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1.突然やってきた男
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二ノ坂冬麻の実家は個人経営の居酒屋だ。でも、社会情勢や、チェーン店の急激な台頭などにより、経営が傾いた。銀行にも見放され、資金繰りがにっちもさっちもいかなくなって多額の借金を抱えたまま、廃業寸前まで追い込まれた。
冬麻は二十歳。調理師免許の資格を取得できる専門学校を卒業したら、内定を貰った都内のミシュラン一つ星の店で料理の勉強をしようと思っていたのに、店側から「突然で悪いが、こちらの事情でうちでは雇えなくなった。他に就職先を探してくれ」と言われてしまった。こんな卒業目前になって仕事を探すことになるなんてと途方に暮れていた。
そんな最悪の状況下、男は突然やってきた。
暖簾のかかった店の入り口は狭ぜましく、長身の男はそれを屈んでくぐり抜けて、店内に入ってきた。
「すみません」
ものすごく顔の整った男が、高級そうなスーツを身にまとい、最強の営業スマイルを繰り出してきた。
「少しお話いいですか」
男は有名なフランチャイズを中心とした飲食店経営企業の代表取締役社長の名刺を差し出し「久我朔夜です」と名乗った。
今、店は準備時間なので、冬麻と冬麻の父親の二人しか店にはいなかった。父親と顔を見合わせて、何事かと状況を推し量る。
「あの、こちらのお店に融資させていただけませんでしょうか」
久我の話は願ってもないことだ。
一瞬だけ父親と二人で喜び勇んだが、そんなうまい話があるわけがないと、再び気を引き締める。
「どうして、ウチなんですか。自分で言うのもなんなんですが、ウチはもう潰れかけで……」
「大丈夫です。我々の企業ノウハウもお教えしますから。必ず再生出来ますよ。今滞っている借入金はこちらで全てお支払いしますし、融資の際の金利も限りなくゼロです。ただ、どうしてものんでいただきたい条件があるんです」
やけに真剣な目つきだ。そしてうまい話には裏がある。やっぱり何か条件があるようだ。
「息子さんを僕にくれませんか」
……は?
「お願いします。融資する代わりに、息子の冬麻さんを僕にください」
二回も繰り返して、その後深々と頭を下げている。まるで結婚の許しを彼女の父親にお願いしにきた彼氏みたいだ。
久我がずっと頭を下げたままなので、父親が「顔を上げて下さい」と促した。それでやっと久我は頭を上げた。
「冬麻。俺のところに来る気はないか?」
やめろやめろ。なんでそんな艶っぽい目で見つめてくるんだよ……。
しかもなんでいきなり下の名前で呼んでるんだ? それ以前に、どうして名前を知ってるんだよ……。
「冬麻。必ず幸せにするから」
いやあの可笑しいだろ。初対面で言う言葉じゃない。
「あ、あの、い、言ってる意味がちょっと……」
さすがの父親もとんでもない提案に引いている。
借金のカタに娘はいただくぞ! という話ならどっかで聞いたことあるけど、それだって作り話の中だけだ。現実にあるわけないし、まして冬麻は男だ。
「ああ、すみません。少し誤解を招くようなことを言いました。冬麻さんを我が社に迎えたい、という意味です。我が社に入社していただけたら、現場に立って実技を身につけたり、本社業務に携わり、経営を学ぶこともできます。どうですか? 悪くない話だと思ってはいるのですが……」
「そ、そうでしたか……」
父親が安堵したのがわかる。冬麻だってそうだ。さっきの久我の言葉は、初対面プロポーズかと勘違いするくらいの言葉だったから。
「冬麻。こんな有名企業だったら、働いてみても悪くないんじゃないのか……?」
父親の手にある名刺を改めて見る。この会社に就職できたら、専門学校の友達に自慢できるレベルだ。
「あ、あの。俺、入社試験、受けてみたいです」
なんだか降って湧いたようなチャンスだが、チャレンジだけでもしてみたい。だって冬麻はこれから就活を考えていた身だ。
「え? 入社試験? そんなものは要らないよ」
「はい?」
「冬麻が俺のところに来てくれるなら、その気持ちだけで合格」
「は、はい?」
「俺、こう見えても社長なんだ。会社は大きくなっちゃったけど、今でも最終面接にはきちんと立ち会ってる。今がその最終面接みたいなものだから。俺が合格だせば、冬麻はこの春から入社決定だから」
信じられない。こんな大企業に入りたいと言うだけで合格だなんて話、聞いたことがない。コネ入社みたいだが、冬麻にはこの会社に知り合いは皆無だし、社長である久我とは今日初めて会った。
「冬麻。ウチに来てくれるってことでいいんだね?」
冬麻は半信半疑のまま「はい」と頷いた。
「ありがとう! じゃあ冬麻の入社の手続きと、この店の融資についての契約書類を揃えるよ。お義父さん、具体的な案や条件はこちらに提示してあります。資料に目を通して下さい。また明日、伺わせていただきます」
社長という人種は時間が惜しいのか? 決まったらテキパキとすぐに話をまとめに入ってきた。
「冬麻。本社とか、入社前に冬麻を案内したいところがあるんだ。明日、時間ある?」
「は、はいっ!」
入社したら、いち社員が社長に会うことなんて、もうなくなるんだろう。会社の案内だって社長直々にするようなことじゃない。こうやって面と向かって話す機会も最後かもしれないなと思った。
「良かった。じゃあまた明日」
久我は、嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった。
冬麻は二十歳。調理師免許の資格を取得できる専門学校を卒業したら、内定を貰った都内のミシュラン一つ星の店で料理の勉強をしようと思っていたのに、店側から「突然で悪いが、こちらの事情でうちでは雇えなくなった。他に就職先を探してくれ」と言われてしまった。こんな卒業目前になって仕事を探すことになるなんてと途方に暮れていた。
そんな最悪の状況下、男は突然やってきた。
暖簾のかかった店の入り口は狭ぜましく、長身の男はそれを屈んでくぐり抜けて、店内に入ってきた。
「すみません」
ものすごく顔の整った男が、高級そうなスーツを身にまとい、最強の営業スマイルを繰り出してきた。
「少しお話いいですか」
男は有名なフランチャイズを中心とした飲食店経営企業の代表取締役社長の名刺を差し出し「久我朔夜です」と名乗った。
今、店は準備時間なので、冬麻と冬麻の父親の二人しか店にはいなかった。父親と顔を見合わせて、何事かと状況を推し量る。
「あの、こちらのお店に融資させていただけませんでしょうか」
久我の話は願ってもないことだ。
一瞬だけ父親と二人で喜び勇んだが、そんなうまい話があるわけがないと、再び気を引き締める。
「どうして、ウチなんですか。自分で言うのもなんなんですが、ウチはもう潰れかけで……」
「大丈夫です。我々の企業ノウハウもお教えしますから。必ず再生出来ますよ。今滞っている借入金はこちらで全てお支払いしますし、融資の際の金利も限りなくゼロです。ただ、どうしてものんでいただきたい条件があるんです」
やけに真剣な目つきだ。そしてうまい話には裏がある。やっぱり何か条件があるようだ。
「息子さんを僕にくれませんか」
……は?
「お願いします。融資する代わりに、息子の冬麻さんを僕にください」
二回も繰り返して、その後深々と頭を下げている。まるで結婚の許しを彼女の父親にお願いしにきた彼氏みたいだ。
久我がずっと頭を下げたままなので、父親が「顔を上げて下さい」と促した。それでやっと久我は頭を上げた。
「冬麻。俺のところに来る気はないか?」
やめろやめろ。なんでそんな艶っぽい目で見つめてくるんだよ……。
しかもなんでいきなり下の名前で呼んでるんだ? それ以前に、どうして名前を知ってるんだよ……。
「冬麻。必ず幸せにするから」
いやあの可笑しいだろ。初対面で言う言葉じゃない。
「あ、あの、い、言ってる意味がちょっと……」
さすがの父親もとんでもない提案に引いている。
借金のカタに娘はいただくぞ! という話ならどっかで聞いたことあるけど、それだって作り話の中だけだ。現実にあるわけないし、まして冬麻は男だ。
「ああ、すみません。少し誤解を招くようなことを言いました。冬麻さんを我が社に迎えたい、という意味です。我が社に入社していただけたら、現場に立って実技を身につけたり、本社業務に携わり、経営を学ぶこともできます。どうですか? 悪くない話だと思ってはいるのですが……」
「そ、そうでしたか……」
父親が安堵したのがわかる。冬麻だってそうだ。さっきの久我の言葉は、初対面プロポーズかと勘違いするくらいの言葉だったから。
「冬麻。こんな有名企業だったら、働いてみても悪くないんじゃないのか……?」
父親の手にある名刺を改めて見る。この会社に就職できたら、専門学校の友達に自慢できるレベルだ。
「あ、あの。俺、入社試験、受けてみたいです」
なんだか降って湧いたようなチャンスだが、チャレンジだけでもしてみたい。だって冬麻はこれから就活を考えていた身だ。
「え? 入社試験? そんなものは要らないよ」
「はい?」
「冬麻が俺のところに来てくれるなら、その気持ちだけで合格」
「は、はい?」
「俺、こう見えても社長なんだ。会社は大きくなっちゃったけど、今でも最終面接にはきちんと立ち会ってる。今がその最終面接みたいなものだから。俺が合格だせば、冬麻はこの春から入社決定だから」
信じられない。こんな大企業に入りたいと言うだけで合格だなんて話、聞いたことがない。コネ入社みたいだが、冬麻にはこの会社に知り合いは皆無だし、社長である久我とは今日初めて会った。
「冬麻。ウチに来てくれるってことでいいんだね?」
冬麻は半信半疑のまま「はい」と頷いた。
「ありがとう! じゃあ冬麻の入社の手続きと、この店の融資についての契約書類を揃えるよ。お義父さん、具体的な案や条件はこちらに提示してあります。資料に目を通して下さい。また明日、伺わせていただきます」
社長という人種は時間が惜しいのか? 決まったらテキパキとすぐに話をまとめに入ってきた。
「冬麻。本社とか、入社前に冬麻を案内したいところがあるんだ。明日、時間ある?」
「は、はいっ!」
入社したら、いち社員が社長に会うことなんて、もうなくなるんだろう。会社の案内だって社長直々にするようなことじゃない。こうやって面と向かって話す機会も最後かもしれないなと思った。
「良かった。じゃあまた明日」
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