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進めない
5.
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「弦の家まで送るよ」
「いいよ、ここはヒカルの家じゃん」
玄関先(これまた普通の家のリビング以上の広さがあるが)で、ヒカルに言われるが、ヒカルは既に家にいるのだからわざわざ往復してもらうのも悪くて断った。
ヒカルはまだ運転免許は持っていない。だから弦と一緒に電車に乗ってまで送るというのでさすがに申し訳なくなった。
「ヒカル。うちの未延に送らせよう」
二人の会話に突如参加してきたのは一真だ。一真の隣にはスーツを着た真面目そうな中年男性が立っている。確かこの人は一真の車の運転手を務めていた未延だ。
「ヒカルの運転手はもう帰っちゃったでしょ? あの人、必ず定時で帰るよね。ヒカルへの忠誠心がないのかな」
「いつも俺の命令で帰ってる。それのどこが悪い?」
「そうだったの? 知らなかった。なぁ未延、頼めるだろ? 弦を送ってくれないか?」
「承知いたしました。ヒカル様、それでよろしいですか?」
未延はヒカルに許可を求めている。ヒカルは弦に目を合わせてきた。弦の意思を確認しようとしているのだろう。
送りなんて必要ないが、これを断ったらヒカルがついてきてしまいそうで、弦はコクンと頷いてみせた。
「わかった。未延、弦を頼む」
「はい。仰せのとおりに」
未延はうやうやしく頭を下げ、「車の支度を整えてまいります」とその場を立ち去った。
「またね、弦」
一真が弦にひらひらと手を振ってみせるとすかさずヒカルが一真にひと睨みして牽制する。それに対して一真はフンと鼻を鳴らしてヒカルを一瞥する。
そんな二人を見ていても、まったくいい気分にはならない。
この二人、昔はもっと仲がよかったはずなのに。
一真専用高級車のマイバッハの車内。この車には後部座席に乗る弦と運転手の未延の二人きりだ。
車が動き出してからも特に会話もなく、車内はしんとしていたが、未延と話をしてみたくて弦は身を乗り出した。そうしないと車が大きすぎて運転席まで声が届かなそうだ。
「あの、未延さんは葛葉家に仕えてから長いんですか?」
「…………」
未延はしばらく沈黙していた。運転手は基本的に主人やその客人と話さないものなのだろうか。
未延は突然車を道路の端に寄せ、一時停止させた。
「——私と話をするなら、助手席にいらっしゃいませんか?」
「えっ?」
この声の主は未延ではない。
カチャリとシートベルトを外し、運転席から後部座席を振り返ったのは、紛れもなく一真だった。
「か、一真?!」
「そう。未延のふり。わかんなかった?」
一真は黒のスーツに身を包み、白い綿手袋をしている手を顔のそばで振ってみせた。
「弦、こっちおいで。俺と話そう」
一真に呼ばれて弦は助手席に移動する。一真は笑顔で「未延からスーツ借りた」と笑っている。
「一真、びっくりしたよ……」
「だってヒカルがうるさくて、こうでもしないと弦と話せないんだ。あいつは弦の番犬かよっ」
たしかにヒカルは弦と一真が話すことを快く思っていないようだった。ヒカルと恋人になる以前はそんなことはなかったのに。
「これでやっと二人きりだ」
一真はマイバッハのハンドルを握り、車を発進させる。
「一真。よく運転できるな」
この車は左ハンドルだ。右ハンドルと感覚が異なるから運転が難しいのではないか。
「なんとかね。未延にできて俺にできないなんてことはない。でも右のクセで意識してないと車体が右によっちゃうんだよね。弦。右に寄り過ぎてたら俺に教えてよ。あと右折のとき弦の目を貸して」
「うん」
一真は面白いな。こんなことまでして会おうとするなんて。
それから一真は、新しい大学での生活のことや、弦の父親の現状などを訊ねてきた。「よかったね、大学で友達がたくさんできて」とか「お父さんは元気なんだね。安心した」と穏やかに話を聞いてくれる。
ヒカルだったら、弦が大学の友人の話を褒めたりしたら「弦はそいつのことが好きなのか」と詰め寄られそうだ。
「ねぇ、弦。来月はヒカルの誕生日だろ?」
「えっ? うん……」
そうだ。ヒカルの誕生日はもうすぐだ。
恋人になって初めての誕生日だ。去年まではヒカルと一緒にいることすらできなかったから、きちんとお祝いをしてあげたい。
「でさ。俺とヒカルへのプレゼント、一緒に買いに行かない?」
「プレゼントか……」
まだ少し先の話かと思ってプレゼントを何にするかまでは考えていなかった。
ヒカルが喜ぶものってなんだろう。はっきり言ってヒカルは欲しいものならなんでも手に入れることができるから、欲しいものなんてないんじゃないだろうか。
「俺ね、ヒカルの欲しがりそうなもの、だいたい検討はついてるんだよ」
「えっ?! 何っ?!」
「だから一緒に買いに行こうよ、弦」
さすがはヒカルの兄貴だ。弦よりも長い時間をヒカルと過ごしてきたのだからヒカルのことを弦よりも知っているのだろう。
「わかった。いいよ、買いに行こう」
弦がそう返事をすると、一真は「よっしゃ」と小さくガッツポーズまでしている。
「ヒカルにはこのことはもちろん内緒だ。サプライズだからな」
「うん。ヒカルには言わない」
弦が今思いついたヒカルへのプレゼントもある。でもそれは品物ではないから、一真に見てもらってヒカルへのプレゼントを何か選べたら嬉しい。
「じゃあ決まりっ! 今日付と時間、待ち合わせ場所まで決めよう。ヒカルのことだから弦のスマホをチェックしてるかもしれないだろ?」
「まさか」
そんなこと、ヒカルがするはずがない。ヒカルがそのようなことをする必要はないし、勝手に人のメールを覗き見するような奴じゃない。
「念のため。あいつ、変に鋭いんだ。俺が未延と入れ替わったことだってすぐに気がついて——」
そのとき弦のスマホが振動した。見るとヒカルからの着信だ。
「いいよ、ここはヒカルの家じゃん」
玄関先(これまた普通の家のリビング以上の広さがあるが)で、ヒカルに言われるが、ヒカルは既に家にいるのだからわざわざ往復してもらうのも悪くて断った。
ヒカルはまだ運転免許は持っていない。だから弦と一緒に電車に乗ってまで送るというのでさすがに申し訳なくなった。
「ヒカル。うちの未延に送らせよう」
二人の会話に突如参加してきたのは一真だ。一真の隣にはスーツを着た真面目そうな中年男性が立っている。確かこの人は一真の車の運転手を務めていた未延だ。
「ヒカルの運転手はもう帰っちゃったでしょ? あの人、必ず定時で帰るよね。ヒカルへの忠誠心がないのかな」
「いつも俺の命令で帰ってる。それのどこが悪い?」
「そうだったの? 知らなかった。なぁ未延、頼めるだろ? 弦を送ってくれないか?」
「承知いたしました。ヒカル様、それでよろしいですか?」
未延はヒカルに許可を求めている。ヒカルは弦に目を合わせてきた。弦の意思を確認しようとしているのだろう。
送りなんて必要ないが、これを断ったらヒカルがついてきてしまいそうで、弦はコクンと頷いてみせた。
「わかった。未延、弦を頼む」
「はい。仰せのとおりに」
未延はうやうやしく頭を下げ、「車の支度を整えてまいります」とその場を立ち去った。
「またね、弦」
一真が弦にひらひらと手を振ってみせるとすかさずヒカルが一真にひと睨みして牽制する。それに対して一真はフンと鼻を鳴らしてヒカルを一瞥する。
そんな二人を見ていても、まったくいい気分にはならない。
この二人、昔はもっと仲がよかったはずなのに。
一真専用高級車のマイバッハの車内。この車には後部座席に乗る弦と運転手の未延の二人きりだ。
車が動き出してからも特に会話もなく、車内はしんとしていたが、未延と話をしてみたくて弦は身を乗り出した。そうしないと車が大きすぎて運転席まで声が届かなそうだ。
「あの、未延さんは葛葉家に仕えてから長いんですか?」
「…………」
未延はしばらく沈黙していた。運転手は基本的に主人やその客人と話さないものなのだろうか。
未延は突然車を道路の端に寄せ、一時停止させた。
「——私と話をするなら、助手席にいらっしゃいませんか?」
「えっ?」
この声の主は未延ではない。
カチャリとシートベルトを外し、運転席から後部座席を振り返ったのは、紛れもなく一真だった。
「か、一真?!」
「そう。未延のふり。わかんなかった?」
一真は黒のスーツに身を包み、白い綿手袋をしている手を顔のそばで振ってみせた。
「弦、こっちおいで。俺と話そう」
一真に呼ばれて弦は助手席に移動する。一真は笑顔で「未延からスーツ借りた」と笑っている。
「一真、びっくりしたよ……」
「だってヒカルがうるさくて、こうでもしないと弦と話せないんだ。あいつは弦の番犬かよっ」
たしかにヒカルは弦と一真が話すことを快く思っていないようだった。ヒカルと恋人になる以前はそんなことはなかったのに。
「これでやっと二人きりだ」
一真はマイバッハのハンドルを握り、車を発進させる。
「一真。よく運転できるな」
この車は左ハンドルだ。右ハンドルと感覚が異なるから運転が難しいのではないか。
「なんとかね。未延にできて俺にできないなんてことはない。でも右のクセで意識してないと車体が右によっちゃうんだよね。弦。右に寄り過ぎてたら俺に教えてよ。あと右折のとき弦の目を貸して」
「うん」
一真は面白いな。こんなことまでして会おうとするなんて。
それから一真は、新しい大学での生活のことや、弦の父親の現状などを訊ねてきた。「よかったね、大学で友達がたくさんできて」とか「お父さんは元気なんだね。安心した」と穏やかに話を聞いてくれる。
ヒカルだったら、弦が大学の友人の話を褒めたりしたら「弦はそいつのことが好きなのか」と詰め寄られそうだ。
「ねぇ、弦。来月はヒカルの誕生日だろ?」
「えっ? うん……」
そうだ。ヒカルの誕生日はもうすぐだ。
恋人になって初めての誕生日だ。去年まではヒカルと一緒にいることすらできなかったから、きちんとお祝いをしてあげたい。
「でさ。俺とヒカルへのプレゼント、一緒に買いに行かない?」
「プレゼントか……」
まだ少し先の話かと思ってプレゼントを何にするかまでは考えていなかった。
ヒカルが喜ぶものってなんだろう。はっきり言ってヒカルは欲しいものならなんでも手に入れることができるから、欲しいものなんてないんじゃないだろうか。
「俺ね、ヒカルの欲しがりそうなもの、だいたい検討はついてるんだよ」
「えっ?! 何っ?!」
「だから一緒に買いに行こうよ、弦」
さすがはヒカルの兄貴だ。弦よりも長い時間をヒカルと過ごしてきたのだからヒカルのことを弦よりも知っているのだろう。
「わかった。いいよ、買いに行こう」
弦がそう返事をすると、一真は「よっしゃ」と小さくガッツポーズまでしている。
「ヒカルにはこのことはもちろん内緒だ。サプライズだからな」
「うん。ヒカルには言わない」
弦が今思いついたヒカルへのプレゼントもある。でもそれは品物ではないから、一真に見てもらってヒカルへのプレゼントを何か選べたら嬉しい。
「じゃあ決まりっ! 今日付と時間、待ち合わせ場所まで決めよう。ヒカルのことだから弦のスマホをチェックしてるかもしれないだろ?」
「まさか」
そんなこと、ヒカルがするはずがない。ヒカルがそのようなことをする必要はないし、勝手に人のメールを覗き見するような奴じゃない。
「念のため。あいつ、変に鋭いんだ。俺が未延と入れ替わったことだってすぐに気がついて——」
そのとき弦のスマホが振動した。見るとヒカルからの着信だ。
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