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喪失 1

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 一点集中。

 神経を研ぎ澄ませ、周囲の音が遮断される感覚。

 相手の振りかぶる動作を察知し、今だと膝を曲げ、腰を落として竹刀を左から右へ振り抜いた。

 ………はずだったのだが、握りが甘かったのか手元から竹刀がすっぽ抜け、見事に面へ一発お見舞いされる。

 当然、その後は先輩からの強烈な怒声で道場内の気温が一気に引き下げられ、肩を竦めて謝罪をする玲央だったが、凡ミスは続くばかりで、しばらく素振りでもしてろと道場の隅へ追いやられてしまった。

 最高に、不調だ。

 タオルで汗を拭き、練習試合をする春夜や先輩たちの姿を眺めながら、一時期休んでいたせいで中々調子が戻らない事に苛立ちながら歯噛みしていれば、先生から何の脈絡もなく部活終了まで外周を言い渡された。


「橘、少し頭冷やして来い。復帰してからここ暫く、集中できとらんぞ」


 ぼやくように先生から放たれた言葉に反論出来なかった玲央がしぶしぶながらも返事をすると、持っていたタオルを放り出して道場を後にする。

 玲央が再び登校を始めてから一ヶ月。

 この古臭い道場も校舎も、窓から差し込む日差しも何一つ変わってはいないと言うのに、玲央の世界は空っぽで、胸にある大きな喪失感を埋められないまま、淡々と日々は過ぎ去っていた。




 ……悠が、学校に来なくなった。




 それを知ったのは、久しぶりに玲央が登校をしたその日の事だ。

 鍵を悠の部屋のポストへ押し込めた日から、もう一日だけ気持ちを整理する時間が欲しいと欠席をした翌日、いつも通りの自分を装い、悠に会ったらまず一番最初に声をかける事を決意し教室に足を踏み入れた。

 久々の登校に気づいたクラスメイト達の体調を心配する声に応えながら、さり気なく悠の席を見やれば、そこは予想に反し空席で、いつもならば既に席についている時間であるのにと拍子抜けしてしまう。

 自分の席に座ると、すぐ後ろの春夜の方向へ身体を捻り、


「おはよー、春ちゃん」
「……漸く来たか。まったく……、迷惑をかけるな」


 お前がいなくて部の雰囲気も惨憺たる状態だと続ける春夜に、悪いと平謝りを通していれば、ふと春夜の視線が動いた事に気がつき、その先を辿るように追うと、空いたままの悠の席が目に入る。

 決して口にはしないが、春夜もあの電話を寄越した後、悠と自分がどうなったのかを気にしているのかも知れない。

 結局のところ、悠と会って話をする事はできず、けれど、悠が久世を選んだのだろう事は彼らの姿をあの待ち合わせ場所で目にした時点で明白であり、潔く身を引く事を決めたのだと掻い摘んで話せば、すぐに「興味はない」と視線を逸らされてしまった。

 けれど、こうして興味はないと突き放していても春夜が色々と心配して動いてくれていた事は解っていたし、今後悠との付き合い方をどうするのかを気にしているのも、なんとなく雰囲気で伝わっていて、


「悠とは、これからも友達。それだけは、今までと何も変わんねーよ」
「……別に、聞いていない」


 それにしても今日は随分と機嫌が悪そうだと、いつもより七割増しの春夜の眉間の皺に玲央は首を傾げ、そんなに怒る程心配したのかと続ければ、今度は射抜くような鋭い視線が向けられ、思わずその迫力に肩をびくつかせてしまった。

 普段ならば笑って流せてしまうその視線が、今日は何故だかひどく自分を責めているような気がして思わず目を逸らせば、


「……彼方が、昨日から学校に来ていないのだよ」


 溜息交じりに呟かれた緑間の言葉に、なんとも間抜けな声が漏れる。


 ……悠が、学校に来ていない?


 一体それはどう言う事なのかと春夜に話の続きを促すべく口を開きかけたものの、タイミング悪く担任が教室に入って出席を取り始めてしまった為にそれ以上聞く事が出来なかった。

 春夜の言葉に、やけに妙な胸騒ぎを覚えた玲央は、HRが終わった直後に教室を出ようとしていた担任を呼び止め、悠が来ていない事について訊ねてみたのだが、どうにもはっきりしない物言いで濁されるだけだった。

 当然、春夜にも悠の欠席についての心当たりを聞いてみたのだが、彼が知るはずもなく、釈然としない気持ちのまま席に座りスマホを取り出して見たものの、何と悠にLINEを送れば良いのかが解らず、結局その日は何もアクションを起こさないまま、悶々とする気持ちを抱えて一日を過ごす羽目になってしまった。

 けれど、今までも時々悠の謎の欠席は見られる事であったし、もしかするとモデルの仕事の都合で休まざるを得ない状況であるのかも知れないと、楽観的に考える事でやり過ごし、きっと明日には来るだろう、でなければ明後日、明々後日……、と、ズルズル連絡を取らないまま、気がつけば悠が来なくなってから、あっと言う間に三週間が経過していたのである。

 ここまで来るとクラスメイト達も流石に様子がおかしいと思い始めたのか、悠に関する根も葉もないような噂が流れ、その真相を悠と一番仲が良かった玲央に聞きに来る生徒もちらほらと出始めており、その度に「何も聞いていない」「ただの噂話だろ」と答えながら、真相はこっちが聞きたいくらいだと心の中で悪態をつき、けれど、元を正せば悠にいつまでも連絡をしないままの自分自身が悪いのにと我に返っては、自己嫌悪に陥っていた。

 そんな事を繰り返していた結果が、今日のこの惨状である。

 授業は耳に入らない、部活では凡ミスの連発、おまけに玲央だけ今日の部活が終わるまでの外周を言い渡され、それが終わった現在、廃人の如く更衣室のベンチに倒れ込み「邪魔だ」と容赦ない先輩の蹴りを甘受していると言う訳だ。


「ちょ、マジ痛いっすよ先輩……!」
「うるせぇ、そこで寝転がってるお前が悪いんだろ! 蹴るぞ!」


 既に蹴られてるよと言う突っ込みはさておいて、そろそろここから避けなければ先輩が本気でキレそうだと、身の危険を感じた玲央が固いベンチからのろのろと起き上がれば、見計らったかのようなタイミングで先輩が開いたスペースに鞄を置いて荷物の整理をし始める。

 適当に鞄に突っ込まれていた教科書や雑誌などの私物を取り出し、部活で使用した自前のタオルやTシャツを几帳面にもたたんでビニール袋へつめている先輩の姿を眺めながら、玲央の目の前に置かれた雑誌に目をやれば、流行のアイドルグループが表紙を飾っており、何の気なしに雑誌に手を伸ばしてぼんやり表紙を眺めた。


「何だよ、好みのタイプでもいたのか?」
「えっ……、いやぁ……」


 いつの間にか荷物整理を終えていた先輩が訝しげに此方の様子を窺っており、彼の質問に何と答えれば良いのか頭を悩ませながら再び表紙に視線を移すと、先程はアイドルの姿ばかりを眺めていて気がつかなかった中記事についてのアオリが目に飛び込み、その中でもひと際目立つ一文に、玲央は思わず目を見開いてしまった。

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