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70.ラマンホテルにて

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 冬麻がいるのはラマンホテルの一階にあるラウンジだ。
 ここでひとり、コーヒーを飲みながらすぐ隣に座っている男女の様子をこっそり伺っている。



「俺、お前と結婚する気なんてねぇから。水商売の女とかあり得ねぇし」

 このカップルは険悪な雰囲気だ。男はさっきから女に対して傲慢な態度をとっている。

「あんたが今してる時計も、私が仕事して稼いだお金で買ったんだけど」

 女とは冬麻は面識がある。以前社長室を訪ねてきた遠波だ。

「そっかそっか。まぁ、お前は俺にベタ惚れだもんな。物には罪はねぇし、これからも俺にプレゼントしたいっていうならもらってやるよ。ほら、こうやってちゃんと大事に使わせてもらってる。ありがとな」

 調書によると、男の名前は長谷川洸平はせがわこうへい。広告代理店勤務の三十二歳。見た目もよく、格好もこざっぱりとしたジャケット姿で、時計から靴までキレイに整っている。ぱっと見てモテそうな男だ。

「最近、はなは老けたなぁ。三十六になるんだっけ? そんなに眉間にシワを寄せて怖い顔すんなよ。今よりもっとシワが増えるぞ」

 遠波華は三十六歳だったのか。冬麻の印象では、二十代後半くらいにみえたのに。



「やっぱ女は二十五までだよな。よく言うじゃん? クリスマスケーキと一緒だって。賞味期限は二十五まで、二十六ならギリギリ食えるけど、三十六とかとっくにカビが生えてんだろ。腐った生ゴミだよな」

 長谷川は自分で言ってひとりで笑っている。長谷川の対面に座っている遠波は何も言い返さずに長谷川を睨みつけている。

「よかったな、華は。俺みたいな男と付き合えて感謝しろよ! あ、そうだ、俺、明日朝早いから、6時に朝メシ用意しといてくれる? こないだみたいな手抜き料理はやめてくれよ。華は高卒で知らないんだろうけど、朝は一日の始まりで、栄養バランスがとっても大切なんだからな」

 冬麻は、さっきからのふたりのやり取りを要約して、メールで久我に伝えている。



「……そんなことするわけないでしょ」

 遠波は静かな怒りをたたえている。

「は?」
「もう耐えられない。洸平、別れよ」
「な、何言ってんだよ、華。俺と別れてもお前なんかと付き合ってくれる男なんていねぇよ? 俺以上のハイスペ男にはもう出会えないって!」
「私の荷物は今日、全部あのマンションから引き払ったから」
「えっ?! 嘘だろ?! 家賃は? これからも華が半分払ってくれるんだろ?」
「払うわけないでしょ。自分でなんとかしなさいよ!」
「何言ってんだよ、おい、華っ!」

 洸平が慌てて華の手を掴もうとする——。



「触るな!」

 洸平の手を振り払ったのは久我だ。

「はぁ?! お前、誰だよ! いきなりふざけんな!」

 突然現れた久我に罵声を浴びせる長谷川だが、久我には全く響かない。

「お前なんかに華はもったいない。振られて当然だ」

 久我は遠波の隣に座った。遠波は「朔夜っ!」と久我に身体を寄せ、久我の隣にぴったりくっついた。

「は? 何? 華の新しい男?!」
「久我朔夜さん。上場企業の社長さんなの」
「社長?!」

 長谷川は久我を見定めるような視線で眺める。

 久我は高級オーダーメイドスーツに身を包み、左腕にはスイス製の超高級腕時計をはめている。長谷川からは見えないかもしれないが、鞄などの持ち物も、足の先から頭まですべてが完璧だ。もともとのビジュアルがいいのに、そんな男が最高にかっこいい姿をしているのだからそこに一分の隙もない。
 ちなみに久我は、左手薬指と小指に包帯を巻いている。こんなときくらい指輪を外してもいいと冬麻が言ったのにそれを久我は全く聞き入れなかった。

「えっ、だって俺と同じくらいの歳にしか見えない。そんな若くて上場企業の社長……。華、いつの間にこんな男を捕まえたんだよ……」
「飲食店経営の同業者の集まりで知り合ったの。初めて見たときはイケメン過ぎて企業のモデルさんかと思っちゃった。で、話してみたらすごく優しくていい人なの。こんな人が独身だなんて信じられない。集まりのときも朔夜はすごい人気だったの」

 たしかにビジネスでも、恋愛の面でも久我は人気がある。冬麻も久我の秘書になってみてそれを目の当たりにするようになり、少し久我の存在を遠く感じてさみしくなった。


「俺はまだ華の恋人じゃない。でも彼女と結婚を前提にした付き合いをしたいと思ってる」
「嘘だろ?! こんな男が華に惚れてるのか?! でっ、でも華は俺が好きなんだ。お前は片想いってことだよな? 俺がいるのに華が浮気なんてするわけないもんな?」
「何言ってるんだ? お前はたった今、華に振られただろ?」
「は? まだ別れるなんて言ってねぇし。華だってちょっと拗ねただけで、すぐに俺のところに戻ってくるに決まってる」
「洸平。さっきも言ったけど私は別れることに決めたから。もう終わりね」
「おいっ! 勝手に決めるな、駄目だろっ、華がいないと俺が困る!」

 遠波に冷たい目で見下され、長谷川は急に慌て始めた。

「だろうな。お前、今まで華に頼りきりで何もしてこなかったんだろ? 家賃折半で同棲してるくせに、お前家事を全部華に押しつけて、それでせっかく作ってくれたものに文句つけてんのか? だったらお前が作れよ! 華だって立派に仕事をしてるんだ。忙しい中お前に尽くしてくれてるんだから感謝しろよ!」
「はぁ? 俺、男だけど。なんで男が家事をやらなきゃいけないんだよ、おかしいだろ?」
「俺も男だけど家事はやる。もし俺が華の恋人になれたとしたら、家のことを華ひとりに任せようだなんて微塵も思わない」
「俺はエリートサラリーマンだから仕事が忙しいんだよ、だから家事する時間なんてない」
「華だって忙しい。時間がないならハウスキーパーでも雇えよ。エリートサラリーマンなんだろ? 月に数十万も払えば済む話だ」
「俺は社長じゃないんだ。そんな金額払えるかよ!」
「じゃあお前がやれ。全部華に押しつけるな!」
「は? 家事もしない女なんてクソだろ? そんな奴と付き合っても俺に何の得もねぇじゃん」

 長谷川は性根が腐ってる。恋人をいったいなんだと思っているのだろう。無償の家政婦かなにかと勘違いしているのだろうか。



「華は綺麗だ」

 久我は長谷川に淀みなく言い切った。

「こんなに綺麗な女性はなかなかいないよ。見た目だけじゃない、心も綺麗だ。だからお前みたいな手のかかる男の面倒もみてくれてたんだろ? なにより華の商売はすごく難しい商売だ。人の心を掴まなきゃならない。それをやってみせるんだから華はすごいと思う。俺は華のこと、尊敬してるよ」

 久我は話の最後に遠波に視線を送った。遠波は今までの苦労を思い出しているのか、久我に庇われたことが嬉しかったのか、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「悪いがもう華はお前のものじゃない。さ、行こうか華。引っ越しの片付けがあるって言ってたよな。男手が必要なら俺が手伝うよ。華ひとりじゃ大変だろ?」

 久我が遠波を連れ、立ち上がろうとするので「待てよ!」とすかさず長谷川が久我を静止した。

「華は俺のものだ! お前は社長で金はあるのかもしれねぇけど、どうせ華と付き合いたいから最初だけきれいごと言って善人ヅラしてるんだろ?」

 長谷川は遠波に向き直る。

「なぁ、華。俺反省したよ。華がいないと俺は生きていけない。これからはちゃんと家事も手伝う。ゴミ捨ては俺がやるよ。誕生日に俺にブランド物を買わないと別れるなんて言わない。どんな安物でも華からもらったものなら大切にするから。そうだ! なんなら結婚してやってもいい。俺と華なら上手くやっていけそうだもんな。そうしよう、な?」

 長谷川の言葉を聞き、久我と遠波が顔を見合わせた。ふたりは視線で意思を疎通しているようだ。


「洸平がどれだけ駄目な男かよくわかった。さよなら。もう二度と会いたくない」
「はっ、華?!」
「華を大事にしなかったお前が悪い。もう手遅れだな」
「いや、おい、嘘だろ?! 俺、急に捨てられんの?! 可哀想すぎねぇ?」
「急じゃない。私何度も洸平に言った。なのに何もしてくれなかったのは洸平だよね?」
「華っ! 俺を捨ててその男と付き合うのか?!」
「そう。朔夜はかっこいいし優しいの。私の仕事も理解してくれるし、助けてくれる。私、朔夜と結婚したい。この人となら絶対幸せになれるもの」

 遠波は「行こっ、朔夜」と久我の手をとり長谷川を置き去りにして久我とふたりでラウンジを出て行く。

「えっ、マジで?! おい、華っ! 戻ってきてくれっ」

 みっともなくすがりつく長谷川の手を遠波はサッと振り払った。

 遠波とふたりの男の三角関係はラウンジでもかなり人目を引いており、冬麻の向かいに座っている女性ふたり組も「あれはどう考えても背の高いイケメンを選ぶよね」と一部始終をみてごもっともな感想を漏らしていた。

 遠波と久我のふたりがラウンジを去っていったところで冬麻も立ち上がり、駐車場へ先回りするように走った。
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