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9.嫉妬
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そして約束の日の19時。久我と篠田部長が来店した。
粗相のないようにとディレクトールが二人を迎えにでたが、久我は「気を遣わないでいい。同じ会社の仲間なんだから」と微笑んで自らが篠田部長のコートを預かりエスコートする。
「やべぇ、あの二人完璧だな」
すぐ隣にいた市倉が見とれるのも無理はないと思う。久我も完璧だが、初めて見る篠田部長はものすごく美人だった。マーケティングからの営業、そのどちらの部署でも好成績をとり続け、三十六歳という若さで実力で部長の座に就いたまさに才色兼備。
「社長の隣で嬉しそうだな。あの人いつも冷たい顔して笑顔なんか見たことないのに」
「そうなんですか……」
「仕事の鬼って感じの人だよ。なのに今日は珍しくスカートはいてる」
まぁ、久我の方が立場は上なのだから、篠田部長としては愛想笑いは必須だろうが、そんな様子じゃない。
なんというか……久我に憧れを抱いているような……。
まぁ、久我は三十歳にして代表取締役社長という恐ろしい商才の持ち主だ。篠田部長が憧れても無理はない。
二人が冬麻たちの目の前を通り過ぎる。それに合わせてみんな次々に頭を下げる。
席に着いたふたりとディレクトール、ソムリエが親しげに話をしている。冬麻からしたら別世界の人たちにしか見えない華やかな雰囲気だ。
ワインのグラスを傾けて微笑み合う二人の美形男女。非の打ち所がない。
——楽しそうに何を話してるんだよ……。
上級国民同士、話が合うのか会話は途切れることなく続いている。和やかな雰囲気のふたりをみてなぜかイライラする。
——なにが「俺には冬麻だけ」だよ! 俺以外にもあんなに笑顔で話してるじゃないか。
ガシャン!!
久我の隣の客の不注意で、ワイングラスが床に落ちた。冬麻は掃除道具を手に駆けつける。
「すみませんっ」
「いいえ。お怪我はありませんか?」
割れたガラスの始末をしつつも気になるのはすぐそばにいる久我たちの会話だ。
「篠田ちゃんは料理も好きなんだ」
「はい。一人暮らしだから簡単なものしか作りませんが……」
「俺も料理が好き」
「そうなんですか?! 意外です! 私たち気が合いますね!」
篠田部長の嬉しそうな声。
「そうだね。ああ、このナスとフォアグラの組み合わせも悪くないね。ナスのエグみは扱いが難しいのにソースで上手く合わせてある。篠田ちゃんはどう思う?」
「ええ、とても美味しいと思います……」
掃除をしながら屈んでいた冬麻がチラッと横を見ると、篠田部長はテーブルの下で恥ずかしそうにスカートの裾をモジモジ指でいじっている。久我に「篠田ちゃん」と名前を呼ばれるたびに反応し、また裾をいじっている。
——これって、多分、篠田部長は久我さんのことを……。
篠田部長の気持ちを知ってか知らずか、久我は相変わらずのマイペース。さっきから料理の話ばかりでまったく誘う言葉などひとつもないのに篠田部長はノックアウト寸前みたいだ。
「どうしたの? 篠田ちゃん、少し疲れてる?」
「えっ! いえっ! そんなことありませんっ!」
篠田部長は慌てて否定する。
「ごめん、俺のせい?」
「えっ!」
「俺が忙しい篠田ちゃんを無理に誘ったりしたから……」
「いえっ! 違いますっ!」
篠田部長はまたテーブルの下でモジモジしている。
久我は三十歳。篠田部長はそれより六歳年上だが、これではどっちが年上なのかわからない。完全に久我のペースだ。
「俺に遠慮せず、辛いときは言ってね。篠田ちゃんはすごく会社に尽くしてくれてるんだから、俺も篠田ちゃんが困ってるときは助けてあげたいと思ってるんだから」
「社長……ありがとうございます……」
片付けが終わって、冬麻がその場を立ち去るときに二人の様子を横目で伺う。
篠田部長はすっかりのぼせ上がっている。そして何より許せないのは久我だ。
——なんだよタラシ野郎が!
女子社員にも優しくしやがって! お前の顔面であんなこと言われたら篠田部長でなくても誰だって勘違いするだろうが!
「篠田ちゃん、ちょっとごめんね」
久我はナプキンを手に取り、篠田部長の顔についた料理のソースをそっと拭った。
「えっ! あっ! ごめんなさいっ!」
「ううん。全然。子どもみたいに汚しちゃって篠田ちゃんてしっかりしてそうに見えるのに実は可愛いんだね」
そして久我のいつもの完璧スマイル。
うっわ。なんだよ、今の。恋人同士かよ!
冬麻のイライラは止まらない。
「ねぇ、そこの君」
「えっ、はいっ?」
まさか久我に話しかけられるとは思わずに、変に声がうわずってしまった。
「これ、新しいものに交換してくれないか?」
久我はナプキンを冬麻に差し出してきた。そのとき久我と目が合ったのだが、まるで他人を見ているかのような目だ。
「かしこまりました……」
ナプキンを冬麻に手渡したあと、久我は冬麻のことなどそっちのけ。また楽しそうに篠田部長と話し始めた。
職場では他人のふりをしてくださいと頼んだのは冬麻自身なのに、なぜか胸が苦しくなる。
よく考えろ。久我に恋人がいてくれたほうが気楽に過ごせるはずだ。付きまといや、構いすぎも減るんじゃないだろうか。
——そのほうがいいに決まってる。
「とーま!」
家に帰ると相変わらず久我が構ってくるのだが、冬麻はそっぽを向き、ソファでスマホをいじっている。
「冬麻。どうしたの? 何か怒ってる……?」
「いいえ別に」
自分でもよくわからない。ただ、なんとなく今日は久我に構われたくない気分だ。
「篠田ちゃんは、部に持ち帰って前向きに検討すると言っていたけど、篠田ちゃん自身はデザートの軽微な指摘のみであとはOKを出すと俺に話してくれたよ」
「へーそうですか。ありがとうございます」
つい素っ気ない返事になってしまった。本当はきちんと久我に礼を言うべきなのに。
「あのね、冬麻。レストランの満足度で料理の味はたったの3割だというデータがあるんだ」
久我は冬麻のすぐそばに座ってきたが、冬麻は久我から少し距離を取って離れる。
「QSCAってよく聞くでしょ? Qが料理のクオリティ。つまりは味とか質。Sはサービス、おもてなしね。Cはクレンリネス。清潔。Aがアトモスフィア。雰囲気。さて、そんなものは外苑前の店は既に合格点。それ以上のものを提供するためには何が足りないと思う?」
なんだよ、時間外でも研修するのか。
「さぁ……。レアリティですかね」
冬麻は適当に答える。久我の真意がわからないからだ。
「それもステキな答えだけど、今日俺が使った手段は『誰とどう過ごすか』ってこと。嫌いな人と三つ星レストランに行くよりも、大好きな人と分け合うカップラーメンのほうが何倍も美味しく感じることがある」
まぁ、たしかにそうかもしれない。
「篠田ちゃんをおもてなしするのはレストランのスタッフだけじゃない。俺もそこに加わることで、篠田ちゃんに良い印象をもってもらえるんじゃないかと考えたんだ」
そうだったのか。でも、それってよくよく考えると、久我は自分が篠田部長に好かれてるって思ってたってことか……?
篠田部長は、今日の様子を見る限り久我に気のある素振りだったけど。
「……篠田部長って、久我さんの彼女なんですか?」
冬麻は久我をじろっと勘ぐるような視線で睨んだ。
「まさか。ただの上司と部下だよ」
久我はやけに嬉しそうにニヤニヤと冬麻を見ている。
「でも、今日は篠田ちゃんを落とすつもりで攻めてみたよ。恋愛の意味でもね」
「えっ!」
恋愛の意味って、久我はどういうつもりで?! 篠田部長にはその気があって、久我もそうだったとしたら二人は両想いじゃないか。
「どうしたの? 冬麻?」
久我が冬麻の顔を覗き込んできた。心の動揺を悟られまいと冬麻はさっと視線を逸らす。
「だって冬麻が望んだんだよ? 乱暴なやり方は嫌だったんでしょ? だったら反対に口説き落とすしかないじゃないか」
「はいはい、俺のせいなんですね!」
なんだよ! 人のせいにしやがって! 好きなら好きで両想い同士さっさとくっついたらいいじゃないか。
「怒ってる冬麻も可愛い」
久我が触れてこようとしたので、その手をすかさず振り払う。
「冬麻、もしかして俺が冬麻以外の人に色目を使ったと思って妬いてくれてるの?」
……は?
そんなことあるわけない!
「違います!」
ふっざけんな。誰がお前なんか誰がお前なんか誰がお前なんか!
「もう、俺に構わないでください!」
冬麻はリビングを出て、自分の部屋に引きこもった。
粗相のないようにとディレクトールが二人を迎えにでたが、久我は「気を遣わないでいい。同じ会社の仲間なんだから」と微笑んで自らが篠田部長のコートを預かりエスコートする。
「やべぇ、あの二人完璧だな」
すぐ隣にいた市倉が見とれるのも無理はないと思う。久我も完璧だが、初めて見る篠田部長はものすごく美人だった。マーケティングからの営業、そのどちらの部署でも好成績をとり続け、三十六歳という若さで実力で部長の座に就いたまさに才色兼備。
「社長の隣で嬉しそうだな。あの人いつも冷たい顔して笑顔なんか見たことないのに」
「そうなんですか……」
「仕事の鬼って感じの人だよ。なのに今日は珍しくスカートはいてる」
まぁ、久我の方が立場は上なのだから、篠田部長としては愛想笑いは必須だろうが、そんな様子じゃない。
なんというか……久我に憧れを抱いているような……。
まぁ、久我は三十歳にして代表取締役社長という恐ろしい商才の持ち主だ。篠田部長が憧れても無理はない。
二人が冬麻たちの目の前を通り過ぎる。それに合わせてみんな次々に頭を下げる。
席に着いたふたりとディレクトール、ソムリエが親しげに話をしている。冬麻からしたら別世界の人たちにしか見えない華やかな雰囲気だ。
ワインのグラスを傾けて微笑み合う二人の美形男女。非の打ち所がない。
——楽しそうに何を話してるんだよ……。
上級国民同士、話が合うのか会話は途切れることなく続いている。和やかな雰囲気のふたりをみてなぜかイライラする。
——なにが「俺には冬麻だけ」だよ! 俺以外にもあんなに笑顔で話してるじゃないか。
ガシャン!!
久我の隣の客の不注意で、ワイングラスが床に落ちた。冬麻は掃除道具を手に駆けつける。
「すみませんっ」
「いいえ。お怪我はありませんか?」
割れたガラスの始末をしつつも気になるのはすぐそばにいる久我たちの会話だ。
「篠田ちゃんは料理も好きなんだ」
「はい。一人暮らしだから簡単なものしか作りませんが……」
「俺も料理が好き」
「そうなんですか?! 意外です! 私たち気が合いますね!」
篠田部長の嬉しそうな声。
「そうだね。ああ、このナスとフォアグラの組み合わせも悪くないね。ナスのエグみは扱いが難しいのにソースで上手く合わせてある。篠田ちゃんはどう思う?」
「ええ、とても美味しいと思います……」
掃除をしながら屈んでいた冬麻がチラッと横を見ると、篠田部長はテーブルの下で恥ずかしそうにスカートの裾をモジモジ指でいじっている。久我に「篠田ちゃん」と名前を呼ばれるたびに反応し、また裾をいじっている。
——これって、多分、篠田部長は久我さんのことを……。
篠田部長の気持ちを知ってか知らずか、久我は相変わらずのマイペース。さっきから料理の話ばかりでまったく誘う言葉などひとつもないのに篠田部長はノックアウト寸前みたいだ。
「どうしたの? 篠田ちゃん、少し疲れてる?」
「えっ! いえっ! そんなことありませんっ!」
篠田部長は慌てて否定する。
「ごめん、俺のせい?」
「えっ!」
「俺が忙しい篠田ちゃんを無理に誘ったりしたから……」
「いえっ! 違いますっ!」
篠田部長はまたテーブルの下でモジモジしている。
久我は三十歳。篠田部長はそれより六歳年上だが、これではどっちが年上なのかわからない。完全に久我のペースだ。
「俺に遠慮せず、辛いときは言ってね。篠田ちゃんはすごく会社に尽くしてくれてるんだから、俺も篠田ちゃんが困ってるときは助けてあげたいと思ってるんだから」
「社長……ありがとうございます……」
片付けが終わって、冬麻がその場を立ち去るときに二人の様子を横目で伺う。
篠田部長はすっかりのぼせ上がっている。そして何より許せないのは久我だ。
——なんだよタラシ野郎が!
女子社員にも優しくしやがって! お前の顔面であんなこと言われたら篠田部長でなくても誰だって勘違いするだろうが!
「篠田ちゃん、ちょっとごめんね」
久我はナプキンを手に取り、篠田部長の顔についた料理のソースをそっと拭った。
「えっ! あっ! ごめんなさいっ!」
「ううん。全然。子どもみたいに汚しちゃって篠田ちゃんてしっかりしてそうに見えるのに実は可愛いんだね」
そして久我のいつもの完璧スマイル。
うっわ。なんだよ、今の。恋人同士かよ!
冬麻のイライラは止まらない。
「ねぇ、そこの君」
「えっ、はいっ?」
まさか久我に話しかけられるとは思わずに、変に声がうわずってしまった。
「これ、新しいものに交換してくれないか?」
久我はナプキンを冬麻に差し出してきた。そのとき久我と目が合ったのだが、まるで他人を見ているかのような目だ。
「かしこまりました……」
ナプキンを冬麻に手渡したあと、久我は冬麻のことなどそっちのけ。また楽しそうに篠田部長と話し始めた。
職場では他人のふりをしてくださいと頼んだのは冬麻自身なのに、なぜか胸が苦しくなる。
よく考えろ。久我に恋人がいてくれたほうが気楽に過ごせるはずだ。付きまといや、構いすぎも減るんじゃないだろうか。
——そのほうがいいに決まってる。
「とーま!」
家に帰ると相変わらず久我が構ってくるのだが、冬麻はそっぽを向き、ソファでスマホをいじっている。
「冬麻。どうしたの? 何か怒ってる……?」
「いいえ別に」
自分でもよくわからない。ただ、なんとなく今日は久我に構われたくない気分だ。
「篠田ちゃんは、部に持ち帰って前向きに検討すると言っていたけど、篠田ちゃん自身はデザートの軽微な指摘のみであとはOKを出すと俺に話してくれたよ」
「へーそうですか。ありがとうございます」
つい素っ気ない返事になってしまった。本当はきちんと久我に礼を言うべきなのに。
「あのね、冬麻。レストランの満足度で料理の味はたったの3割だというデータがあるんだ」
久我は冬麻のすぐそばに座ってきたが、冬麻は久我から少し距離を取って離れる。
「QSCAってよく聞くでしょ? Qが料理のクオリティ。つまりは味とか質。Sはサービス、おもてなしね。Cはクレンリネス。清潔。Aがアトモスフィア。雰囲気。さて、そんなものは外苑前の店は既に合格点。それ以上のものを提供するためには何が足りないと思う?」
なんだよ、時間外でも研修するのか。
「さぁ……。レアリティですかね」
冬麻は適当に答える。久我の真意がわからないからだ。
「それもステキな答えだけど、今日俺が使った手段は『誰とどう過ごすか』ってこと。嫌いな人と三つ星レストランに行くよりも、大好きな人と分け合うカップラーメンのほうが何倍も美味しく感じることがある」
まぁ、たしかにそうかもしれない。
「篠田ちゃんをおもてなしするのはレストランのスタッフだけじゃない。俺もそこに加わることで、篠田ちゃんに良い印象をもってもらえるんじゃないかと考えたんだ」
そうだったのか。でも、それってよくよく考えると、久我は自分が篠田部長に好かれてるって思ってたってことか……?
篠田部長は、今日の様子を見る限り久我に気のある素振りだったけど。
「……篠田部長って、久我さんの彼女なんですか?」
冬麻は久我をじろっと勘ぐるような視線で睨んだ。
「まさか。ただの上司と部下だよ」
久我はやけに嬉しそうにニヤニヤと冬麻を見ている。
「でも、今日は篠田ちゃんを落とすつもりで攻めてみたよ。恋愛の意味でもね」
「えっ!」
恋愛の意味って、久我はどういうつもりで?! 篠田部長にはその気があって、久我もそうだったとしたら二人は両想いじゃないか。
「どうしたの? 冬麻?」
久我が冬麻の顔を覗き込んできた。心の動揺を悟られまいと冬麻はさっと視線を逸らす。
「だって冬麻が望んだんだよ? 乱暴なやり方は嫌だったんでしょ? だったら反対に口説き落とすしかないじゃないか」
「はいはい、俺のせいなんですね!」
なんだよ! 人のせいにしやがって! 好きなら好きで両想い同士さっさとくっついたらいいじゃないか。
「怒ってる冬麻も可愛い」
久我が触れてこようとしたので、その手をすかさず振り払う。
「冬麻、もしかして俺が冬麻以外の人に色目を使ったと思って妬いてくれてるの?」
……は?
そんなことあるわけない!
「違います!」
ふっざけんな。誰がお前なんか誰がお前なんか誰がお前なんか!
「もう、俺に構わないでください!」
冬麻はリビングを出て、自分の部屋に引きこもった。
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