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番外編

容受 2

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 中学を卒業してから久しぶりに会った悠だったが、その表情はどこか憑き物が落ちたかのように清々しく穏やかで、ある意味で別人のようだと思わず蓮が口にすれば、悠は「そうかも知れない」と、僅かに微笑んで見せる。

 久世の存在が全てだったあの頃の悠からは想像もできなかったその表情は、彼がしがらみから解放され、本当に今が幸せである事を物語っているようで、ここまで悠を変えた"あの男"に感心すると共に、少しだけ罪悪感を持たずにはいられなかった。

 試合とは言え、挨拶代わりに"あの男"(とチーム諸共)を完膚なきまでに叩きのめしたのだ、それを見ていた悠もあまり自分に対しては良い感情を持っていないだろう。

 それに、本来であれば今頃悠は自分の学校の控え室にいても(もしくは"あの男"と共に帰路についていても)おかしくない時間帯だ。

 にも関わらず、こんな所で無防備にも取材陣に囲まれている事は不自然で、やはり何か彼なりに意図があっての行動ではないのだろうかと訝しげに窺っていれば、


「そう言えば試合、すごかったな。俺、剣道の試合って生で見たの初めてだったけど、みんな真剣で圧倒されたよ」
「全て、見ていたのか」


 触れる事は避けた方が良いと思っていた試合の話を振られ、柄にもなく虚をつかれた蓮の独り言とも取れない問いかけに頷いた悠は、


「勿論、その為に来たんだし。素人目で申し訳ないけど、すごく良い試合だった。勝敗にすべてを賭けてる姿って、本当にカッコイイよな」


 ……勝敗の結果はどうあれね。


 そう答えると、蓮に明日の試合も楽しみだと小さく笑って見せた。

 一言文句でも言われると思っていた蓮だったが、素直に試合に対する賞賛を述べた悠に拍子抜けすると、


「その言葉、俺にではなく、もっとかけてやるべき人間が悠にはいるはずだろう?」


 諭すように言えば、今度は何とも歯切れの悪い煮え切らない態度を示す悠に、思わず首を傾げてしまう。

 良い試合だったと、次も楽しみにしていると、そう思ったことを素直に"あの男"へ伝えに行けば良いだけだろうと続ければ、悠はますます困ったように眉を下げて笑うだけで、それの一体何が難しいのだと問えば、


「……そう思って、一度控え室には行って見たんだけど……、声をかけるタイミングって言うか……、空気が掴めなくて」


 もう少しだけ彼らが落ち着いた頃にしようと考え直し、会場内を歩いている内に、先ほどの取材陣に見つかり騒動となって、そこから抜け出せずに困っていたのだと続けた悠に、蓮は思わず小さな笑い声を漏らしてしまい、それに気がついた悠は、当然抗議の声を上げるのだが、助けてもらった手前強く言うことも出来ず、僅かに頬を赤らめながらバツが悪そうにキャップを深く被り直してしまった。


 相変わらず、肝心なところで要領が悪い男だ。

 何でもソツなくこなすくせに、悠が大切にしている人間が絡んでくると、彼はいつもその場で二の足を踏み、しなくても良い遠回りをする事になってしまうのだ。
(そのおかげで、久世と大きなすれ違いを起こし、和解するまでに随分と時間がかかってしまったのだが)

 恐らく今回の件に関しては、敗者となり悔しさに項垂れた人間に、第一声をどうかけてやれば良いのかが解らなかったのだろう。


「相手の事を考えすぎてしまう所は、相変わらずだな、悠。優しすぎるのも、問題だぞ」


 彼のこう言う所が放っておけない理由なのかも知れないと、未だ心の奥底にこびりついたままの奇妙な感情の名を、無理矢理それに当てはめる様に呟くと、悠の着ているジャケットの襟元を強引に引き寄せ、その吐息を感じられるまでに身長差が縮んだところで、彼の薄いくちびるを食むように重ね合わせた。

 辺りを漂う冬の冷たい空気とは裏腹に、重ねられたくちびるは温かく、その心地良さに一瞬の名残惜しさを感じてしまい、それを振り切るように掴んでいた襟元を押し返し手放すと、


「何を言って良いのかわからないのなら、こうして態度で示してやるのも一つの手だ」


 これも大切な相手とあらば十分な労いになるだろうと、一連の出来事に固まっている悠へ僅かに口端を上げて見せ、それから騒がしさの近づいて来る方向へちらりと視線を動かせば、見知った色のジャージを纏う二人組みが此方に向かって歩いて来るのが見えた。

 勿論、ここで彼らと顔を合わせるのは得策ではない事を承知の蓮は、すぐに悠から離れると、彼らの元へ行ってやれと指示を出し、けれど、未だこの状況に頭がついてまわらない悠がその場を動き出す気配はなく、仕方なしに自らがその場を離れるべく足を踏み出せば、今度は引き止められるかのように腕を掴まれる。

 普段であれば、不愉快だとすぐに腕を振り払う所ではあるのだけれど、何故か相手が悠だとそんな気にもなれず、漸くさっきの今で文句のひとつでも言う気になったのかと彼を振り返れば、


「……匂坂くん。ずっと、俺の事気にかけてくれてありがとう。匂坂くんがいてくれて、良かったよ」


 そう言って、瞠目する蓮の僅かな隙をついて額に口付けを落した悠は、さっきのお返しだと言わんばかりに悪戯な笑みを浮かべ、明日の試合も頑張れと言い残して、迎えの二人の元へと走り去って行ったのである。


 ……もう、大丈夫なようだな。


 久世と悠が決別したあの日から今日まで、陰ながら悠を見守り続けてきた自分の役目はこの瞬間に終わったのだと、奇妙な余韻を残す彼の言葉を胸に止まっていた足を動かせば、前方から此方に手を振りながら近づいてくる人物の顔が見え、わざわざ迎えに来たのかと、軽やかな足取りで近づいて来る人物の呼びかけに応えるように顔を上げると、


「何だよ匂坂、複雑そうな表情してんな」


 一体この短時間の間に何があったのだと問いたげな表情をする津田の言葉に首を傾げれば、彼は小さく唸った後、ひらめいたとばかりに両手をぽんと叩き、



「そうだ、アレだ! 父親が、大事に育てた娘を嫁に出した時みたいな顔に似てるんだ! ドラマで見た、そう言う表情!」



 飛び出した彼の言葉は何ともリアクションに困る例えではあったものの、どことなく、燻り続けていた名もない奇妙な感情にそれがしっくり当てはまるような気がして、納得してしまう。
(実際、父親になった事もなければ娘もいないのだが、例えとしては絶妙だと思う)

 妙な切っ掛けから今まで見守って来た悠は最早、自分にとって"特別"な存在になっていた。

 けれど彼に対する感情は、"恋"と言うには些か遠く、そうかと言って"愛"が無かったわけではない。
(その"愛"が単なる庇護欲を掻き立てられて生まれたものなのかまでは定かではないが)

 そうでなければ、あの頃の、頑なで今にも壊れてしまいそうな危うい生き方をしていた悠を、久世との約束とは言え見守るなど、ましてや、自らの意思でその効力が切れた後もそれを続ける事などなかったはずだ。

 そして今日、悠自身の口から述べられた自分への感謝の言葉は、彼が漸く幸せを掴んだ事実とそれに対する喜びを与えてくれた半面、己の手の内から新たな彼の居場所へ巣立って行く現実と、僅かな寂しさを残して行った。


 それこそ、津田が発した言葉宛らに。


 足を止め、後ろを振り返れば、その先には小さくなった三人の仲睦まじい姿が見え(殊に"あの男"は、見ている此方が恥ずかしくなる程悠にべったりで、けれど、悠も春夜も特に気にしている様子はなかった為、最早あれは彼らにとって日常的な光景なのかも知れない)、悠の悩みは思いの外早く解決した事に安堵の溜息と僅かな笑みを漏らすと、



「仮に俺が父親なら、出戻りは許さないが、泣かされる事があれば相手にはそれなりの覚悟をしてもらわなければならないな」
「……匂坂に娘が出来たら、大変だなぁ」



 苦笑する津田の言葉に「当然だろう」と頷き、今後も悠が幸せでいられる事を、今、初めて心から願ったのだった。

【END】
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