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19.髪と先輩とスマホと俺

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 「怒らないで。驚かせてごめんね。平気だから…明日には…?すぐに元に戻るよ!」

 「平気じゃないですよ、もう…何やってるんですか…本当に…意味がわからない…」

 俺が激しい挫折感に打ち拉がれている間、てっぺんハゲになった先輩は、何故だか笑顔でせっせと床を片付けていた。ここで漸く俺は、もしかしたら先輩は精神を病んでいるのかもしれないという疑念を持った。

 だって普通じゃない。全然普通じゃない。自分で” てっぺんハゲ ”を作るなんて常軌を逸してる。頭頂部は男の命なのに。逆モヒカンだなんて先輩はそんなハードコアなキャラじゃない。俺が先輩を追い詰めてしまったんだ。。。orz

 罪悪感に押しつぶされそうだ。明後日俺は、どんな顔で出社して社長や専務に説明すればいいんだろう。仕事辞めたくなってきた。

 「ユキちゃん、ごめんね、でも本当に大丈夫だから…」

 先輩は項垂れる俺の隣に座って、優しく俺の頭を撫でてくれた。俺を覗き込んでくる先輩の顔は、やっぱりイケメンだ。だがてっぺんはハゲている。

 否、毛根はあるから正確にはハゲじゃない、ハゲじゃないんだ。そう、毛根はあるからいつかは生えてくる。気にすることない、1年後には元通りだ…そうだ、これは” ちょっとしたイメチェン ”なんだ。俺は必死で自分に言い聞かせた。

 「明日になったらわかるよ?」

 「明日ですか?」

 「うん、明日ね…」

 「本当に?『指切りげんまん』できます?」

 何故そんなことを口走ったのかはわからない。

 「えっ?!逆指切り?」

 先輩は、急に顔を顰めてたじろいだ。

 「なんっすか?逆指切りって?」

 「…ぅん、いいんだ。でもそんなことしなくても、ちゃんと元に戻るから」

 そうだ、あんまり追い詰めちゃいけない。ついつい突っ込んでしまうのは俺の悪い癖だ。

 「そうなんだー明日には戻るのかー、早く明日にならないかなー…なんて」

 この乾き易い俺の笑いをなんとかしたい。そう思っても今の先輩の無残な姿を見たら、誰だって干上がるし、震え上がる。俺はこの時になって初めて、潤いを求めて先輩や専務がよくやるあの・・笑い方を試してみた。首をちょっと傾げて『うふふ🌸』ってヤツだ。やった瞬間に激しく後悔した。俺がこれまで大切に取っておいた筈のなけなしの” 男の尊厳 ”が、紫外線で劣化したプラスチックのように容易く、みっともなく瓦礫と化していくのを感じた。

 そうだった。これは“ 可愛い男 ”しかやっちゃいけない、俺にとっては禁手だったんだ。幸いにして目撃者である筈の先輩は気付いていないようだ。

 『専務に連絡しなきゃ…』

 俺は焦っていた。なんとか先輩の目を盗んで、なんとか専務に連絡しよう。専務の見た目はエゲツナイが、何故か専務には似合ってしまう謎の愛車ゴールデンジャガーwで先輩を迎えに来て貰うんだ。俺は目でスマホを探した。そうだった、昨晩、すぐそこのスコアの下に隠しておいたんだった。スマホが埋まっている辺りに目を凝らした。光ってない。

 「…先輩、ちょっとすみません」

 先輩越しに腕を伸ばして、スコアを掻き分けスマホを取り出した。やっぱり電池が切れてる。そうだ、昨日の先輩からラインが来てる筈だった。そのままスマホをバッテリチャージャーの上に置いた。これは時間掛かるぞ。骨董品の型落ちスマホを使っている自分が恨めしかった。

 先輩を刺激しちゃいけない。俺は努めて笑顔を作った。時間を確認する。15時を少し過ぎたところだった。情けない気持ちになりながら、再び先輩を盗み見た。まだ頭頂部の髪は伸びてこない。当然だ。そんなに早く伸びるものなら誰も苦労しない、否、寧ろ逆に苦労するだろう。こんな状態の先輩と、俺はあと何時間、一体何をして一緒に過ごせばいいんだ?なんか紛れる良い方法はないか?そう考えるも、俺の頭は『如何にしてこの短時間で育毛するか?』という一点に持っていかれていた。

 俺たちは、なす術もなく曖昧な笑みを浮かべたまま、テーブルを挟んでしばらく向かい合っていた。勿論だが、先輩の髪は、この間1ミリたりとも伸びる気配はなかった。あまり頭頂部ばかり見てはいけない。だが気になる。俺は注意深く目を逸らしながら、祈る様な気持ちでスマホが充電されるのを待った。

 『・・・・・・・・??∑(゚Д゚)』

 その時、俺の頭の中に一条の光が差した。

 『他の部分が長いから落ち武者みたいになってるんだ…』

 そうだ、他の部分も短ければ、幾らか悲惨さが軽減されるかもしれない。ものは試しだ。言ってみよう。

 「…先輩、あの…髪、切りません?」

 「…え?」

 先輩は、驚いた顔をした。

 「こう、短く…ベリショに。したことあります?」

 先輩は、ちょっと考えてから言った。

 「…そういえば、ないね」

 「モヒカンとか、そんな感じの…」

 「ないよ」

 「ちょっと、切ってみていいですか?」

 「えっ?!」

 「いいじゃないですか、いい機会です!切りましょうよ!」

 言ってみると、気分が乗ってきた。今から先輩をヘアサロンに引っ張って行く手も一瞬は考えたが、残念な状態の先輩を人目に曝したくないし、『明日には元に戻る』なんてニコニコ顔の先輩を、露骨に否定してしまう気がして無理な気がした。それにこう見えて俺は器用な方だ。過去には弟の髪を切ってやったこともあるし、バンドメンバーの後頭部にバリカンを入れたことだってある。何にしたって、今の先輩の状態より悲惨になることはないだろう。

 俺は、先輩の手を引いて風呂場へ向かった。狭い風呂場を見渡し、椅子になるものがないのに気付いて、キッチンからスツールを持ち込んだ。

 「先輩、ここ座って下さい。あ、服、脱いで」

 先輩は、戸惑いながらも俺の言うとおりに、シャツを脱いでスツールに行儀よく座った。俺は、さっき先輩から取り上げたハサミと、僅かに充電されたスマホを持って風呂場に戻った。

 「先に記念撮影しときましょうw」

 態とふざけて一頻りセルフィーを撮り終えた後、俺は先輩の頭に残った髪を切った。素人に髪を切られるのには抵抗がないのか、先輩は俺のなすがままだった。

 「先輩、首、長いっすねー」

 「そうかな?」

 「ぇえ、長いっすよ」

 「あっちゃん程じゃないけどね」

 「あー専務は、最初見た時、人型のキリンかと思いましたよ」

 「長いよね」

 「っていうか、専務は胴が短い」

 俺が無駄口を叩いている間、先輩は声を立てて笑っていた。何度も見たことがある、先輩の背中。そこに、俺が切った先輩の髪が降り落ちていく。先輩は美肌だ。白くて絹ごし豆腐みたいにつるっとしていて、余計な肉がついていない。綺麗な背中だけど、ごく普通の、俺等と別段変わらない体。ふと項に目をやると、赤い痣があった。

 縦に並ぶような形で、少し大きめの黒子大の痣がふたつ。聞いたのは、ついさっきのことだったが、半ば忘れかけていた。

 『吸血鬼』『感染』

 ふたつの言葉が、俺の頭を過った。

 『まさかこれか?』

 俺は、先輩の話に半信半疑ながらも、根拠を求めて他にも特徴はないかと目を走らせたが、先輩の体に特別な何かの徴候・・・・・を見つけることは出来なかった。


 1時間後。
俺は自分のテクニックに酔いしれていた。超短髪ベリショになった先輩は、やっぱりイケメンだった。どんなに俺が不器用だって、逆モヒカンに比べれば上等だが、なかなかいい感じに仕上がった。これなら誰に気に入られなくとも、事故後には見えない。最悪でもちょっとした失敗程度で済ませるだろう。

 「似合いますね」

 「そうかな?」

 先輩は照れながらも笑っていた。

 「頭がすごく軽くなった感じだよ」

 「そりゃあそうですよ。バリカンがあったら、もうちょっとカッコ良く出来たと思います」

 「折角、ユキちゃんが切ってくれたのに勿体無いな…」

 先輩は鏡を覗きながら、独り言のように呟いて、頭を撫でていた。

 「先輩、腹、減りません?残りご飯、結構あるんで、豆乳リゾット作りますよ?」

 「本当?!あれ大好き!ありがとう!!」

 髪は短くなったが、にっこり笑った先輩はいつもの先輩だった。

 「すぐ出来ます」

 「そんなに急がなくてもいいよ、手伝うよ」

 「大丈夫です、20分待ってて下さい」

 PS4のコントローラーを先輩に握らせ、キッチンに向かった。俺のスマホはケツポケットの中にある。先輩の目を盗んで、冷蔵庫の扉の影から専務にラインを送った。

 『お疲れさまです』
『ご相談願います』

 立て続けに二つ送った所で、背後から着信音がして俺は飛び上がった。

 「ん?」

 先輩が立ち上がって、掛けてあった先輩の上着のポケットをゴソゴソと漁った。俺は玉葱と舞茸を握りしめたまま、先輩に向かって目一杯の笑顔を作った。

 「…あ、」

 先輩は、俺に目を向け、もう一度手元を見返すと、茶目っ気たっぷりに笑って言った。

 「専務あっちゃんのスマホ持ってきちゃった!(ノ≧ڡ≦)」

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