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49.その日が来る前に

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 誕生日をなんとなく忘れていたのには理由がある。このところ考えることが多すぎて俺のキャパはイッパイだった。俺の心の上に重く伸し掛かり、この先も当分晴れそうにない、ともすればBL小説漁りなどという現実逃避にさえさせてしまう案件。そう、安二郎のことだ。
このところは先輩の顔を見、鏡で自分の顔を見る度に安二郎ヤツの姿が脳裏にちらつくまでになっていた。先輩のマンションにあるスーツケースいっぱいの安二郎アンジーの灰。婆ちゃん家の墓に入れると言ったまではいいが、ここに来てどうしようもなく面倒になっていた。

 先輩のマンションに行って、如何にも人一人くらい詰まってそうな人一人分を燃やした灰が入ったバカデカいスーツケースを引っ張り出し、エレベーターで駐車場まで降り、車に積み込みクソ田舎に向かう。途中で誰かに目撃されたりもするだろう。旅行でもないのに怪しさ満点だ。時間帯に寄っては渋滞にだって引っかかるかも知れない。同じ関西圏なのになんであんなに遠いんだろう。あそこに行くには距離的なものより、時間費用のかかり具合が気に入らない。行って帰って、なんのかんので丸一日は掛かるだろう。とにかく気分的にめちゃくちゃ遠いのだ。三田に着いてもそれで終わりじゃない。婆ちゃん宅の近所のジジババの目を掻い潜り、スーツケースをもって墓所まで行かなければならない。時間帯は早朝?人気のない昼間?さすがに夜はない。墓所に着いたら墓の蓋を開け、スーツケースを墓に…って、そんなに墓の入口デカかったっけ?何年か前に爺ちゃんが入った時の記憶を辿るも…恐ろしく曖昧だった。否、仮に墓に入れることが出来たとしてもスーツケースのままは拙い。ビニール袋じゃ後々誰かが入る時に、問題が浮上しそうだ。やっぱり骨壷とかに入れるべきか?だけど骨壷って小さいよな?あれだけの灰を入れるとなるといくつ要るんだろう?ってか、骨壷って何処に買いに行けばいいんだろう?仏壇屋か?葬儀屋か?一度に何個も骨壷買ってたら、それだけで怪しいよな?脚が付かないように調達しないといけないんじゃないのか?何か一度に骨壷を複数個も買っても怪しまれない言い訳ってなんだろう?それとも、骨壷屋を何箇所か回って、分散させて買わないと駄目なんじゃないか?否いや、骨壺って唯の壺だろう?花瓶とかじゃ…瓶だから駄目なのか?壺…壺って何だ?骨壺じゃない『唯の壺』なんて、俺は見たことが無い。ああ、もう考えるだけでも面倒だ。
 いっそのこと『燃やせるゴミ』に出してしまいたい。だか先輩の手前、それも出来ない。先輩に相談したいけど、相談したくない。本当に本当に面倒だ。


 「ユキちゃん?気が進まない?」

 俺は再び我に返った。
先輩が心配そうに俺を見ている。その可愛い顔を見て確信した。やっぱり先輩は『受けキャラ』なんだ。タチかネコかと言えば、間違いなくネコキャラなんだ。

 「…あ、いえ、すみません。ちょっと考え事を。えっと、はい、ちゃんと空けときます。オフレコですね」

 「うん、ふふ。やっとユキちゃんと一緒に飲めるね。あ、でも、無理はさせないから…心配しないで。嫌なら無理強いもしないよ。勿論」

 「はい、楽しみにしてます」

 とかなんとか言いながら、俺はアルコールを全く飲んだことがないわけじゃない。が、この際これは秘密だ。折角先輩がここまで言ってくれているんだから、初めてってことにしておこう。
 それより今は、やらなきゃいけないことを考えなければいけない。安二郎のことをナントカしてしまいたい。どうせなら早い方がいい。そうだ、誕生日が来る前がいい。さっさと安二郎アンジーを片付けて…その方が先輩だって気分的に楽になるはずだ。

 「あの、それでですね、先輩。折り入ってお話が」

 「ん?」

 きょとんと目を丸くして、先輩が首を傾げた。澄み切った、色の薄い大きな瞳。まるで視床下部まで覗けそうだ。クッソ、なんだこの無茶クソ可愛い妖精さんは!これが三十手前の男の顔か?!俺は背後の鏡を叩き割りたくなってきた。これが所謂キュートアグレッションってヤツなのか。俺は湧き上がる衝動を安二郎アンジーの話題に移すことで無理やり飲み込んだ。

 「…その安二郎アンジーさんのことです」

 言い終わらない内に先輩の顔がさっと翳った。だが、それもほんの一瞬のことで、すぐにいつものおっとりした笑顔に戻った。

 「そうだね。ごめんね。気を遣わせちゃって」

 「いえ、出来れば、そのヤッ…安二郎アンジーさんを運び出したいな、と。それで先輩のマンションに、もし先輩が、なんというか…勿論、ぁあ、俺一人でやります。なので、部屋に入る許可をお願いします」

 最初はそのつもりはなかった。だが喋っている内に俺の考えは、俺一人で安二郎ヤツを始末した方がいいだろうという向きに移っていった。

 「そんな、ユキちゃん一人にはさせられないよ。僕も手伝う…っていうか、本来は僕がやらなきゃいけないことなんだ。ユキちゃんに手伝って貰うのが筋だから…」

 「先輩ならそう言うと思ってましたが、それで大丈夫なんですか?俺なら一人でなんとか出来ますし。楽勝です」

 「ううん、僕がやりたいんだ。いい加減にケジメをつけなきゃね。こんなに放置してしまっただけでも充分酷いのに」

 「でも、安二郎アンジーさんはその…先輩を、なんっていうか」

 言葉を選んでも、選ばなくても、どちらにしても先輩を傷つけてしまいそうなのに、言わないでいられる選択肢が見つからなかった。

 「俺は、安二郎ヤツの一応…その、親族だからいいんです。寧ろ先輩に迷惑かけてしまってるのは、こっちなんですから」

 先輩は小さく息を吐き出すと、ベンチに座って俺を見た。
俺も先輩の隣に並んで座った。腰を落とした時、ふわっと先輩から甘い匂いが立ち上った気がした。深く吸い込むと、気怠いような甘いような、どこか麻痺しているようでもあり心地良い不思議な感じがする。他に例えようがないんだが、子供の頃にあった、プールで遊んだ後の気怠く胸が空くような、あの感じに似ている。先輩の匂いだといえばそうなんだが、一体、何の成分なんだろう。これがフェロモンってやつなんだろうか。一瞬気を取られていたが、先輩の声に引き戻された。

 「ユキちゃん、誤解のないように言っておくよ。その…彼には、僕はたくさん助けて貰ったんだよ。悪い人なんかじゃない、寧ろ良い人だった。陽気で物知りで、優しくて。前にも言ったけど、運が悪かったんだよ。僕も、彼も」
「だから、僕がちゃんとしなきゃいけないんだ。ちゃんと彼を眠らせてあげなきゃ。でなきゃ僕が酷い人間になってしまう。でもこんなに長く放置してたんじゃ、こんなこと言えないんだけどね、本当は。ユキちゃんには感謝してる」

 「いえ」

 俺は返す言葉を失った。
先輩は安二郎アンジーのことで、俺に罪悪感を持たせまいとしているんだろうが、正直なところ聞きたくなかった。そんなものは俺には無意味だし、なんの助けにもならない。寧ろ、どうしようもないヤツだったと言ってくれた方が楽だった。
 これから俺は、その先輩が言うところの安二郎ヤツに成り代わろうとしている。今後も先輩と付き合い続けるということはそういうことだ。先輩を傷つけ裏切り、変な病気まで伝染うつした俺とよく似た男。だがそれだけのことをヤラカシておきながら憎めない『頼れる良い人』だなんて先輩に言わせてしまうトンデモナイ生き物に、どうやって俺が成り代われるっていうんだろう。ハードルが高過ぎる。しかも俺は先輩より年下で、安二郎ヤツの経験値は百年以上の人知を超えた存在で、俺の経験値?たったの二十年の唯の人だ。どうやったって超えられない。同じステージに並ぶことすら出来ない。唯一の救いは、安二郎ヤツが死んでいるということだけだ。そうだ。だから葬るんだ。そして、完全に安二郎ヤツを過去のものにしよう。今、俺が一番にやるべきことが正になのだ。

 「先輩、マンション処分するって言ってましたけど、もう?」

 「うん、近々手配しようと思ってる」

 「じゃ、早い方がいいですね」

 「…うん、そうかな。そうだね」

 先輩は歯切れ悪く頷いた。
何か気になることがあるのだろうかと思ったが、俺は敢えて無視した。

 「今週末はどうですか?」

 「週末?えっと、明後日?」

 「ちょっと急すぎますかね?じゃ、来週末は?」

 「うん、そうだね。そうしようか」

 先輩は、少し考える素振りを見せたが、少し間をおいて何度か頷いた。まるで自分に言い聞かせるように。

 「ユキちゃん…手伝って貰っても良い?」

 「勿論ですよ。手伝います」
「ああ、そうだ。骨壷?骨壷って先輩、売ってるとこご存知です?」

 「あーそうだね。うん、手配するよ」

 そう言って先輩は立ち上がった。どこか気もそぞろな感じだった。そして思い出したように言った。

 「そうだ。ユキちゃん。スカッシュってやったことある?」

 「ないです。先輩あるんですか?」

 「うん、大学時代にね。やってたんだ。やってみない?」

 イキナリなんだろうとは思ったが、俺は頷いた。

 「ええ、好いですけど…」

 「ユキちゃん、きっと向いてるよ」

 「ぁあ、はい」

 「うん、じゃ、今度、一緒にやろう?」

 「なんか、楽しそうですね」

 「うん」

 先輩が笑った所で、俺は会話を切り上げるためにランニングマシーンを起動させた。いつもの軽いメニューを90分程こなして先輩を顧みると、先輩は専務と話しているところだった。

 「ユキちゃん!ご飯行く?」

 先輩が気付いて、専務越しに声を上げた。

 「いえ、今日は寄りたいところがあるんで帰ります。お先に失礼します」

 俺が声を上げると、専務が振り返り、先輩と並んでヒラヒラと手を振った。

 「お疲れ様!気をつけてね」

 「はい、また明日。失礼します」


 寄る所なんて本当はなかった。ただ、一人になって考えたかった。そのまま真っすぐにアパートに帰り着き、風呂に入って早々に布団に潜り込んだ。なんとなくぼんやりと、真っ暗な部屋の中を眺めながら思った。

 『先輩はまだ安二郎ヤツに未練がある』

 わかっているが、それでもどこか虚しかった。この日、俺は初めて先輩をオカズにマスをかいた。ジムで嗅いだ先輩の匂いを思い浮かべ、安二郎ヤツもあの匂いを嗅いだのかと考えた時、俺の中の焦りが、凄まじい速さで回るのを感じた。

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