5 / 5
五.顛末
しおりを挟む
その後の松前の顛末は悲惨なものであった。
徳川残党軍の勢いは止まらず、松前城が落ちた十日後、江差の陣は降伏した。当主の徳広らは館城を捨てて逃げ続け、最終的には海を越えた津軽へと亡命を果たしていた。
その際、小さな舟だったにも拘らず、徳広一家や下国安芸だけなく鈴木ら正議隊までもが同乗していたことが、家臣達の中に大きな不満となって残ったという。
徳広が津軽に保護されたという知らせを受けてから、各地に潜伏していた松前家臣達は徳川残党軍へ降伏を申し入れた。十一月二十日のことと伝わる。彼らは残党軍に監視されながら積雪の中を松前へと帰着し、焦土と化した故郷の無残な姿に絶句したという。
家臣達はそのまま、戦火を免れていた正行寺と法華寺に分かれて虜囚の身となった。良太郎ら少年義勇兵達も命を拾い、法華寺に監禁されたという。
時を同じくして、弘前の薬王院にて保護されていた当主・徳広の身に異変が起こった。大量に喀血し危篤状態となり、十一月二十九日にこの世を去ったのだ。享年二十五の、あまりにも早すぎる死であった。一説には敗戦の責を取って自刃したとも伝わる。
松前家臣達は十二月に入ると解放された。徳川残党軍は彼らを武士として丁重に扱い、自らの陣営に勧誘さえした。それを断られても「再び戦場で会おう」と固い約束を交わしたという逸話まで伝わっている。それでも、解放された家臣の多くは残党軍に靡くことはなく、当主を慕って海を渡り津軽を目指した。既に当主が身罷っているとは知らずに。
この頃の小藤太の動向を記す資料は少ない。ただこの後、小藤太は新政府軍の一員として函館戦争に従軍し、勇猛果敢に戦ったと伝わっている。
しかし、その功績とは裏腹に、戦後の小藤太の扱いは劣悪なものであったようだ。
版籍奉還が行われ、松前は館藩と呼ばれるようになった。藩政は正議隊の面々が掌握、焼け野原になった松前の復興を名目に重い税を課し、その一方で自分達の私腹を肥やすという暴挙に出た。
見かねた小藤太ら譜代の家臣達は、正議隊を弾劾すべく政府に訴え出たが藩の内紛と受け取られ、政府の介入は見送られた。正議隊は小藤太達に逆恨みを向け、彼らの士族としての身分を剥奪したという。
こうして、正議隊の暴挙により多くのものを失った松前こと館藩は、明治四年の廃藩置県によって遂にその存在すら失うことになった。
了
徳川残党軍の勢いは止まらず、松前城が落ちた十日後、江差の陣は降伏した。当主の徳広らは館城を捨てて逃げ続け、最終的には海を越えた津軽へと亡命を果たしていた。
その際、小さな舟だったにも拘らず、徳広一家や下国安芸だけなく鈴木ら正議隊までもが同乗していたことが、家臣達の中に大きな不満となって残ったという。
徳広が津軽に保護されたという知らせを受けてから、各地に潜伏していた松前家臣達は徳川残党軍へ降伏を申し入れた。十一月二十日のことと伝わる。彼らは残党軍に監視されながら積雪の中を松前へと帰着し、焦土と化した故郷の無残な姿に絶句したという。
家臣達はそのまま、戦火を免れていた正行寺と法華寺に分かれて虜囚の身となった。良太郎ら少年義勇兵達も命を拾い、法華寺に監禁されたという。
時を同じくして、弘前の薬王院にて保護されていた当主・徳広の身に異変が起こった。大量に喀血し危篤状態となり、十一月二十九日にこの世を去ったのだ。享年二十五の、あまりにも早すぎる死であった。一説には敗戦の責を取って自刃したとも伝わる。
松前家臣達は十二月に入ると解放された。徳川残党軍は彼らを武士として丁重に扱い、自らの陣営に勧誘さえした。それを断られても「再び戦場で会おう」と固い約束を交わしたという逸話まで伝わっている。それでも、解放された家臣の多くは残党軍に靡くことはなく、当主を慕って海を渡り津軽を目指した。既に当主が身罷っているとは知らずに。
この頃の小藤太の動向を記す資料は少ない。ただこの後、小藤太は新政府軍の一員として函館戦争に従軍し、勇猛果敢に戦ったと伝わっている。
しかし、その功績とは裏腹に、戦後の小藤太の扱いは劣悪なものであったようだ。
版籍奉還が行われ、松前は館藩と呼ばれるようになった。藩政は正議隊の面々が掌握、焼け野原になった松前の復興を名目に重い税を課し、その一方で自分達の私腹を肥やすという暴挙に出た。
見かねた小藤太ら譜代の家臣達は、正議隊を弾劾すべく政府に訴え出たが藩の内紛と受け取られ、政府の介入は見送られた。正議隊は小藤太達に逆恨みを向け、彼らの士族としての身分を剥奪したという。
こうして、正議隊の暴挙により多くのものを失った松前こと館藩は、明治四年の廃藩置県によって遂にその存在すら失うことになった。
了
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
仏の顔
akira
歴史・時代
江戸時代
宿場町の廓で売れっ子芸者だったある女のお話
唄よし三味よし踊りよし、オマケに器量もよしと人気は当然だったが、ある旦那に身受けされ店を出る
幸せに暮らしていたが数年ももたず親ほど年の離れた亭主は他界、忽然と姿を消していたその女はある日ふらっと帰ってくる……

『私説・関ケ原の合戦』
篠崎俊樹
歴史・時代
私が書いた、私説的な関ケ原の合戦と、その前後の時代背景です。第9回歴史・時代小説大賞にエントリーいたします。大賞を狙いたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

竹束(1575年、長篠の戦い)
銅大
歴史・時代
竹束とは、切った竹をつなげた盾のことです。室町時代。日本に鉄砲が入ってくると同時に、竹束が作られるようになります。では、この竹束は誰が持ち、どのように使われたのでしょう。1575年の長篠の戦いに参加した伊勢の鉄砲足軽とその家人の視点で、竹束とその使い方を描いてみました。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
空蝉
横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。
二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
退会済ユーザのコメントです