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23.遠い存在

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「二ノ坂! 久しぶりっ!」

 スーツ姿で本社のエントランスに向かっている途中で、同期の檜原に背後から声をかけられた。

「檜原! あっ、佐藤と村野っ!」

 振り返ると檜原だけじゃない、同期の仲間の佐藤と村野のふたりの姿もあった。ふたりとも「おはよう!」「久しぶり!」と笑顔で小さく手を振っている。

 今日は今年の新入社員が一同に本社に集められ、ここまでの研修の成果や、今後の自身の希望、その他悩んでいることなどがないかを人事部の担当者と面談する日となっていた。

 冬麻はいつものように久我の車で本社の近くまで送られて、久我の車を降りたあとここまで徒歩で出勤していたところだった。

「二ノ坂は仕事どう? 順調か?」

 冬麻に訊ねてくる檜原の顔は明るい。冬麻は「俺は大丈夫、店舗のみんなも優しいし」と答えたあと「檜原は?」と質問を返した。

「俺? 俺も今のところ問題はないよ。でもさ……」
「でも……?」

 檜原は少し躊躇う。

「俺、少しでも早く本社業務に携わりたい。今日希望を言ってみるつもりなんだ。大変だろうけど、営業やってみたくてさ」
「そっか。たしかに檜原は営業向きかもな」

 檜原は人懐っこいし、元気もあるからいいんじゃないかな、と思った。

「営業部長が、すげぇ美人なんだよ」
「へっ?!」

 営業部長って、篠田部長のことか……? この前、久我とふたりで外苑前の店に来た——。

「あの人の下で働くの、楽しそうじゃね? 成績悪いとハイヒールで蹴っ飛ばされそうだけど」
「そっち?!」
「嘘だよ、冗談っ」
「お前……」

 檜原とくだらない話をしていると、本社に到着した。社員証を取り出してセキュリティを抜けようと思ったときに、檜原が冬麻の腕を引っ張り、道をあけるように促された。


「篠田部長っ、おはようございますっ!」

 冬麻の近くにいた若い社員が頭を下げた。
 目の前を通り過ぎるのはあの篠田部長だ。
 ダークグレーの細身のパンツスーツにハイヒール。ただでさえスラリとしたスタイルなのに、それがさらに際立って見える。

「うわーっ、マジで美人」

 檜原が超絶小声で感嘆の声を上げた。檜原は篠田に見惚れている。

「そうだ、今日、役員会だ」

 背後から誰かの声が聞こえてきた。

「篠田部長も呼ばれてるらしいよ、あの人ついに役員になるんじゃない?」

 社内の噂の情報網はすごいな。そんな話、どこから流れてくるんだろう。



 篠田が通り過ぎたあと、周りの空気が一変した。
 社員たちは皆、サーっと道をあけるように端に寄る。

 久我だ。久我が役員数名を引き連れてやってきたからだ。
 会社の役員がゾロゾロと連れ立って歩くさまは圧倒的な存在感だ。その先頭にいるのが久我。

「おはようございますっ!」
「おはようございますっ!」

 誰もが頭を下げる。冬麻も慌てて皆にならって頭を下げた。

 その前を久我を筆頭とする役員たちが通り過ぎていく。
 当たり前だが、久我はこちらを振り返りもしない。冬麻がここにいることに気がついていないのかもしれない。

 久我はセキュリティを抜けたあと、久我に駆け寄り挨拶をする篠田部長に何やら声をかけている。そして最後に篠田の肩をぽんと叩いて、エレベーターに乗り込んでいった。

「いいなぁ。篠田部長クラスになれば社長ともお話しできるんだね」

 冬麻のすぐ横にいた村野がため息をついた。

「まさか社長とこっそり付き合ったりしてないよね?!」

 佐藤が村野にとんでもないことを言い出す。

「えっ、まさか! 社長の相手はRTGホテルグループの娘だって話だよ?」
「ウソっ?!」

 久我はイケメン独身だから、色恋沙汰の噂が飛び交うのは仕方のないことなんだろう。

 そんなものは全部デタラメだって、いつもの久我を見ていればわかる。
 それでも冬麻の胸は苦しくなる。

 久我と噂になる相手はいつもハイスペックな人ばかり。
 自分は、久我の噂の土俵にも上がらないくらいのレベルの人間だっていう事実を突きつけられるから。


 もしも久我との関係がバレたらどうなる……?
 久我は「冬麻のことを隠す気はない」なんて言うけれど、男の恋人がいるなんてなったら会社にとってもマイナスなんじゃないのか……?

 ——俺は久我さんにとってなんの役にも立たないんだな……。





 人事部の担当者と面談を終え、昼休憩を挟み、午後からの集合研修に望もうとミーティングルームにいた時だ。

「二ノ坂くん、いるかな?!」

 さっき冬麻の面談を担当していた人事部の人だ。冬麻を探しにきたみたいだ。

「はいっ!」

 冬麻は席を立ち、すぐに駆け寄った。

「ごめん、僕のミスかもしれないんだけど、君の提出書類に不備があったようなんだ」
「えっ?!」

 ちゃんと書いたつもりだったのに、何を間違えたんだろう……。

「すみません、すぐに直しますっ」

 冬麻は謝るが、人事部の人はなぜか青ざめている。

「それが……今年に限って急に社長が新入社員の配属希望シートを確認したいと言い出して……」

 冬麻だけじゃない。その場にいて、冬麻たちのやり取りを聞いていた同期たちも「えっ?!」「マジでっ!!」と慌てている。

「君と一緒にしゃ、社長室まで取りに来いと……」
「…………っ!」

 驚きのあまり、声が出ない。

「実は書類の不備を見つけたのも社長なんだ……。人事にお怒りの電話が飛んできて……」

 担当者は話ながらも身体が小刻みに震えている。
 どんな小さなミスであれ、社長に怒鳴られたら怖いに決まっている。

「わかりました。一緒に行きます」

 同期の皆から受ける、同情の視線が痛い。檜原だけは、「書類不備くらいで評価下げられたりどうこうならねぇよ」と冬麻を励ましてくれた。




 人事部の人とふたりで社長室の前まで来た。ここに来るのは入社前、久我に連れてこられたとき以来で、これで二度目になる。

 社長室の前にいた社長秘書に事情を話すと、すぐに取り次いでくれ、「二ノ坂さんおひとりだけ入るようにとのことです」と事務的に伝えられた。

「君ひとりで大丈夫……?」

 人事部の人は心配してくれているが、冬麻は「はい」と頷く。
 だって相手は久我だ。冬麻にとっては怖い相手じゃない。

 秘書が入り口までついてきて、社長室のロックを解除してくれた。

「失礼します」

 冬麻は、社長室のドアをノックする。
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