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53.おねだりしてもいいですか。

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 先輩の言った通り、先輩の部屋は必要最低限と思われるもの以外は本当に何もなかった。8畳程の広さで、ブルーグレーの壁に一面だけ白い縁取りの大きな窓。濃い色のカーテン。入ってきたドアとは別に、ドアがもう一つと恐らくクローゼット。綺麗にメイクされたベッドと部屋の真ん中に小さめの丸テーブルに椅子が二脚、ラップトップと幾つかの照明がある以外は、飾り気なくシンプルだった。ハードの高級感も相まって、どこかのホテルの一室みたいだった。そういう点では、以前見た先輩のマンションと雰囲気は似ている。何故だか床にテキトーに座れる気がしない。俺の反応を見てか、先輩は『大体クローゼットに仕舞っちゃうし、今は殆どの物はユキちゃん家に持って行っちゃったから…』と、恥ずかしそうに呟いた。

 「…そうですよね。大概何でも俺ん家にありますもんね」

 あっさりしすぎている気もしたが、反面、どこか先輩らしくも思えて、少しだけ笑えた。言われて見れば、先輩のお気に入りのヌイグルミやなんかも俺の部屋に置きっぱなしだ。先輩にとってあくまでも専務の家ここは、一時的に借りている場所なんだという気がした。先輩はよく俺の部屋を『居心地がいい』と言うけれど、それが単なるリップサービスじゃなく、それなりに寛いでいてくれたんだと思うとちょっと嬉しかった。

 「でもなんか先輩の雰囲気というか、空気がしますね」

 「そう?」

 「ええ、落ち着く感じです。座っても?」

 「うん、どうぞ」

 手近の椅子に座って改めて部屋を見渡した。すっきりしていて手入れが行き届いていて、七年も住んでいる風には見えない。物が溢れて所々綻びた、ゴチャゴチャ生活感マックスの俺の部屋とは大違いだ。どうやったらこんなに片付くんだろうと感心していると、先輩が戻ってきて向かいの椅子に座った。テーブルの上には見たことのないショッパーが置かれていた。

 「本当は、後で改めて…と思ってたんだけど…」

 ぱっと見た限りでは、何が入っているのか推察し難い大きさだった。

 「え?」

 「誕生日プレゼント。気に入って貰えるといいけど」

 「え?!ぁぁ…そんなっ。ありがとうございます…ぇえっと」

 そんなつもりで部屋に来たわけじゃなかったんだ。条件反射で手は差し出してはいたが、俺はすんなり受け取るべきかどうか悩んだ。というのも、そのショッパーがあからさまに高級感に満ちていたからだ。なんだか訳もなく恐ろしい気がしていたが、ここで受け取らないという選択肢はない。おずおずと手に取る。

 「開けてみても?」

 「勿論」

 ショッパーには、リボンの掛かった大きくも小さくもない箱が入っていた。リボンとラッピングペーパーを解いた中身は黒い箱。箱の中央に独特のシルバーの箔押しが見えて、俺は顔を上げた。その筋に疎い俺でも判る高級ブランドのものだ。胸がザワザワした。箱がずいぶん大きい気がするが、中身は多分時計だ。黒い箱の中には、また布張りの黒い箱が入っていた。すごい過剰包装、厳重だ。なんとも言えない座りの悪さを感じた。箱を開けて良いものかどうか迷ったが、ここまで来て中を見ないわけにも行かない。黒いケースの中には、シルバーのクロノグラフが収まっていた。

 「いろいろ迷ったんだけど…ユキちゃん、こういうゴツい方が好きかな?と思って…」

 俺の反応の鈍さの所為か、先輩は言い訳するように言った。そうです。そのとおりです。このゴツさ、渋さ、厳つさ、俺の好みにドストライクです。だけど。

 「凄いです、驚いてます。凄いし、カッコいいと思います。だけどこれは…」

 「あんまり趣味じゃなかったかな?」

 「いえ、とんでもないです。好きです、大好きですけど。でも、凄すぎます。こんな高価なもの…駄目ですよ。俺は戴けません」

 『そんなことないよ?』と、先輩は遠慮がちに笑った。
「でもユキちゃんのそういうところ好きだよ」

 「もーそうやってはぐらかさないで下さい。だって、ただの誕生日ですよ?いくら付き合ってるって言ったって…」

 俺は唖然としながらも、しげしげと時計を眺めた。滲み出る高級感。どうやっても俺には不相応な代物だ。俺の金銭感覚では、二百歳の誕プレでだって、こんなものは逆さに振っても出てこない。精々、ゲームソフトとかDVDだとか、奮発したってプレステーション5だろう。常々そこはかとなく感じていたが、やはり先輩の金銭感覚はちょっとオカシイ。これって普通に車が買えるくらいするんじゃなかったか?こんなの、普通のリーマンがポンと、しかも他人のために買うものじゃない。今更ながら先輩の資産状況が心配になってきた。大袈裟じゃなく冷や汗が垂れた。

 「そんな大袈裟だよ。ユキちゃんが思ってるほどじゃないし、だって二十歳の誕生日って特別なものでしょ?」

 「いや、そうじゃなくて…」

 「でもユキちゃんがそう言うのはわかるよ。そうかもねって。ごめんね。選んでる内になんだか僕の方が楽しくなっちゃって、つい。だから記念だと思って仕舞っておいてくれるだ…」

 「否、そうじゃありません。嬉しいです。嬉しいですけど、でも、こんな凄いものを貰ってしまったら、俺はどうして良いのかわからないです」

 テンパりすぎてしどろもどろの俺の言い草を先輩は菩薩の笑みで受け流した。

 「そっか、気を遣わせちゃったね。押し付ける気はないんだよ。ごめんね。それに僕はいつもユキちゃんフォローして貰っているし、その埋め合わせにもならないと思ってるから。気にしないで」

 「押し付けだなんて、そんなこと思ってません。すみません。違うんです。本当に嬉しいです、えっと…あぁ、」

 頭が上手く回らなかった。言葉がまるで出てこない。居た堪れない気持ちになりながらも俺は必死に言い訳を繰り出した。なんだって俺は、こうも気持ちを上手く伝えられないんだろう。

 「…でもそれは先輩が、俺のことを考えてくれて、忙しい中で俺のために時間を割いて、準備をして、プレゼントを選んでくれたことです。それが一番嬉しいんです。感謝してます。でも、そういう意味では、俺は先輩に貰えるものならなんでも嬉しいっていうか…だから逆に申し訳なくて。だって、これはさすがに高価すぎます。だから実際のところ、びっくりしすぎてしまったっていうか…嬉しいんですけど、」

 駄目だ。言えば言うほど泥沼な気がする。どう言えば良いんだろう。

 「…ああ。じゃあ、白状します。実は俺、図々しいとは思うんですけど、このタイミングに乗っかって先輩にお願いしようと思ってたことがあって。だけど、こんなに凄いプレゼント貰っちゃったら、もうお強請り出来ないなって思って。それでちょっと残念に思ってしまったっていうか…正直すぎますね、ごめんなさい」

 「お願い?」

 先輩がぱあぁっと目を輝かせた。大きな瞳に星が瞬いている。キラッキラの笑顔だ。本当にこの人は、どこまでいい人なんだ。

 「ええ。でも、今回はもういいです。お腹いっぱいなんで。次の機会に取っておきます。なので、本当にもうこういうのは…」

 「え?何、何?ちょっとまって。気になるよ、取っとかないで。今教えて?」

 「駄目です。これ以上は、欲張りすぎなんで」

 「そんなことないよ!!っていうか、そんなこと聞いちゃったら、気になるよ?!」

 「いや、駄目です。絶対後悔しますから」

 「しない、しないから」

 「駄目です」

 「教えて?お願い!今日眠れなくなっちゃう」

 先輩は手を合わせて、あざと可愛い顔で上目遣いに俺を見た。こんなのどうやったって躱せない。正直なところ、頭ではわかっていても、俺はまだ先輩との関係を諦めきれてない。あわよくば…なんて下心がある状態で、こんな顔されて口を割らずにいられる程に、俺の意思は固くない。そうだ。この後、更に輪をかけてどうしようもなく気不味くなる事がわかっていても、やっぱり言うしかないんだ。俺は諦め半分、期待半分で腹を括った。

 「…なら、正直に言いますけど」

 俺は椅子から降りて跪いた。何故そうしたのかは自分でもよくわからない。だけど、そうするのが正しい気がした。そんな俺を見て先輩は何かを察したらしく、立ち上がろうとした。

 「え、ちょっとまって。やっぱり…」

 「いや、聞いて下さいよ」

 俺は先輩の手を取って椅子へと押し戻した。

 「ごめん。やっぱり今日は止そう?」

 「今日でも明日でも同じですよ?」

 「いや、ちょっとまって。藪蛇だった。僕、拙いこと言っちゃたかも。っていうか、もしかして僕ハメられたの?」

 「ハメてません。成り行きです。だけど、こうなったら話だけでも聞いて下さい」

 「でも、僕、結構飲んでしまったから…明日になったら忘れちゃうかもしれない…」

 最後の方は消え入りそうな声だった。俺は先輩の膝を両掌で抑えた。これをやると、大して力入れなくても立ち上がれなくなるのな。先輩は居心地が悪そうに身動ぎした。だが俺は退かなかった。

 「忘れちゃってもいいんで、聞くだけ聞いて下さい」

 先輩は困ったように目を瞬かせた。やっぱり先輩は子鹿に似ている。俺は正座状態で、まだ先輩の膝を押さえていた。傍目に見たら相当シュールだろうが、この際格好は構っていられなかった。

 「先輩、俺が今、一番、何よりも欲しいのは先輩です。だけど、今すぐ先輩のすべてが欲しいなんてことは言いません。勿論、先輩の言いたいことはわかっています。でも俺は諦めきれない」

 先輩が体を強張らせるのが伝わってきた。俺は続けた。

 「…俺は頭は良い方じゃありません。だけど自分で言うのも何ですが、自制はある方だと思います。空気だって読める方です。忍耐だってあります。それに俺の愛の方が、塩田さんより重い。だからといってはナンですが、多少のことでは揺らがない自信があります。先輩のことを大切にしたいと思っていますし、先輩が嫌だと思うことは絶対にしたくない。先輩がヤメロと言うなら、それがどんな時でも俺は自分を止められる。それに俺は絶対に先輩を裏切ったりしないし、これからも信用してもらえる様に努力もします。だから俺たちの関係を、先に進める許可を下さい。それが俺が今一番欲しいものです」

 先輩は俯いて目を伏せていた。こんなに間近に、そして俺はこんなに低く対峙しているのに、巧く目を合わせることが出来なかった。胸の中がザワザワした。嵐が来る。それがわかる気がした。俺はほとんど破れかぶれだった。

 「うん、と言って…否、一回、頷いて貰えるだけでいいんです」

 先輩に触れた腕から、足の先からサワサワと小さな寒気が駆け上がってくるのを感じた。体毛がちりちりと立ち上がっていく。体の力が抜けていくような気がしたが、俺は腕を縮め、伸び上がった。

 「…いいですか?俺は先輩にキスするつもりです。だけど嫌なら止めて下さい」

 鼻先に俯く先輩の前髪が触れた。俺は息を殺して、そろそろと距離を詰めた。

 「俺はいつでも止められる…」

 声を潜めたのは、先輩にというよりは、自分の為だった気がする。慎重に冷静に。自分の中の何かを起こしてしまわないように。ほんの数センチ先に先輩の顔があった。だが、どうやっても目を合わすことは出来ない気がした。先輩は叱られて罰を受ける子供みたいに、椅子の上で体を固くしていた。ああ、そうだ。この先、先輩が何を言うのか俺は知っている。あと少し。ひと押し。たったの数センチ。だが俺は動きを止めた。

 『…ここまでか』

 先輩が俺を受け入れる気がないのは、わかっていた。ただ、どこまで近づけるか試したかったんだ。もしかしたら先輩の気が変わって…もしかしたら?先輩の唇が動く気配がして、先輩の吐息が俺の鼻先を掠めた。

 「ごめん」

 俺は咄嗟に顔を背けて、息を吐き出した。

 『ほら、思った通りだ』そう思った途端、情けなさと惨めさが押し寄せてきて、俺のキャパはいっぱいになった。

 「冗談ですよ」

 取り繕うつもりで必死に吐いた軽口が、情けなさに拍車をかけた。居た堪れなくなって、俺は立ち上がった。ここにはもう一秒たりとも居たくない。部屋を出ようと踵を返した時、追い縋るように先輩の声がした。

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