上 下
19 / 34
第2章「狂竜、ご令嬢ルーシー」

第18話「運命のいたずら」

しおりを挟む
 運命は時としていたずらを起こすというのは知っていた。自分の予想なんて簡単に覆してしまう。神という不確かなものがいかにいたずら好きであるかも。
 ――雨だった。ゲリラ豪雨のごとく、土砂降りが数秒の間に降り注ぎ始める。ついさっきまで、雲こそあったものの晴天だったのに、急だった。
 くそっ、なんでこのタイミングでっ!

「な、なにっ?」

 ミアも突然の雨に困惑を隠せないようだった。しかし、跳躍は止められない。ちょうど竜の体の前に降り立った瞬間、動いた。



「グルルル……」



 ロルフとミアが降り立ったのは、竜の眼前。喉鳴りが聞こえた。二人の視線の先、鱗と同様に真っ赤なまぶたがゆっくりと開かれる。人間と同じサイズはあるかという目が。瞳は琥珀のような色だった。その中央に黒い点がある。ぎゅるっと動き、こちらを向く。
 雨はいまだに降り続いていた。雨音がうるさい。焦げ臭かったのが湿った匂いに変わり、鼻につきはじめた。

「ルーシーっ!」

 ミアが声を荒げる。
 まずいな、予定が狂ってしまった。
 ロルフの予定では、眠っている間に拘束してから呼び掛けるつもりだった。万が一のために。それが突然の雨で目を覚ましてしまった。これでは、できない。
 逃げる準備をする。足に力を込めようとすると、竜が立ち上がった。
 その巨大な顔をこちらに向け――かぱっと口が開く。まずい、とロルフが反射的に思った時には遅かった。
 音は聞こえなかった。知覚できなかったという方が正しいかもしれない。しかし、分厚い壁にぶつかる感覚だけは分かった。周りの燃えカスともどもロルフはミアを抱えたまま吹っ飛ばされた。

「くそっ!」
「ロルフっ、外に降りるわよっ!」

 ミアが吹き飛ばされた自分たちを、外へ誘導するように魔法を掛けた。だが、それも遅かった。

「なっ」

 それは、ロルフとミアどちらの声だったか。着地点を見ていたロルフたちの目の前に竜は現れる。
 異様な速さだった。その巨躯のどこに俊敏に動ける要素があるのか。完全に見誤っていた。変化をする時、竜した腕を引きづっているのが頭に残っていてしまっていたのかもしれない。
 気付いた時には、黒光りする爪が目の前に迫っていた。

「ロルフっ!」

 咄嗟にミアを投げ出した。彼女なら自身の魔法でどうにかなるだろう。泣き叫ぶような声が遠ざかっていく。
 代わりにやってきたのは痛みだった。
 痛い。
 頭の中は、ひたすらにそれだけを連呼する。状況を理解する。腹だ。打ちつける雨の中、竜の爪が自分に向かって伸びている。体の内側から焼かれているようだった。声が出ない。息ができない。死ぬ――
 ロルフは完全に刺し貫かれていた。それが、自重にしたがってずるずると落ち始める。もはや痛みは感じていなかった。体の中をなにかが抜けていく感触だけを感じる。
 落ちる。
 ドンっと体が落ちたのを半ば他人事のように感じた。口元から液体が出たのも。
 霞がかった世界だった。音も、匂いも、触覚もなにもかにもが感じない。あると分かるのに実感がない。
 なにかが近付いてきた。視界にレイラの焦った顔が見える。こんな彼女は初めてだ。なにを言っているのか分からない。しかし、必死に叫んでいるのは分かった。
 ぼんやりとお湯の中を漂っているような感覚だった。しかし、それも長くは続かない。
 お腹が痒くなりはじめたのを感じ始めたのと同時に、徐々に色々な感覚が戻ってくる。雨粒の感触、湿気と焦げ臭さが混じった匂い、視界の意味を回り始めた頭が理解する。そして声が聞こえた。

「レイラ、やめなさい! 魔法を掛けるなっ!」
「なに言っているの! このままじゃロルフが、ロルフがっ!」

 レイラは泣いているせいで声が上擦っている。

「きゃっ! ……竜!」

 風圧を感じた。手をかざしていたレイラが視界から消える。
 顔を横に向けると、あの竜がいた。
 竜は涙を流している。
 体が大きいせいか涙まで大粒だ。
 雨が降っているのにも関わらず、竜の体から煙が上がり始めている。その音まで聞こえてくる。やがて、中から一人の少女が出てきた。あちこちが鱗で覆われているし、角と尻尾もあるが間違いなくルーシーだった。

「殺す……!」
「やめなさい。ロルフなら生きている」

 いつの間にか来ていたサンディが、こっちの状態に気付いたようだ。感覚が戻り始めるにつれ、痛みも消えていく。代わりに痒くてしょうがないが。
 この体じゃなきゃ死んでたな。いや、一回死んではいるのか。

「えっ、……本当だ。ロルフぅ~」
「ロルフっ? よかった……」

 ミアの声もする。近くにいるらしい。そちらを見たかったが、ルーシーから目が離せなかった。
 ルーシーはぼろぼろだった。
 通り雨だったのか、止み始めている。
 彼女は涙を流している。鱗以外の皮膚の部分は傷だらけだ。とぼとぼと迷子の様にこちらに歩いてくる。

「二人ともやめなさい、もう大丈夫でしょ」

 サンディの尖った声が聞こえた。

「う……、あ……、ごほっ、ごほっ……、はぁ……」

 咳き込みながらも、なんとか体を起こす。お腹が痒くて新しく出来た皮膚を掻いてしまう。

「ロルフくん? 大丈夫なの?」
「……ああ、それよりも」

 今やロルフの体は完全に治っている。我ながら不気味だ。ここまで大怪我なのは久々だった。もっとも前がいつだったかは忘れてしまった。

「ルーシー、お願い……」

 ミアのお願いはなんなのか。分かるような気がした。

「……ルーシー」
「ロ、ルフ……?」

 後、数歩という所でルーシーは立ち止まった。
 雨が晴れ、ルーシーがよく見える。ぺたっとした金髪が顔に張り付いていた。声が聞こえたのか、彼女の顔がくしゃっと歪む。

「生きて、いるの?」
「そうだ、俺は生きている。よく見てみろ」

 ぺた、ぺた、と裸足でこちらへ進んでいく。一歩ずつ、確かめるように。体に似合わぬ大きな尻尾が引きずられ、がらがらと木にぶつかる。
 目の前に来ると、どさっと膝を落とした。ルーシーの顔が間近に迫る。ここでなにか攻撃されればまた死ぬことになるだろう。
 だが、ルーシーの様子を見る限り、それは心配ないはずだ。
 そっと手が伸ばされた。頬にルーシーの鱗混じりの手が触れる。固い感触だった。もう片方も伸ばされ両手がロルフを包む。

「死んでないの?」
「ああ」

 がばっとルーシーは抱き付いてきた。一瞬、ドキッとしたものの平静を装ってそまま受け止める。

「良かっだぁああ、死ん、じゃった、かもって」
「大丈夫だ、大丈夫」

 ルーシーの体は冷たかった。彼女を安心させるために、乱暴に頭を撫でる。ルーシーはずっと泣き続けた。ただひたすらに「よかった」と連呼するばかり。

「ん?」

 体に掛かる重さが増したのを感じる。泣いている声しか聞こえなくなったなと思ったら、代わりにスースーと寝息を立て始めた。

「……はぁ、大丈夫? ロルフ」

 声がした後ろを振り向くと、サンディが疲れた様子でこちらを見下ろしていた。

「問題ない。俺も、この娘も」
「ふふっ。ルーシー、安心した顔してる」

 ミアは嬉しそうだった。結局、なにがあってこうなったかは分からずじまい。だが、とりあえず竜として討伐されることは無さそうだ。あとは彼女にしばらく竜化させなければいい。鱗は要観察といったところか。

「むー、本当に大丈夫なんですか、ルーシーは」
「レイラ。ほら、竜化も解けているし、人間だよ。ルーシーは」
「ロルフくんが言うなら、いいですけどー――そうだ、後で私にもぎゅって抱き締めて下さい。ずるいです」

 どさくさに紛れてレイラは自分の願望をねじ込んでくる。

「レイラ、なに言ってるの。そんなことさせるわけないでしょ」
「あら、お嬢様には関係ないじゃありませんか」
「は?」
「なんですか?」
「二人とも元気だね……。なぁ、ロルフ」
「ははは……」

 いつの間にか晴れた青空のもとで、明るい太陽が降り注ぐ。ロルフは苦笑いするしかなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

とある辺境伯家の長男 ~剣と魔法の異世界に転生した努力したことがない男の奮闘記 「ちょっ、うちの家族が優秀すぎるんだが」~

海堂金太郎
ファンタジー
現代社会日本にとある男がいた。 その男は優秀ではあったものの向上心がなく、刺激を求めていた。 そんな時、人生最初にして最大の刺激が訪れる。 居眠り暴走トラックという名の刺激が……。 意識を取り戻した男は自分がとある辺境伯の長男アルテュールとして生を受けていることに気が付く。 俗に言う異世界転生である。 何不自由ない生活の中、アルテュールは思った。 「あれ?俺の家族優秀すぎじゃね……?」と……。 ―――地球とは異なる世界の超大陸テラに存在する国の一つ、アルトアイゼン王国。 その最前線、ヴァンティエール辺境伯家に生まれたアルテュールは前世にしなかった努力をして異世界を逞しく生きてゆく――

世界最強の勇者は伯爵家の三男に転生し、落ちこぼれと疎まれるが、無自覚に無双する

平山和人
ファンタジー
世界最強の勇者と称えられる勇者アベルは、新たな人生を歩むべく今の人生を捨て、伯爵家の三男に転生する。 しかしアベルは忌み子と疎まれており、優秀な双子の兄たちと比べられ、学校や屋敷の人たちからは落ちこぼれと蔑まれる散々な日々を送っていた。 だが、彼らは知らなかったアベルが最強の勇者であり、自分たちとは遥かにレベルが違うから真の実力がわからないことに。 そんなことも知らずにアベルは自覚なく最強の力を振るい、世界中を驚かせるのであった。

貞操逆転世界に無職20歳男で転生したので自由に生きます!

やまいし
ファンタジー
自分が書きたいことを詰めこみました。掲示板あり 目覚めると20歳無職だった主人公。 転生したのは男女の貞操観念が逆転&男女比が1:100の可笑しな世界だった。 ”好きなことをしよう”と思ったは良いものの無一文。 これではまともな生活ができない。 ――そうだ!えちえち自撮りでお金を稼ごう! こうして彼の転生生活が幕を開けた。

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

無能扱いされ会社を辞めさせられ、モフモフがさみしさで命の危機に陥るが懸命なナデナデ配信によりバズる~色々あって心と音速の壁を突破するまで~

ぐうのすけ
ファンタジー
大岩翔(オオイワ カケル・20才)は部長の悪知恵により会社を辞めて家に帰った。 玄関を開けるとモフモフ用座布団の上にペットが座って待っているのだが様子がおかしい。 「きゅう、痩せたか?それに元気もない」 ペットをさみしくさせていたと反省したカケルはペットを頭に乗せて大穴(ダンジョン)へと走った。 だが、大穴に向かう途中で小麦粉の大袋を担いだJKとぶつかりそうになる。 「パンを咥えて遅刻遅刻~ではなく原材料を担ぐJKだと!」 この奇妙な出会いによりカケルはヒロイン達と心を通わせ、心に抱えた闇を超え、心と音速の壁を突破する。

異世界をスキルブックと共に生きていく

大森 万丈
ファンタジー
神様に頼まれてユニークスキル「スキルブック」と「神の幸運」を持ち異世界に転移したのだが転移した先は海辺だった。見渡しても海と森しかない。「最初からサバイバルなんて難易度高すぎだろ・・今着てる服以外何も持ってないし絶対幸運働いてないよこれ、これからどうしよう・・・」これは地球で平凡に暮らしていた佐藤 健吾が死後神様の依頼により異世界に転生し神より授かったユニークスキル「スキルブック」を駆使し、仲間を増やしながら気ままに異世界で暮らしていく話です。神様に貰った幸運は相変わらず仕事をしません。のんびり書いていきます。読んで頂けると幸いです。

フリーター転生。公爵家に転生したけど継承権が低い件。精霊の加護(チート)を得たので、努力と知識と根性で公爵家当主へと成り上がる 

SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
400倍の魔力ってマジ!?魔力が多すぎて範囲攻撃魔法だけとか縛りでしょ 25歳子供部屋在住。彼女なし=年齢のフリーター・バンドマンはある日理不尽にも、バンドリーダでボーカルからクビを宣告され、反論を述べる間もなくガッチャ切りされそんな失意のか、理不尽に言い渡された残業中に急死してしまう。  目が覚めると俺は広大な領地を有するノーフォーク公爵家の長男の息子ユーサー・フォン・ハワードに転生していた。 ユーサーは一度目の人生の漠然とした目標であった『有名になりたい』他人から好かれ、知られる何者かになりたかった。と言う目標を再認識し、二度目の生を悔いの無いように、全力で生きる事を誓うのであった。 しかし、俺が公爵になるためには父の兄弟である次男、三男の息子。つまり従妹達と争う事になってしまい。 ユーサーは富国強兵を掲げ、先ずは小さな事から始めるのであった。 そんな主人公のゆったり成長期!!

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...