上 下
51 / 124

番外編 忘れられない一日2

しおりを挟む
 変な感じだ。毎朝「おはよう」とベッドで久我の抱擁を受けて目覚めていたから、ひとりで目覚ましをかけて起きるのが久しぶりだった。


「冬麻。おはよう!」

 ダイニングに行くと久我はいつも通りの爽やかな笑顔で冬麻を迎えた。

「今日は和食にしてみたけど、パンもあるから選んでいいよ」

 ダイニングテーブルに置かれているのはいつも通りの久我の完璧な朝食だ。

「いえ、和食がいいです。用意してくれてありがとうございます……」

 冬麻がダイニングに座ると同時に冷茶が目の前に置かれる。

「今日は冬麻の出勤時間に合わせて俺も出るから」

 『今日は』じゃない。いつもそうだ。社長の出勤がまさか、いち社員の冬麻に合わせられているとは誰も思いもしないだろう。



 支度を終え、出勤時間になって、ふたりで玄関に向かう。
 いつもはここで久我が出勤前のキスをしてくるのに、今日はさっさとドアを開けて「冬麻、行こう」とドアを開けたまま外で待機していた。





 帰宅後、いつもお風呂上がりはなんとなくイチャイチャタイムなのに、今日は冬麻ひとりでTVドラマの続きを観ている。
 観る前に久我に「一緒に観ませんか」と声をかけたのに「ごめん、仕事。先に観てて」とあっさり断られてしまった。

 ——隣に座るのはいいって言ったのに……。

 いつもはソファで久我に後ろから抱かれる姿勢で久我に寄りかかりながらTVを観ているが、今日はソファが妙に冷たく感じる。
 くっついて観ることは叶わなくても普通に隣で観ればいいのに、と残念に思うが仕事と言われてしまったらこれ以上誘う言葉もない。


「俺はもう寝るね。おやすみ冬麻。また明日」

 冬麻がTVを観ている途中で、久我はPCを抱えて自室に行ってしまった。

 もともと広い家だけど、ひとりきりでリビングにいるとさらに広く感じる。
 もうすぐ観終わるから、終わったら自分も寝ようと思って最後まで観ていたのに、なぜかドラマの内容があまり頭に入ってこなかった。




 久我の部屋を通り過ぎて、その隣にある冬麻の部屋に入る。
 当たり前だが、そこには誰もいない。
 クーラーをつけたあと、冬麻は白い壁に向かう。
 この壁の向こう側は久我の部屋だ。

 ——久我さんは今何をしてるんだろう。

 久我はもうひとりで寝ているのだろうか。気になるけど、まさか自分から言い出しておいて今さら久我の部屋に行くわけにもいかない。

 コンコン、と軽く壁を叩いてみる。もちろん何の反応もない。このマンションは作りが堅固だから久我には届かないだろう。

 三日間のルールを考えたのは冬麻自身だが、思っていたより寂しいな、なんて思った。





 そして三日目の朝を迎えた。冬麻が久我に『お触り禁止令』を出したのは火曜日だったから、火・水・木が過ぎ今日は金曜日。今日からは通常通りのふたりに戻れる。

 久我はルール通りに昨日まで指一本冬麻に触れてこなかった。きっと反省してくれただろうし、今日からは全部冬麻も今まで通りに久我のスキンシップを受け入れるつもりだ。

「おはようございます」
「あ! 冬麻、おはよう!」

 久我は今日は一段と早起きだ。朝食の準備も完璧だし、自分もビシッとスーツを着込んでいる。真夏なのにジャケットまで。

 もう三日間経ちましたよ、とも言えずにチラッと視線で訴えてみるが、目が合っても久我は「どうしたの?」と笑顔を返してくるだけ。
 そのうち久我のスマホが鳴って忙しなく誰かと仕事の話をし始めた。


 まぁ、忙しい朝からイチャつくのもないよなと思い直し、冬麻も出勤のための朝のルーティンをこなしていく。
 その間、久我は朝からPCを開いてメールの対応に追われている様子だ。


 いざ家を出る時間になり、ふたりで玄関に向かう。
 靴を履いたところで、久我がドアを開ける前に「久我さんっ」と呼び止めた。

「なに?」

 声をかけて顔を合わせれば、察してくれるかなと思っていたのに久我は首を傾げている。

 ——いつもの出勤前のアレはしないんですか、三日経ったのでもういいですよ。

 なんて恥ずかしくて言い出せない。

「……なんでもないです。忘れ物したかと思ってたけど、ありました」
「そっか、よかった。じゃあ行こう」

 久我はなんの躊躇もなく玄関のドアを開け放った。

 



 久我はランボルギーニのハンドルを握り、冬麻の職場、外苑前の店へと向かっている。

「この前も言ったけど、今日は俺、仕事で冬麻のこと迎えに行けないし家にも戻らないから」

 そうだ。金曜日は新店舗オープンのレセプションパーティーがあると久我が言っていたことを思い出した。

「わかりました……」

 せっかく三日間が解禁になったのに、今日の夜は会えないのか……。


 
 外苑前の店から少し離れた場所に久我は車を停車させ、いつものように運転席から降り、車の前を回り込んで外から助手席のドアを開けた。
 冬麻は車から降りる。
 久我はなんでもない顔で「また明日ね」と微笑んで言っている。

 ——少しだったらいいかな。

 ここは外だ。冬麻の職場の近くでもある。それでも一瞬なら久我に抱きついてもいいかな、なんて寂しさからいつもより大胆な気持ちになる。

「久我さん、また明日会えるのを楽しみにしてます」

 冬麻はそっと久我に抱きつこうと手を伸ばしたのに、久我は冬麻が近づいたぶんだけ後ろに下がった。


 あきらかに、避けられた——。

 ショックだった。
 ここが外で、誰かに見られる可能性があるから?
 それともただ抱きつかれたくなかった?

 理由はわからないけれど、とにかく久我が冬麻を拒絶したのだけは確かだ。


「そ、それじゃまた明日! 送ってくれてありがとうございました!」

 冬麻は久我の顔を見ることもできずに下を向き、逃げるように早足でその場を立ち去った。



 冬麻の心拍数がバクバク上がっていく。
 きっと早歩きをしているせいだ。決してさっき久我に避けられたせいじゃない。そう自分自身に言い聞かせる。


 なんでだろう。
 冬麻がくだらないルールなんて作ったことをキッカケに、そういうことに興味がなくなったのか……?
 まさか、たった三日でそんなこと——。

 なんであんなにがっついてた男がなんにもしてこないんだよ! がっつくどころか避けやがって!

 不安に焦り、悲しみ、怒りにも似た感情まで。冬麻の心はぐちゃぐちゃに乱されていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

その子俺にも似てるから、お前と俺の子供だよな?

かかし
BL
会社では平凡で地味な男を貫いている彼であったが、私生活ではその地味な見た目に似合わずなかなかに派手な男であった。 長く続く恋よりも一夜限りの愛を好み、理解力があって楽しめる女性を一番に好んだが、包容力があって甘やかしてくれる年上のイケメン男性にも滅法弱かった。 恋人に関しては片手で数えれる程であったが、一夜限りの相手ならば女性だけカウントしようか、男性だけカウントしようが、両手両足使っても数え切れない程に節操がない男。 (本編一部抜粋) ※男性妊娠モノじゃないです ※人によって不快になる表現があります ※攻め受け共にお互い以外と関係を持っている表現があります 全七話、14,918文字 毎朝7:00に自動更新 倫理観がくちゃくちゃな大人2人による、わちゃわちゃドタバタラブコメディ! ………の、つもりで書いたのですが、どうにも違う気がする。 過去作(二次創作)のセルフリメイクです もったいない精神

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

多分前世から続いているふたりの追いかけっこ

雨宮里玖
BL
執着ヤバめの美形攻め×絆されノンケ受け 《あらすじ》 高校に入って初日から桐野がやたらと蒼井に迫ってくる。うわ、こいつヤバい奴だ。関わってはいけないと蒼井は逃げる——。 桐野柊(17)高校三年生。風紀委員。芸能人。 蒼井(15)高校一年生。あだ名『アオ』。

親友だと思ってた完璧幼馴染に執着されて監禁される平凡男子俺

toki
BL
エリート執着美形×平凡リーマン(幼馴染) ※監禁、無理矢理の要素があります。また、軽度ですが性的描写があります。 pixivでも同タイトルで投稿しています。 https://www.pixiv.net/users/3179376 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/98346398

束縛系の騎士団長は、部下の僕を束縛する

天災
BL
 イケメン騎士団長の束縛…

親衛隊は、推しから『選ばれる』までは推しに自分の気持ちを伝えてはいけないルール

雨宮里玖
BL
エリート高校の親衛隊プラスα×平凡無自覚総受け 《あらすじ》 4月。平凡な吉良は、楯山に告白している川上の姿を偶然目撃してしまった。遠目だが二人はイイ感じに見えて告白は成功したようだった。 そのことで、吉良は二年間ずっと学生寮の同室者だった楯山に自分が特別な感情を抱いていたのではないかと思い——。 平凡無自覚な受けの総愛され全寮制学園ライフの物語。

悪役側のモブになっても推しを拝みたい。【完結】

瑳来
BL
大学生でホストでオタクの如月杏樹はホストの仕事をした帰り道、自分のお客に刺されてしまう。 そして、気がついたら自分の夢中になっていたBLゲームのモブキャラになっていた! ……ま、推しを拝めるからいっか! てな感じで、ほのぼのと生きていこうと心に決めたのであった。 ウィル様のおまけにて完結致しました。 長い間お付き合い頂きありがとうございました! カクヨム、小説家になろうでも投稿しています。

貧乏Ωの憧れの人

ゆあ
BL
妊娠・出産に特化したΩの男性である大学1年の幸太には耐えられないほどの発情期が周期的に訪れる。そんな彼を救ってくれたのは生物的にも社会的にも恵まれたαである拓也だった。定期的に体の関係をもつようになった2人だが、なんと幸太は妊娠してしまう。中絶するには番の同意書と10万円が必要だが、貧乏学生であり、拓也の番になる気がない彼にはどちらの選択もハードルが高すぎて……。すれ違い拗らせオメガバースBL。 エブリスタにて紹介して頂いた時に書いて貰ったもの

処理中です...