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 悠が誰を待っているかのは、何となく予想がついている。

 いつか、悠と一緒に手を繋いで歩いていた、あの男だろう。


 悠の元を離れている間、その隣に立ち、自分だけに向けられていたはずの悠の眼差しと微笑みを引き出した男。

 彼は今、悠にとってどんな存在であるのか、そして、自分は今、悠にとってどんな存在であるのかを確かめたい……、そして出来る事ならばまた、自分の傍に、隣にいてくれる事を選んで欲しいと、逸る気持ちに自然と走る速度が上がって行く。

 和解以上の事は望まない……、そう思ってはいたけれど、この気持ちを伝えないまま素直に引き下がり、またあの時と同じように自分を偽って生きて行くなど、耐えられそうにない。

 悠の元にまだあの男が来ていない事を祈り広場へ踏み入ると、周囲を確認しながら駆け、時折視界に入った人影に期待を抱いては、探している人物ではない事に肩を落としてを繰り返した。

 時計を見やれば、悠を探し始めてからかなりの時間が経過しており、読みがハズレてしまったのだろうかと最後の望みをかけ、広場の更に奥へと足を踏み出したその時だ。

 随分と人目を避けるような場所にある街灯が目に入り、何気なくそちらに視線を寄越した伊織の視界に飛び込んで来たのは、まさに探していた悠の姿で、けれど、悠以外の姿は他に見当たらず、スマホを確認して僅かに頭を垂れた彼の姿に安堵すると同時に駆け寄ると、両腕を伸ばしてその姿に縋りつくように抱きついた。


「良かった……、やっと見つけた」
「伊織……、何でこんな所に……?」
「突然いなくなるから、心配して探した」


 待っていた人物とは違ったせいか、驚いた顔をして問う悠がとても遠く感じてしまい、不安に駆られた伊織が思わず抱きしめる腕に力を込めると、宥めるように手が添えられ、そう言えば、幼い頃もよく不安を感じた時に悠へ抱きついてはこうして宥められたなと、懐かしい思い出に苦笑する。

 昔と変わらずに振り解くことはしない悠に安堵しながらも、どうしても外せない用事があったのだと濁して説明するどこか困ったような愁を帯びた表情は、今まで伊織が見た事のないもので、悠にこんな表情をさせる事の人物がますます憎らしいと、眉を顰め、


「……誰の事、待ってたの?」


 聞かずとも解っている事をわざと訊ねて見れば、案の定、悠は言葉を詰まらせ視線を逸らしてしまい、漸く口にした言葉は「友達だよ」と言う短い答えだった。

 伊織が抱きついた拍子に、手元から転がり落ちたスマホを拾おうと、悠は両腕の拘束から逃れる為に身を捩り、けれどそれを許さないとばかりに更に両腕に力を込めれば「放してくれ」と懇願され、悠に拒まれたような気がした伊織は、此方を見上げ何か言葉を紡ぎかけた彼のくちびるを、自分のそれで塞ぎ込んだ。

 何が起こっているのか状況が理解できていない悠の反応を良いことに、強引にくちびるを割り入った先の感触を舌でなぞれば、我に返った悠がそれから逃げようと動く様が見え、そうはさせまいと先手を打って彼の頭を押さえつけた。

 人気のない薄暗い場所とは言え、いつどこで誰が見ているかわからないこの状況に焦る悠とは対照的に伊織は冷静で、むしろこの場面を悠が待っている人物に見せ付けてやろうと言わんばかりに執拗に、じっくりと責め立て、悠の身体から力が抜けた事を確認すると、漸く塞いだくちびるを解放し、


「ねえ、悠……。悠はまた、オレの傍にいてくれる?」


 スタジオで言い損ねた言葉を口にすれば、悠は僅かに瞠目し、その瞳に明らかな動揺の色を浮かべ閉口してしまった。

 以前の悠ならばきっとすぐに「傍にいるよ」と頷いてくれていたはずなのに。


「本当は誤解を解く以上の事は望まないつもりでいようと思ってたけど……、」


 あの男の存在が、悠の心を強く揺さぶっていると言うのだろうか。


「悠……、好きだ。幼なじみとか、親友とか、そんなんじゃなくて、……悠が、好き」


 たとえそうだとしても、易々と悠を手放すつもりは微塵もないと、抱いている感情を素直に伝え、けれどそれに対して否定も肯定もしないままでいる悠の様子にもどかしさを覚えた伊織は、先程よりも強く悠のくちびるへ噛み付くと、乱暴にその中へ潜り込んで掻き乱す。

 正常な判断などしなくて良い、しないでこのまま自分の傍にいると頷いてくれたら良いのだと、この感情を受け止めてくれと言わんばかりに悠を求めていれば、不意にその瞳から零れた涙に気がつき、それに動揺した伊織は、慌ててどうしたのかと拘束を解いて指先でその涙を拭い去った。


「伊織……。俺、は……、やっぱり伊織の事が好き」


 拘束を解かれ、僅かな距離を空けて正面から向き合い此方を見上げる悠の言葉に淡い期待を抱きながら再び彼に手を伸ばし、



「……でも、それは伊織が俺を好きだって言う気持ちとは違ってて……、だから、伊織には……、応えてやれない……」
「悠……」



 俯いて小さく「ごめん」と口にした悠に伸ばした手が届く事はなく、行き場を失ったそれが重力に従って垂れ下がり、同時に零れ落ちそうになる涙を堪えるように強く拳を握り締めれば、食い込んだ爪に薄皮がぷつりと音を立てて裂けた。

 どんなに悠の中に入り込もうとした所で、既に、悠の中には自分以外の存在が強くあって、一度手を離してしまった自分には、そこへ入り込む余地など残されてはいなかった。

 壊れてしまった世界は、元には戻らない。

 たとえ修復したとしても、それは継ぎ接ぎだらけの歪なものになるだけで、以前と全く同じ状態には戻れないのだ。

 悠は、既に新しい世界へ踏み出し、自分ではない他の人間と共に、その世界を築き上げようとしている。

 その世界にはきっと、自分の影など微塵も存在していないのだろう。

 もう二度と、悠が伸ばしたこの手を掴んでくれることは、ない。


「そうだよな! わかってたけど……、ほら、オレ自分に正直だから、ちゃんと悠に伝えておかないと後悔、すると思って……、勝手でごめん……。でも……、オレの事、……嫌わないで、ほしい」


 明るく振舞いながら悠に笑いかけてみたものの、堪えきれず零れ落ちた涙に気がついた伊織がそれを乱暴に拭っていると、悠にその手を制止され、逆に今度は彼の指先が伊織の目元を拭い去って行った。


「嫌いになんて、ならないよ」


 そう言えば、幼い頃もよく泣いていた時にはこうして涙を拭いてくれていたなと、何度か行き来する悠の指先の優しい感触に目を閉じれば、


「こう言うのはズルイかも知れないけど……、伊織の気持ちには応えられなくても、伊織は俺の大事な幼馴染で親友だって言うのはこの先も変わらない。だから、もしこの先伊織に何かあったら、今まで通りに俺が一番に駆けつける」
「悠……」
「伊織がどこにいても、絶対に駆けつけてやるから……、安心しろよ」



 そう微笑んだ悠に差し伸べられた手を取ると、伊織はそれを引き寄せ再びその身体を掻き抱き、一瞬驚いて身を強張らせた悠だったが、すぐに伊織の背中に腕を回すとあやすように何度か背を撫でた。


「十分だよ……、悠」


 ……それだけで、十分だ。


 本来であれば、それすらも許されずに終わるはずだったのだから。

 悠の隣に立つことは出来なくなっても、幼馴染であり親友でいられると言うだけで、今の伊織にとっては特別な事なのだ。

 けれど……、


「悠……、もう少しだけ、こうしてて」


 そう簡単に大事な存在である悠を手放し、他人に渡してしまうのも悔しい気がするのは確かで、先程から物陰に隠れ此方の様子を窺っている人物へ見せ付けるかのように強く、悠を抱き締める。

 少し距離がある上に薄暗く、どんな表情をしているかまでは解らなかったけれど、そこから微動だにしないところ見ると、かなりのダメージを与えられたに違いない。

 我ながら良い性格をしているなと心の中で苦笑しながらも、これくらいの壁を乗り越えられない人間が悠の隣に立つ資格はないと、極めつけにわざと挑発するような笑みを浮かべてやれば、身を潜めていたその人影は、振り返る事もなくその場から走り去って行った。



「ごめん……、悠」
「伊織?」


オレの最後の我侭と意地悪……、どうか許して欲しい。

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