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36.晴翔
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休みの日に晴翔と約束した駅に到着すると、改札前にいたのは、晴翔と見知らぬ女子ふたり。三人はすごく楽しそうに何かを話している。
——なんだあれ。女の子がいるなんて晴翔から聞いてない!
まさかのダブルデートかと腰が引けてきた。「お前も彼女作ったほうがいいよ」とかそういう余計なお節介はやめて欲しい。知らない人と急にデートとかかなり苦手だ。
「あ! 冬麻!」
晴翔に近寄ることを躊躇していたのに、晴翔に見つかり、呼ばれてしまった。こうなるともう三人のもとに行くしかない。
「ごめん遅れて……」
「たった五分じゃん。こんなの遅れたうちに入んねぇし」
晴翔は笑顔でさらっと冬麻の遅刻を流してくれた。それはありがたいけど、気になるのは晴翔と一緒にいる女子ふたりだ。
「えっと、晴翔の友達……?」
冬麻は晴翔に説明して欲しくて訊ねた。
「え? ああ! そう見えた?」
「違いますよ!」
晴翔と女子ふたりは顔を合わせて笑っている。
「へっ……? じゃあ——」
「駅でお互い待ち合わせしてただけだよ。俺は紗南ちゃんと真莉ちゃんの隣で突っ立ってただけなんだけど、なんか喋っちゃってさ、ボウリング行くって話をしてたら紗南ちゃんから割引き券貰っちゃった」
「そうだったんだ……」
晴翔は恐ろしいくらいのコミュ力だな。普通は駅で待ち合わせしてるときに、隣りの女の子と喋るシチュエーションになんてならない。しかもものの五分でふたりの名前と割引き券までゲットするなんて……。
「じゃ、俺は連れが来たから行くわ。これ、ありがと!」
晴翔は女子ふたりに礼を言い、「冬麻、行こうぜ!」と冬麻を呼ぶ。
「うん! 晴翔じゃあね!」
「バイバイ!」
ふたりも笑顔で手を振っていた。
「晴翔、お前すごいな。あんな速さで知り合いになれるの?」
ボウリング場に向かう道すがら、さっきのびっくりした話を晴翔にする。
「うん。まぁ、いい子たちだったし、なんかその場の雰囲気で?」
「マジか……」
すごいな。冬麻には絶対にできない所業だと思う。
「あ! もしかしてあの子たちと一緒にボウリングしたかった?! 俺、今からでも戻ってナンパしてこようか?」
「えっ! やめろよ! そんなんじゃないから!」
それだけは嫌だ。緊張するだけでなにも嬉しくない。
「そう? じゃあ冬麻は俺とふたりきりがいいってこと?」
「最初からそのつもりだったのに、急に知らない人とか俺は苦手なんだよ」
「そっか。俺は冬麻と遊ぶときに他に誰かを呼んだりしねぇよ。俺も冬麻とふたりっきりがいいから」
晴翔の屈託のない笑顔。じとっとした嫌な梅雨空も爽やかに思えてくる。
「2ゲーム目はスコアで勝負しようぜ」
1ゲーム投げ終わったときに、晴翔が提案してきた。
「いいよ。なんか賭けるか?」
1ゲーム目のスコアはふたりとも大差はなかった。次こそはという晴翔に対する競争心があったし、どうせ勝負するならジュース一本でも賭けたほうが面白いかなと冬麻は考えた。
「あ、いいね! じゃあ——」
晴翔は少し考えたのち、
「勝ったほうは、負けたほうに命令できるってのはどう?」
「命令?!」
「そ。負けた奴は勝った奴の命令にひとつだけ従わなきゃ駄目っていうのは?」
「ああ。まぁ、いいけど……」
相手は晴翔だ。高いものを奢れとか、無茶な命令はしないだろうし、冬麻だって勝っても晴翔にそんなことを要求する気もない。
「じゃ、決まり! すげぇ急にやる気出てきたわ。俺、絶対に勝ってお前にモノマネやらせてやる!」
晴翔が両肩を回して気合を入れている。
「うわ、負けたくねぇ……」
モノマネとか絶対に嫌だ。冬麻の負けられない戦いがここに始まった。
「ダッサ。お前最後のアレはないわ」
ボウリングのあと、近くのファミレスに入ってさっきまでの勝負の話をしている。
結果は冬麻の負け。
僅差の勝負で、10フレーム目でスペアを出したので、最後の一投を投げられるようになり、起死回生のチャンスだったのに、冬麻はガターを出し一本もピンを倒せず晴翔に負ける、という最悪の負け方をした。
「うるさいな。もういいだろ……」
晴翔は冬麻のミスを嬉しそうに何度も笑うからいい加減イライラしてきた。
「あー! 冬麻に何してもらおっかな!」
「ここのメシは奢らないからな」
晴翔の注文したものはざっと見繕って1500円オーバーだ。それを奢れと命令されたらたまらないので冬麻は予防線を張る。
「んー。何にしよ。考えとく。今日中にはやってもらうからな」
嬉しそうな晴翔を見て冬麻は溜め息をつく。
まぁ、負けは負けだ。仕方がない。
「でも、マジでよかったよ。冬麻があいつのとこを出て、家に帰ってきてくれて」
デザートのガトーショコラを食べながら晴翔ととりとめのない話をしていたのだが、ついに久我の話になった。
いつか話題に上がるとは覚悟していたが、冬麻にとってはあまり触れて欲しくない話だ。
「もうあいつからの嫌がらせはない?」
「だから最初から何もないんだって……」
なぜか晴翔は久我と冬麻の話に首を突っ込もうとする。きっと正義感からなんだろうけど、晴翔には悪いが放っておいてくれと思ってしまう。
「嘘だろ? 絶対にあいつは悪い男に決まってる。俺にだけでも、話せない……? 庇うことなんてない。あいつはきちんと罪を償うべきだと俺は思ってる」
晴翔はいったい何を話せと言うんだろう。
冬麻が久我にされたことを知りたがっている、ということなのか……?
久我とは実は相思相愛の恋人でした、身体の関係だって同意の上でしたって言えば納得するのか……?
そんなこと暴露するのも恥ずかしい。男のくせに男に抱かれてました、だなんて。
抱く側ならまだしも、冬麻は突っ込まれたほうだ。久我の手に翻弄されて、女みたいに喘ぎ声を上げて、あんなことやそんなことまで——。
やばい。
欲求不満なのか変なことを思い出してしまい、そんなこと考えている場合じゃないと、頭の中から雑念を必死で振り払う。
「冬麻……?」
晴翔が心配そうにこちらの様子を伺っている。
「あっ、ごめん。な、なんだっけ……?」
「……なんでもない。てか、お前はわかりやす過ぎだ」
「えっ! 何が?!」
いったい何を晴翔に悟られたんだろう……。
「何その顔。あいつを思い出しただけで冬麻はそんな顔すんの?」
そんな顔……?
冬麻としては特段何もしていないと思っているから晴翔の言うことがよくわからない。
「……なんかムカつくわ」
晴翔は舌打ちしたあと何かボソボソ言っていたが、晴翔はぼんやりして話を聞いてなかった冬麻の態度が気に入らなかったのかもしれない。
「でも、融資の話は継続になったし、社長を責めることなんてない。俺は本当に大丈夫だから。もう、終わったことだし……」
久我もこの前「終わったこと」だと言っていた。
もう久我の家に行くこともないんだろうし、久我と寄りを戻すどころか、話をすることすらないかもしれない。
ふたりがファミレスを出る頃には、店には入店待ちの列。目の前の道には人が溢れている。
状況を察するに、野球のナイターを観戦するべく人が集まってきているようだ。
「ジェットコースターとか、なんか乗り物乗ってかねぇ?」
「いいよ」
野球ファンがごった返す中、晴翔と遊歩道を歩く。
「冬麻、こっち!」
晴翔とはぐれそうになって晴翔がぐいっと冬麻の腕を掴んで自分のほうへ引っ張った。
「もう少しで人混みもなくなるから」
晴翔の言うとおり、遊園地エリアまで辿り着いてしまえば混み合ってはいないようだ。
混み合う中、冬麻は不意にどんっ! と見知らぬ誰かと身体がぶつかった。
すみませんを言う隙もない。ぶつかった男はあっという間に人混みに紛れてどこかへ消えていく。
「クソッ! あいつスリだ!」
晴翔が慌てて男を追って踵を返し走っていく。
「スリ……?」
まさかと思って自分の尻ポケットを確認する。ポケットはカラだ。さっきまでそこにあったはずの財布がない!
「マジかよ!」
冬麻も慌てて男と晴翔の後を追った。
人混みをかき分け、必死で走った。それでもスリの男と晴翔の姿を完全に見失ってしまった。
——どこ行ったんだよ……!
晴翔はスリの男に追いついたのだろうか。この人の多さだし、男に土地勘があったら逃げられてしまったかもしれない。
ふたりの姿を探していたとき、スマホに着信があった。バッと手に取り画面を見ると田上晴翔と表示があった。
「もしもし晴翔?!」
『冬麻! 今どこ? 俺そっちに行くから』
冬麻は辺りを見回す。
目ぼしいものや、〇〇番ゲートの近くなど手がかりになりそうなものを晴翔に伝えると、晴翔と無事に合流できた。
「晴翔っ!」
駆け寄る冬麻に、晴翔は顔の横に冬麻の財布をちらつかせながら笑ってる。
「ありがとう晴翔! 取り返してくれたのか?!」
すごいな晴翔は。あそこからよくスリの男に追いついたな。
「ほら」
晴翔から財布を受け取る。念のため中身を見ると冬麻名義のカードや、その他全部、盗られる前と同じ状態だ。金を抜き取られた様子もない。
「全部無事だ。晴翔、ほんとにありがとう!」
晴翔がいなかったら財布をすられても、すぐには気付けなかった。晴翔に「スリだ」と言われて初めてハッと気がついたくらいなのだから。
「とりあえずよかったな。無事に財布が戻ってきて」
「うん」
このお礼は、また別の機会に晴翔にしないといけないな、と冬麻は思った。
「そういえば犯人はどうなったんだ?」
財布が無事なのがわかって、次に気になるのは犯人はのその後だ。
「あー、えっと……犯人は通りすがりの人に任せてきたんだ。多分あのあと警察に連れてかれたんじゃないかと思うけど……。俺はとりあえず冬麻のところに戻らなきゃって思ってさ」
「そうか。被害もなかったし、犯人も捕まえたなんて晴翔、お前すごすぎるな!」
感心する冬麻に対して晴翔は「いや……」と謙遜して首を横に振っている。
こんな手柄を立ててもっと傲ってもいいのに、なんでもないことみたいな顔をして、晴翔は本当にいい奴だ。
それから状況を警察官に話して、諸々終わった頃には辺りは暗くなっていた。
晴翔とこのまま帰るのも惜しいという話になり、ジェットコースターだけ乗ってから帰ることになった。
それを楽しんだあと、今は晴翔とふたりで白山通りを歩いている。
「今日は色々あったけど、楽しかったな」
晴翔が遊びに誘ってくれたお陰で、いい気分転換ができた。スリに遭ったりしたけど晴翔が解決してくれたし、振り返ると楽しい一日だった。
「俺も。また冬麻の休みの日にどっか出かけようぜ。あ! 三軒茶屋に美味いラーメン屋があるんだけど、今度一緒に行かない?」
「うん、行く行く」
「俺たちの地元にさ、おっさんがひとりでやってた善楽っていうラーメン屋あったじゃん?」
「うわ、懐かしいな!」
子供の頃、善楽で両親とラーメンを食べていたら田上一家と偶然出くわしたことが何度もあった。今は閉店してしまったが、思い出深い店だ。
「あそこのラーメンに似てて美味いんだよ」
「それって美味いのか?!」
あそこのラーメンは良くも悪くもごく普通の醤油ラーメンだったのに……。
「うん。冬麻も食ってみて。懐かしいから」
「わかった。今度連れてってくれ」
晴翔との付き合いはすごく長い。物こごろついた時には既に友達だった。共通の思い出も多いから、話しててすごく楽だ。
「なぁ、冬麻」
晴翔が立ち止まった。冬麻もどうかしたのかと晴翔を振り返る。
「俺、すっかり忘れてたんだけど」
「なんだ?」
「命令だよ。まだやってもらってない。俺、お前にやって欲しいことあるんだけど」
晴翔は遠い目で、白山通りを通過する車を眺めている。
「そうだった。何? 早く言えよ」
言われて冬麻も思い出した。今ここで何をやらされるんだ……。
「冬麻、こっち来て」
晴翔は冬麻を建物の影に引っ張り込んだ。ふたり近距離で目が合う。晴翔は怖いくらい真剣な表情で、いつもと雰囲気が違ってドキッとした。
「冬麻に命令」
晴翔は冬麻の腰に両腕を回してきた。
「いまここで俺にキスして」
「えっ……?」
こいつ、急にどうしたんだ……?!
——なんだあれ。女の子がいるなんて晴翔から聞いてない!
まさかのダブルデートかと腰が引けてきた。「お前も彼女作ったほうがいいよ」とかそういう余計なお節介はやめて欲しい。知らない人と急にデートとかかなり苦手だ。
「あ! 冬麻!」
晴翔に近寄ることを躊躇していたのに、晴翔に見つかり、呼ばれてしまった。こうなるともう三人のもとに行くしかない。
「ごめん遅れて……」
「たった五分じゃん。こんなの遅れたうちに入んねぇし」
晴翔は笑顔でさらっと冬麻の遅刻を流してくれた。それはありがたいけど、気になるのは晴翔と一緒にいる女子ふたりだ。
「えっと、晴翔の友達……?」
冬麻は晴翔に説明して欲しくて訊ねた。
「え? ああ! そう見えた?」
「違いますよ!」
晴翔と女子ふたりは顔を合わせて笑っている。
「へっ……? じゃあ——」
「駅でお互い待ち合わせしてただけだよ。俺は紗南ちゃんと真莉ちゃんの隣で突っ立ってただけなんだけど、なんか喋っちゃってさ、ボウリング行くって話をしてたら紗南ちゃんから割引き券貰っちゃった」
「そうだったんだ……」
晴翔は恐ろしいくらいのコミュ力だな。普通は駅で待ち合わせしてるときに、隣りの女の子と喋るシチュエーションになんてならない。しかもものの五分でふたりの名前と割引き券までゲットするなんて……。
「じゃ、俺は連れが来たから行くわ。これ、ありがと!」
晴翔は女子ふたりに礼を言い、「冬麻、行こうぜ!」と冬麻を呼ぶ。
「うん! 晴翔じゃあね!」
「バイバイ!」
ふたりも笑顔で手を振っていた。
「晴翔、お前すごいな。あんな速さで知り合いになれるの?」
ボウリング場に向かう道すがら、さっきのびっくりした話を晴翔にする。
「うん。まぁ、いい子たちだったし、なんかその場の雰囲気で?」
「マジか……」
すごいな。冬麻には絶対にできない所業だと思う。
「あ! もしかしてあの子たちと一緒にボウリングしたかった?! 俺、今からでも戻ってナンパしてこようか?」
「えっ! やめろよ! そんなんじゃないから!」
それだけは嫌だ。緊張するだけでなにも嬉しくない。
「そう? じゃあ冬麻は俺とふたりきりがいいってこと?」
「最初からそのつもりだったのに、急に知らない人とか俺は苦手なんだよ」
「そっか。俺は冬麻と遊ぶときに他に誰かを呼んだりしねぇよ。俺も冬麻とふたりっきりがいいから」
晴翔の屈託のない笑顔。じとっとした嫌な梅雨空も爽やかに思えてくる。
「2ゲーム目はスコアで勝負しようぜ」
1ゲーム投げ終わったときに、晴翔が提案してきた。
「いいよ。なんか賭けるか?」
1ゲーム目のスコアはふたりとも大差はなかった。次こそはという晴翔に対する競争心があったし、どうせ勝負するならジュース一本でも賭けたほうが面白いかなと冬麻は考えた。
「あ、いいね! じゃあ——」
晴翔は少し考えたのち、
「勝ったほうは、負けたほうに命令できるってのはどう?」
「命令?!」
「そ。負けた奴は勝った奴の命令にひとつだけ従わなきゃ駄目っていうのは?」
「ああ。まぁ、いいけど……」
相手は晴翔だ。高いものを奢れとか、無茶な命令はしないだろうし、冬麻だって勝っても晴翔にそんなことを要求する気もない。
「じゃ、決まり! すげぇ急にやる気出てきたわ。俺、絶対に勝ってお前にモノマネやらせてやる!」
晴翔が両肩を回して気合を入れている。
「うわ、負けたくねぇ……」
モノマネとか絶対に嫌だ。冬麻の負けられない戦いがここに始まった。
「ダッサ。お前最後のアレはないわ」
ボウリングのあと、近くのファミレスに入ってさっきまでの勝負の話をしている。
結果は冬麻の負け。
僅差の勝負で、10フレーム目でスペアを出したので、最後の一投を投げられるようになり、起死回生のチャンスだったのに、冬麻はガターを出し一本もピンを倒せず晴翔に負ける、という最悪の負け方をした。
「うるさいな。もういいだろ……」
晴翔は冬麻のミスを嬉しそうに何度も笑うからいい加減イライラしてきた。
「あー! 冬麻に何してもらおっかな!」
「ここのメシは奢らないからな」
晴翔の注文したものはざっと見繕って1500円オーバーだ。それを奢れと命令されたらたまらないので冬麻は予防線を張る。
「んー。何にしよ。考えとく。今日中にはやってもらうからな」
嬉しそうな晴翔を見て冬麻は溜め息をつく。
まぁ、負けは負けだ。仕方がない。
「でも、マジでよかったよ。冬麻があいつのとこを出て、家に帰ってきてくれて」
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いつか話題に上がるとは覚悟していたが、冬麻にとってはあまり触れて欲しくない話だ。
「もうあいつからの嫌がらせはない?」
「だから最初から何もないんだって……」
なぜか晴翔は久我と冬麻の話に首を突っ込もうとする。きっと正義感からなんだろうけど、晴翔には悪いが放っておいてくれと思ってしまう。
「嘘だろ? 絶対にあいつは悪い男に決まってる。俺にだけでも、話せない……? 庇うことなんてない。あいつはきちんと罪を償うべきだと俺は思ってる」
晴翔はいったい何を話せと言うんだろう。
冬麻が久我にされたことを知りたがっている、ということなのか……?
久我とは実は相思相愛の恋人でした、身体の関係だって同意の上でしたって言えば納得するのか……?
そんなこと暴露するのも恥ずかしい。男のくせに男に抱かれてました、だなんて。
抱く側ならまだしも、冬麻は突っ込まれたほうだ。久我の手に翻弄されて、女みたいに喘ぎ声を上げて、あんなことやそんなことまで——。
やばい。
欲求不満なのか変なことを思い出してしまい、そんなこと考えている場合じゃないと、頭の中から雑念を必死で振り払う。
「冬麻……?」
晴翔が心配そうにこちらの様子を伺っている。
「あっ、ごめん。な、なんだっけ……?」
「……なんでもない。てか、お前はわかりやす過ぎだ」
「えっ! 何が?!」
いったい何を晴翔に悟られたんだろう……。
「何その顔。あいつを思い出しただけで冬麻はそんな顔すんの?」
そんな顔……?
冬麻としては特段何もしていないと思っているから晴翔の言うことがよくわからない。
「……なんかムカつくわ」
晴翔は舌打ちしたあと何かボソボソ言っていたが、晴翔はぼんやりして話を聞いてなかった冬麻の態度が気に入らなかったのかもしれない。
「でも、融資の話は継続になったし、社長を責めることなんてない。俺は本当に大丈夫だから。もう、終わったことだし……」
久我もこの前「終わったこと」だと言っていた。
もう久我の家に行くこともないんだろうし、久我と寄りを戻すどころか、話をすることすらないかもしれない。
ふたりがファミレスを出る頃には、店には入店待ちの列。目の前の道には人が溢れている。
状況を察するに、野球のナイターを観戦するべく人が集まってきているようだ。
「ジェットコースターとか、なんか乗り物乗ってかねぇ?」
「いいよ」
野球ファンがごった返す中、晴翔と遊歩道を歩く。
「冬麻、こっち!」
晴翔とはぐれそうになって晴翔がぐいっと冬麻の腕を掴んで自分のほうへ引っ張った。
「もう少しで人混みもなくなるから」
晴翔の言うとおり、遊園地エリアまで辿り着いてしまえば混み合ってはいないようだ。
混み合う中、冬麻は不意にどんっ! と見知らぬ誰かと身体がぶつかった。
すみませんを言う隙もない。ぶつかった男はあっという間に人混みに紛れてどこかへ消えていく。
「クソッ! あいつスリだ!」
晴翔が慌てて男を追って踵を返し走っていく。
「スリ……?」
まさかと思って自分の尻ポケットを確認する。ポケットはカラだ。さっきまでそこにあったはずの財布がない!
「マジかよ!」
冬麻も慌てて男と晴翔の後を追った。
人混みをかき分け、必死で走った。それでもスリの男と晴翔の姿を完全に見失ってしまった。
——どこ行ったんだよ……!
晴翔はスリの男に追いついたのだろうか。この人の多さだし、男に土地勘があったら逃げられてしまったかもしれない。
ふたりの姿を探していたとき、スマホに着信があった。バッと手に取り画面を見ると田上晴翔と表示があった。
「もしもし晴翔?!」
『冬麻! 今どこ? 俺そっちに行くから』
冬麻は辺りを見回す。
目ぼしいものや、〇〇番ゲートの近くなど手がかりになりそうなものを晴翔に伝えると、晴翔と無事に合流できた。
「晴翔っ!」
駆け寄る冬麻に、晴翔は顔の横に冬麻の財布をちらつかせながら笑ってる。
「ありがとう晴翔! 取り返してくれたのか?!」
すごいな晴翔は。あそこからよくスリの男に追いついたな。
「ほら」
晴翔から財布を受け取る。念のため中身を見ると冬麻名義のカードや、その他全部、盗られる前と同じ状態だ。金を抜き取られた様子もない。
「全部無事だ。晴翔、ほんとにありがとう!」
晴翔がいなかったら財布をすられても、すぐには気付けなかった。晴翔に「スリだ」と言われて初めてハッと気がついたくらいなのだから。
「とりあえずよかったな。無事に財布が戻ってきて」
「うん」
このお礼は、また別の機会に晴翔にしないといけないな、と冬麻は思った。
「そういえば犯人はどうなったんだ?」
財布が無事なのがわかって、次に気になるのは犯人はのその後だ。
「あー、えっと……犯人は通りすがりの人に任せてきたんだ。多分あのあと警察に連れてかれたんじゃないかと思うけど……。俺はとりあえず冬麻のところに戻らなきゃって思ってさ」
「そうか。被害もなかったし、犯人も捕まえたなんて晴翔、お前すごすぎるな!」
感心する冬麻に対して晴翔は「いや……」と謙遜して首を横に振っている。
こんな手柄を立ててもっと傲ってもいいのに、なんでもないことみたいな顔をして、晴翔は本当にいい奴だ。
それから状況を警察官に話して、諸々終わった頃には辺りは暗くなっていた。
晴翔とこのまま帰るのも惜しいという話になり、ジェットコースターだけ乗ってから帰ることになった。
それを楽しんだあと、今は晴翔とふたりで白山通りを歩いている。
「今日は色々あったけど、楽しかったな」
晴翔が遊びに誘ってくれたお陰で、いい気分転換ができた。スリに遭ったりしたけど晴翔が解決してくれたし、振り返ると楽しい一日だった。
「俺も。また冬麻の休みの日にどっか出かけようぜ。あ! 三軒茶屋に美味いラーメン屋があるんだけど、今度一緒に行かない?」
「うん、行く行く」
「俺たちの地元にさ、おっさんがひとりでやってた善楽っていうラーメン屋あったじゃん?」
「うわ、懐かしいな!」
子供の頃、善楽で両親とラーメンを食べていたら田上一家と偶然出くわしたことが何度もあった。今は閉店してしまったが、思い出深い店だ。
「あそこのラーメンに似てて美味いんだよ」
「それって美味いのか?!」
あそこのラーメンは良くも悪くもごく普通の醤油ラーメンだったのに……。
「うん。冬麻も食ってみて。懐かしいから」
「わかった。今度連れてってくれ」
晴翔との付き合いはすごく長い。物こごろついた時には既に友達だった。共通の思い出も多いから、話しててすごく楽だ。
「なぁ、冬麻」
晴翔が立ち止まった。冬麻もどうかしたのかと晴翔を振り返る。
「俺、すっかり忘れてたんだけど」
「なんだ?」
「命令だよ。まだやってもらってない。俺、お前にやって欲しいことあるんだけど」
晴翔は遠い目で、白山通りを通過する車を眺めている。
「そうだった。何? 早く言えよ」
言われて冬麻も思い出した。今ここで何をやらされるんだ……。
「冬麻、こっち来て」
晴翔は冬麻を建物の影に引っ張り込んだ。ふたり近距離で目が合う。晴翔は怖いくらい真剣な表情で、いつもと雰囲気が違ってドキッとした。
「冬麻に命令」
晴翔は冬麻の腰に両腕を回してきた。
「いまここで俺にキスして」
「えっ……?」
こいつ、急にどうしたんだ……?!
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感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
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