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番外編『忘れられない』
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樋口との交際はすこぶる順調だった。その関係性が壊れ始めたのは、交際して半年ほどが過ぎたころ、樋口が神尾の会社まで神尾を迎えに来てくれたときからだ。
「ねぇ、神尾くん、お昼食べてから会社に戻らない?」
営業先からの帰り道、神尾を誘ってきたのは佐上果穂だ。
神尾の上司で社長の娘。仕事もできるし、美人で性格もいい、社内では高嶺の花のような存在だ。
「はい。わかりました」
まさか幹部社員の誘いを断ることなどできない。嫌な予感がするが、神尾は静かに受け入れた。
果穂とふたりで落ち着いた雰囲気のカフェに入った。ここは営業先からおすすめされたカフェだ。果穂は「今度営業に行ったときの話題なるから」と綺麗な髪をなびかせて笑う。スーツ姿はパリッとしているのに、細かな所作、ほんのり香る甘い匂いなど端々に女性らしさを感じる。
それは、男の神尾には絶対にないものだ。
「これ見て」
果穂に見せられたのは、耳に付けたイヤリングだ。
「昨日ね、樋口さんとデートしたの」
「デート、ですか……」
果穂の残酷な言葉が神尾の胸を抉る。
樋口は果穂と運命的な出会いを果たしたのち、どうやら果穂とデートを繰り返しているようなのだ。
果穂は樋口と神尾の関係を知らない。大学時代の友人だと思っている。
だからこそ明け透けに神尾に樋口の話をする。それを神尾はいつも黙って聞いていた。
「海を見に行ったんだけど、そしたら私、イヤリング無くしちゃって。ふたりで一生懸命探したんだけど見つからなくて、私が諦めようとしたのに樋口さんたら私には『車で休んでていから』って言ってひとりで探してくれて、見つけてくれたの! これ、おばあちゃんからもらった大切なものだったから本当に嬉しくて」
「それは、よかったですね」
樋口は相当頑張ったのだろう。だから昨日の夜、樋口に電話をしても無視されたんだと神尾の中でひとつの疑問が解決した。
樋口は神尾よりも果穂を選んだのだ。
「両家の顔合わせのときに、この話を祖母にしなくちゃ」
「顔合わせ……?」
両家の顔合わせとはどういうことだろう。そんな話は一切、樋口から聞いていない。
そもそも最近あまり樋口に会っていない。「家に遊びに行ってもいいか」と訊いても、「来てくれて構わないけど俺は仕事で帰れない」と返されてしまう。
神尾にも仕事があるので、今月はまだ一度も会えていない。もう月末だ。遠距離恋愛でもないのに、一ヶ月に一度も会えない恋人なんて、本当に恋人なのだろうか。
「私決めたの。樋口さんと結婚する」
「えっ!?」
思わず声がうわずってしまった。樋口に二股をかけられていることは自覚していたが、まさか結婚を決めていたとは。
じゃあ樋口は先月、どういうつもりで神尾を抱いたのだろう。
思い出してみると、あのとき樋口はやけにがっついていた。いつもより激しいなと思ったが、強く求められることは嫌いじゃない。樋口は優しいから少し強引なくらいで丁度いいなどとバカなことを思っていたが、あの夜を最後に神尾に会うのを止めるつもりだったのかもしれない。
「あんなにいい人いないと思う。優しいし頼りがいがあるし、本当に素敵」
「そうですね。樋口はいい奴だと思います」
その気持ちは嘘じゃない。そして果穂も性格、容姿ともに素敵だと思う。
はっきり言ってふたりはお似合いだ。美男美女で、どちらも優秀。ウェディング衣装を着たら、絵になること間違いなしだ。
一方の神尾は、結婚どころか付き合っていることすら誰にも話せない、同性の恋人だ。
子どもも産めない。孫の顔を親に見せてやることもできない。
神尾といても、樋口は何ひとつ幸せにならないのではないか。
「神尾くん、ありがとう。神尾くんのおかげでいい人に出会えたよ」
「いえ、俺は何もしてません……」
果穂がそう思っているように、樋口も果穂に出会えてよかったと思っているに違いない。
果穂と結婚すれば、この会社まで手に入る。樋口のことだから立派な経営者になることだろう。
樋口の順風満帆な未来の姿が目に浮かぶ。
樋口の幸せこそ、神尾の幸せだ。
「そんな、謙遜しないで。神尾くんのおかげだよ。私たちの結婚式には必ず来てね」
果穂は笑顔だが、樋口の結婚式に出席して、自分は堪えられるのだろうか。
「はい……」
神尾は頷くしかなかった。
これから訪れる、樋口との別れを覚悟しながら。
「ねぇ、神尾くん、お昼食べてから会社に戻らない?」
営業先からの帰り道、神尾を誘ってきたのは佐上果穂だ。
神尾の上司で社長の娘。仕事もできるし、美人で性格もいい、社内では高嶺の花のような存在だ。
「はい。わかりました」
まさか幹部社員の誘いを断ることなどできない。嫌な予感がするが、神尾は静かに受け入れた。
果穂とふたりで落ち着いた雰囲気のカフェに入った。ここは営業先からおすすめされたカフェだ。果穂は「今度営業に行ったときの話題なるから」と綺麗な髪をなびかせて笑う。スーツ姿はパリッとしているのに、細かな所作、ほんのり香る甘い匂いなど端々に女性らしさを感じる。
それは、男の神尾には絶対にないものだ。
「これ見て」
果穂に見せられたのは、耳に付けたイヤリングだ。
「昨日ね、樋口さんとデートしたの」
「デート、ですか……」
果穂の残酷な言葉が神尾の胸を抉る。
樋口は果穂と運命的な出会いを果たしたのち、どうやら果穂とデートを繰り返しているようなのだ。
果穂は樋口と神尾の関係を知らない。大学時代の友人だと思っている。
だからこそ明け透けに神尾に樋口の話をする。それを神尾はいつも黙って聞いていた。
「海を見に行ったんだけど、そしたら私、イヤリング無くしちゃって。ふたりで一生懸命探したんだけど見つからなくて、私が諦めようとしたのに樋口さんたら私には『車で休んでていから』って言ってひとりで探してくれて、見つけてくれたの! これ、おばあちゃんからもらった大切なものだったから本当に嬉しくて」
「それは、よかったですね」
樋口は相当頑張ったのだろう。だから昨日の夜、樋口に電話をしても無視されたんだと神尾の中でひとつの疑問が解決した。
樋口は神尾よりも果穂を選んだのだ。
「両家の顔合わせのときに、この話を祖母にしなくちゃ」
「顔合わせ……?」
両家の顔合わせとはどういうことだろう。そんな話は一切、樋口から聞いていない。
そもそも最近あまり樋口に会っていない。「家に遊びに行ってもいいか」と訊いても、「来てくれて構わないけど俺は仕事で帰れない」と返されてしまう。
神尾にも仕事があるので、今月はまだ一度も会えていない。もう月末だ。遠距離恋愛でもないのに、一ヶ月に一度も会えない恋人なんて、本当に恋人なのだろうか。
「私決めたの。樋口さんと結婚する」
「えっ!?」
思わず声がうわずってしまった。樋口に二股をかけられていることは自覚していたが、まさか結婚を決めていたとは。
じゃあ樋口は先月、どういうつもりで神尾を抱いたのだろう。
思い出してみると、あのとき樋口はやけにがっついていた。いつもより激しいなと思ったが、強く求められることは嫌いじゃない。樋口は優しいから少し強引なくらいで丁度いいなどとバカなことを思っていたが、あの夜を最後に神尾に会うのを止めるつもりだったのかもしれない。
「あんなにいい人いないと思う。優しいし頼りがいがあるし、本当に素敵」
「そうですね。樋口はいい奴だと思います」
その気持ちは嘘じゃない。そして果穂も性格、容姿ともに素敵だと思う。
はっきり言ってふたりはお似合いだ。美男美女で、どちらも優秀。ウェディング衣装を着たら、絵になること間違いなしだ。
一方の神尾は、結婚どころか付き合っていることすら誰にも話せない、同性の恋人だ。
子どもも産めない。孫の顔を親に見せてやることもできない。
神尾といても、樋口は何ひとつ幸せにならないのではないか。
「神尾くん、ありがとう。神尾くんのおかげでいい人に出会えたよ」
「いえ、俺は何もしてません……」
果穂がそう思っているように、樋口も果穂に出会えてよかったと思っているに違いない。
果穂と結婚すれば、この会社まで手に入る。樋口のことだから立派な経営者になることだろう。
樋口の順風満帆な未来の姿が目に浮かぶ。
樋口の幸せこそ、神尾の幸せだ。
「そんな、謙遜しないで。神尾くんのおかげだよ。私たちの結婚式には必ず来てね」
果穂は笑顔だが、樋口の結婚式に出席して、自分は堪えられるのだろうか。
「はい……」
神尾は頷くしかなかった。
これから訪れる、樋口との別れを覚悟しながら。
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