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安堵 2

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「春ちゃんか……」

 何を期待していたのか、顔を見るなり肩を落とした玲央の姿に眉を顰め、どうせ彼方だとでも思ったのだろうと心の中で溜息を吐くと、特に何を言うわけでもなく真っ直ぐと自分の席へ向かって行く。

 流石の玲央も普段の元気は持ちあわせてはいないようで、特に絡んで来る事もなく、奇妙な沈黙を保ったまま、教室内には春夜の机を漁る音だけが響き渡っていた。

 しかし、机を漁ると言えども元々几帳面な性格の春夜の机の中は、漁ると言う表現からは縁遠いくらいに整頓されている訳で、つまるところ、この行動はキーホルダーをどのように玲央へ渡そうか思案する為の時間稼ぎでしかないのだ。

 けれど、いくら考えた所で名案と言える策など思いつくわけもなく(思いつくのならとっくにそうしている)、まったくどうして自分が玲央や彼方の為にこんなにも悩まなければならないのだと心の中で悪態をつき、せめてもの抵抗と言わんばかりに持っていたキーホルダーを玲央の座る机に向かって放り投げれば、それは一筋の美しいラインを描きながら狙い通りの場所へと着地し、思いの外大きな音を立てたそれに驚いている玲央の目の前に立つと、


「玲央……、受け取れ」
「……へ?」
「幸せを運んでくれるかも知れないだろう」


 わざわざお前の為に持って来たのだから感謝しろと言わんばかりに見下ろせば、何をどう解釈したのか噴出す玲央の顔が見え、一体何がおかしいのだと腹を抱える玲央を一喝すれば、「いや、ありがとう」と未だ収まりを見せない笑いを必死で押し殺していた。

 相変わらず失礼な男だと鼻を鳴らし、けれど、こんな玲央の姿を見るのも久しぶりで、どことなく安堵している事に気がついた春夜は、すぐにそんなわけないだろうと湧き上がる奇妙な感情を打ち消すと、冷静に自分の行動分析をする為に眼鏡のフレームを押し上げた。


 あくまでも部活に支障が出ては困る為にこうして玲央を気にかけているだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 彼方の事についても、匂坂に頼まれているから気にかけているだけだ。

 この先、彼らがどうなろうと知ったことではない。

 けれど、目の前で起こっているこの問題を解決すべく手を差し伸べる事が、この事態を救うと言うのなら、そうせざるを得ないのだ。

 そして、それを成し遂げる為には目の前の玲央にも頑張ってもらわねばならない。

 故に、




「玲央……、最後まで足掻いてみせろ。無様だろうと、諦めるな」




 発した言葉に、これ以上何をすれば良いのだとでも言いたげな玲央の顔が見え、けれど、それに気づかないふりを決め込んだ春夜は、足を止めることなく教室を後にした。

 彼方が学校へ来なくなってから、玲央がありとあらゆる手段で彼方の行方や連絡先を探していた事は解っていたし、これ以上ないと言うくらいに彼が手を尽くしていた事も知っている。

 けれど、決定的なものがまだ、足りていないのだ。



 ……玲央に足りていないものは、覚悟。



 玲央が彼方に対して抱いているだろう感情が、春夜の考えていた以上のものである事はここ数日の動向で薄々感じ取れるようになっていた。

 それは友情以上のものであり、恐らく、世間一般においては様々な障害が付き纏う危険性を孕んでいるものだ。

 仮に今、彼方がここへ戻って来たとしても、玲央が彼方と共にそれに向き合う覚悟をしなければ、この先何も変わることはないだろう。

 渡したラッキーアイテムは気休めのようなもので、後は本人次第となるのだ。



 ……まあ、せいぜい悩んで覚悟を決めろ。



 玲央に対して手助け出来るのはここまでだと、廊下の曲がり角まで歩いたところで不意に人影が飛び出して来るのを視界の端に捉え立ち止まれば、



「彼方っ……!」
「鬼頭くんっ!?」



 今まさに頭の中に思い描いていた人物と遭遇した事に驚き、お互い同じような顔をしながら名前を呼び合う姿は滑稽で、けれど、すぐにいつもの冷静さを取り戻した春夜が間髪入れずに「今までどこで何をしていたのか」と問えば、彼方はモデルを辞める条件として、契約期限までの半年分の仕事を詰め込むことになり欠席が続いた事、マスコミに引退の情報がリークされ、引越しやスマホを解約せざるを得なかった事を掻い摘んで説明し始める。

 けれど、一番知りたいことはそれではなく、今学校中を駆け巡っている噂であり、



「お前が自主退学するのではと言う噂が流れている。それについては、どうなっている」
「そんな話にまでなってたのか……。でも、休日返上での補習授業と課題提出で出席日数を補ってもらえることになったから、退学はないよ」
「……そうか」


 本人の知らない所で大きくなっていた噂について、彼方の口から聞かされた事実に理解の言葉を洩らすと、春夜は、あえて肝心な事は告げずにそのまま彼方の隣を通り過ぎようと足を踏み出し、一瞬ぼんやりとそれを見送っていた彼方だったが、ふと我に返った途端にすらりとした腕が此方に向かって伸ばされ、片手を捕らえられてしまった。



「鬼頭くん、心配かけてごめん。……玲央にも会って、それ、言いたくて……、何処に行けば、玲央に会えるかな」
「……本当に、玲央に言いたいことはそれだけか?」



 本当は、そんな事を言いに来る為にわざわざここへ来たわけではないだろうと何となく理解はしていたものの、春夜は決してそれを口にはしなかった。

 彼方がここで自ら覚悟を決め前に踏み出さなければ、玲央も彼方も、決して幸せにはなれないからだ。

 真っ直ぐに彼方を見据え、その先に続く言葉を黙ってじっと待っていれば、



「いや……、それよりももっと大事な事、玲央に言わないと……、」


 彼方の覚悟を決めたその瞳からは迷いなど消え去っていて、今にも玲央へ一番最初に告げなければならない事を口にしてしまいそうな彼の言葉を遮るように、


「お前が持っている全てを捨ててまで玲央に尽くしたと言うのなら、このまま信じた道へ進めば良い。……そんなお前が、報われないわけがない」


 そう言って春夜が右手で指し示した先は玲央がいる教室の方向で、後はお前次第だと言い残して曲がり角を進んだ直後、



「悠……、 お 前 の こ と が 、 好 き だ !」



 廊下に響き渡るよく知った声と直球な告白に一瞬の眩暈を覚えつつ、けれど、これが玲央なりの覚悟の証明なのだろうと小さく笑って、既に練習が再開されているだろう道場へ足を向けたのだった。

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