俺は、もうどうすればいいのか、わからなくなっていた。
今日のことだって、普通の状態じゃなかったはずだ。正常な意識の中で、あんなこと、するわけがない。
なんとなく、俺はずっと、真純の変化を感じていた。
あの夜から、真純は、急に泣いたり、急に笑ったり、急に怒ったり、急に不安な顔をしたり……
俺は俺なりに、真純を受けとめる努力をしてきたけど……俺じゃ、ムリなのかな……
「ご主人、大丈夫ですか」
泣いてしまいそうだ。俺……限界かもしれない……
「何か、ご心配なことがありますか?」
「いえ……」
「奥様は、ずいぶん不安定な状態のようです。もし、よろしければ、心療内科か、精神科か、紹介状を出しますよ」
「精神科……妻は、病気なんですか。うつ病とか、そういう……」
「それを知るためにも、受診をおすすめします。一度、ご夫婦でゆっくり、話し合われてみては。それにご主人自身も、少しお疲れのようです」
「妻が、わからないんです……俺、どうしたらいいのか……」
「病名をつけることが、必ずしもいいことだとは思いません。しかし、周りの人までが、疲れてしまったら、奥様は誰を頼りしにしたらいいんでしょう。ご主人、あなたしか、いないのでは? 奥様が頼りにできる人は……適切な治療をすれば、奥様も、ご主人も、いい方向に進むはずです」
俺しか、いないのか。
真純には、もう、俺しか……俺が、すべて奪ったのか……
待合室には左手を吊った真純が、震えながら座っていた。
その真純は、いつもの美人で、イケてる真純じゃない。
弱々しくて、小さくて、まるでずぶ濡れの、汚れた捨て猫のような、哀しい……女。
真純……俺……ごめん……もう……
最低だ。
俺は、真純に気づかれないよう、裏口から、病院を出た。
震える真純に背中を向けて、俺は……
駐車場で、ベンツのエンジンをかけた。
助手席には、真純の少し湿ったハンドタオルが、涙のしみ込んだハンドタオルが、落ちていた。
「どうすればいいんだよ! 誰か教えてくれよ! もう限界だよ!」
運転席で、俺は、叫んだ。
涙が止まらない。手が震える。息が苦しい。
「なんでなんだよ……なんで……なんで、俺じゃダメなんだよ……」
携帯が鳴る。
たぶん、病院からだ。
俺を探している。支払いも、できないんだろう。どうしたらいい。逃げたい。逃げたいんだ。
「佐倉さんですか? すみません、奥様がお探しで……お会計ができないんです」
「……請求書を、送ってください。必ずお支払いします」
「佐倉さん? ちょっと、さくら……」
「知るかよ……もう知らねえよ……あんな面倒な女……もう知るかよ!」
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる