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胸懐 1
しおりを挟む「あーあ……、どこのどいつだよ、リークしやがったの」
運転の休憩がてらコンビニへ寄りたいと車を降りて行ったマネージャーが買って来たと言う雑誌を受け取ると、表紙にあったアオリが目に飛び込んでくる。
【衝撃!! 人気モデル・彼方 悠 引退!?】
事務所がひた隠しにしていた事実が、こうして思いも寄らぬ場所から漏れ、表紙を飾る事はこの業界ではそう珍しくもないだろうと、書かれている内容に目も通さないまま受け取った雑誌をマネージャーへ突き返せば、彼は「随分とスレたもんだな」と肩を竦めて見せた。
モデルを辞め、業界自体から身を退きたいとマネージャーに電話をかけた翌日、事務所は騒然となった。
事務所の顔として活躍している悠を人気絶頂のこのタイミングで引退させる訳にはいかないと、説得が何日にも渡って続けられ、けれど、どんなに良い条件を提示した所で悠の気持ちが変わることは無く、両者の話し合いは平行線を辿るばかりだった。
事務所との契約期限はまだ半年残っており、せめて期限が終わるまではと食い下がる事務所側だったが、これに折れ頷いてしまえば後々この話はうやむやにされ、自分の意思に関係なく勝手に契約を更新されてしまう事は目に見えている上、ここぞとばかりに大きな仕事を取ってくるに違いない。
そうなれば益々引退は難しくなる事を理解している悠は頑として首を縦に振らず、折り合いのつかない両者の事態を見るに見兼ねたマネージャーが、
「私からもお願いします。彼の勇気ある決断を、どうか許してやって下さい」
と、人目も憚らずに土下座を披露し、まさかここまでしてくれるとは思いもしなかったとその行動に瞠目した悠だったが、伊織との撮影が終わったあの日、マネージャーが「味方だ」と言っていた事を思い出すと、すぐさま自分も彼の隣に膝をついて床に頭が触れる程に頭を下げ、
「契約期限までの半年分の仕事は全部、休みもギャラも何もかも返上でやります! だから……、どうかお願いしますっ!」
人生で初めての土下座と懇願に、とうとう事務所もここまでされたら両手を挙げざるを得ないと、本当に渋々ながらもそれを受け入れたのである。
この件の翌日、約束通り悠は半年分の仕事を分刻みでスケジュールに詰め込まれる事となり、学校へ通う事もままならなくなった。
当然、学校サイドとしては欠席した日数をどう取り戻すのかと、今後の学校生活について追求してくる訳で、ここでもまた、マネージャーの華麗な土下座が披露された事は言うまでもない。
(流石に校長も、話し合いに居合わせていた教員も驚き焦っていた)
足りない日数分は、土日・冬季休暇の返上で補習授業、それでも補えない分は各教科課題の提出を約束する事で補充される事となり、一先ずは引退後の学校生活もなんとかやって行ける状態を整えた所で、地獄のスケジュール消化の日々が幕を開ける事となる。
分刻みの中でも僅かに空いた時間ができれば、学校側から出された課題を消化する時間に全て費やし、仕事のスケジュールが大分落ち着いて来た頃には、悠の動向が怪しいと睨んで周囲をうろつき始めたマスコミの目から隠れるように事務所から与えられていたマンションを引き払い、どこから番号が漏れたのか、見知らぬ人間から頻繁にかかって来るようになったスマホは泣く泣く解約せざるを得なくなってしまった。
スマホを持っていた所で、誰かに連絡を取れるほど時間に余裕もなかったのだが、何も言わずに解約された事を万が一玲央が知れば、あらぬ誤解を生んでしまうのではないかと気が気ではなく、そうかと言って、気軽に連絡など取れるような状態ではない為に(最悪、マスコミが嗅ぎつけて玲央に迷惑がかかってしまうかもしれない)、早くこのスケジュールをこなしてしまう事だけを考えて、日々を過ごしていた。
そして今日、最後の撮影とインタビューで詰め込まれた仕事が目出度く完了し、マネージャーの車で帰路に着いているのだ。
お世話になった事務所に最後の挨拶をし、悠の我侭で業界を去るにも関わらず、スタッフや社長に温かく送り出された事を思い出し、ほんの少しだけ、この世界も悪くなかったなと滲む視界に苦笑していれば、雑誌に目を通していたマネージャーが此方を振り返って、
「おい、悠。随分と憶測で好き勝手書かれてるぞ、これ。暫くはお前の周辺、うるさくなりそうだな」
「仕方ないですよ。本当に突然の事だし……、有名税だと思って、落ち着くまでは適当に受け流しておきます」
事実は自分の信頼している人間だけが知っていてくれたらそれで良いのだと続ければ、「そうか」と呟き雑誌を閉じて助手席へ放り投げたマネージャーは、再びエンジンをかけて駐車場から車を出した。
窓の外を見れば、随分と見知った景色が目に入り、けれど、もうこの人の運転する車の窓からこれを見ることも無くなるのかと、どことなくもの寂しさを感じて視線を運転席へ向ければ、バックミラー越しに此方を見ていた視線とぶつかり、
「悠。俺には…、その事実ってやつ、教えてくれないのか」
そう言えば、モデルを辞めたいと一番最初に電話をした相手はマネージャーで、けれど、何故辞めると決めたのかはまだ話していなかった事を思い出すと、
「俺がこの世界に拘る理由が、なくなったからです」
「何だ、そりゃ」
意味がわからんと首を傾げたマネージャーから視線を逸らし、再び窓の外を見やれば、大きな屋外広告に明るい笑顔を浮かべた伊織の姿が大きく貼られており、あの輝きが自分の全てだと思っていた頃が懐かしいと目を細め、
「新しい世界へ踏み出す為に……、そこにいる大切な人への誠意を示す方法がこれしか思いつかなかった……、ただ、それだけの話です」
こんな事で果たして誠意が伝わるかは解らないけれどと呟けば、不意に運転席から冷やかすような口笛が聞こえ、人が真面目に話をしているのにと非難の視線でマネージャーを睨みつけると、
「伝わるだろ。その人の為だけに一つの世界を捨てるなんて、そうそう出来ることじゃないからな。俺なら到底できねえわ」
……お前のその勇気、羨ましいよ。
冷やかすような口調とは裏腹に、優しく、そしてどこか愁いを帯びたような顔をしているマネージャーの言葉に何と返せば良いのか解らずに口を閉じてしまった。
……もしかするとこの人も、自分と似たような経験をしたことがあるのかも知れない。
無関心なフリをしながらも、気がつけばいつも此方の様子を窺い、時には手を差し伸べてくれていた、彼。
ただ単純に洞察力に優れているだけだと思っていたけれど、それは、彼が経験して来た「何か」がそう思わせていただけなのかも知れない。
掘り下げて聞く事は決してできないけれど、こうして自分が踏み出せたのも、ひっそりと影から助けてくれていたマネージャーの協力もあるのは事実で。
「だったら俺の勇気、半分どうぞ」
「気持ちだけもらっとく。……つーか、子供に勇気分けてもらうとか、大人としてどうなのよ」
苦々しく顔を歪めたマネージャーに苦笑し、それもそうだと同調すれば、つい先ほどまで漂っていた湿った雰囲気などなかったかのような明るい口調で、このまま新しく引っ越した先へ帰るのかどこか途中で降ろせば良いのかと問われ、悠が真っ先に答えたのは、
「……学校……、あの、高校で降ろしてもらって、良いですか?」
時間は既に午後五時半を回っていて、一般の生徒であればとっくに下校している時間だろう。
けれど、部活をやっている生徒ならばまだ校内に残っているに違いない。
そして、恐らく……、
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