高嶺の花

鳫葉あん

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前編

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 少しでも自分を良く見せたい。失望させたくない。面倒に思われたくないと、そう考えたからいけなかったのだろうか。
 昭文(あきふみ)には何が正解だったのかわからない。わかるのは選んだ答えが彼にとって外れていたということだけだ。
 怒りに吊り上がった鋭い目で睨まれたら、頭を下げて許しを請うしかない。一回り近く年下の若さ溢れる青年へ向けて、懸命に謝罪する。

「あの、もう二度と関わりません。不愉快にさせて申し訳ないです」

 昭文の言葉に青年の目付きは鋭さを増した。
 どうしたらいいのか。本当に。昭文にはわからなかった。



 三橋昭文(みつはし あきふみ)は今年で三十二になる。新卒で入った商社に庶務として勤め続け、堅実に生きてきた。
 その気性を表すように会社規範のお手本そのままに整えられた身だしなみは個性がない。顔立ちはそれなりに整っているからこそ特徴を感じられない。人の記憶に残らない、地味な男だった。
 大人しくそれなりに愛想も良く、浮気をする甲斐性もない昭文は結婚相手にちょうど良さそうだと話しかける女性社員もいたが、昭文が彼女達に靡くことはなかった。昭文は異性に興味を持てなかった。
 昭文が好意を抱くのは決まって男性で、それも端正な男に弱い。面食いだった。
 そういった人達は例え同性愛者であっても、ひょろっとした平凡な男には目もくれない。果敢に話しかけに行く勇気のない昭文に恋人が出来る筈もなかった。
 時代の変化もあり独身のままでいても肩身の狭さはないが、好きで独りなわけでもない。寄り添ってくれる相手が何処かにいないかと夢見ていた昭文の前に、ある日一人の青年が現れた。
 今年入社した営業部の若きエース。昭文が見惚れてしまう端正な面立ちと趣味のサッカーで鍛えられた体、人懐こい若い笑顔は、眼福だった。
 付き合いたいだなんて烏滸がましいことは考えない。テレビの中の芸能人を眺めるような感覚だった。
 庶務という仕事柄他の部署への出入りが多く、営業部を訪ねる時はつい彼を探してしまう。一目見れたらラッキーで、面識は一応あったけれど彼が昭文のことを覚えているとは思っていなかった。
 そもそもゲイバーで知り合いを見かけても気付かないふりをするものではないのかと、その時の昭文は思った。口には出せなかった。
 彼が昭文のことを認知していると知ったのは――個人的な関係が始まったのは通い慣れたゲイバーで、彼に話しかけられたからだった。

 昭文の気に入っているその店は単純に居心地が良かった。相手探しだけを目的とした店ではなく、同じ指向の人々が集まって会話を楽しむ空間だった。
 喉仏が綺麗なママも、ボウタイの似合うバーテンダーも、店内を動き回る筋骨隆々なホステス達も。マナーを守るゲストには、みんな優しくもてなしてくれた。
 カウンターに座った昭文の平凡な顔を覚えてくれたバーテンダーが柔らかく微笑みながら雑談に付き合ってくれる。それだけで人恋しい気持ちが薄れていく。

「昭文さんも恋人を作ればよろしいのに」
「……出来ないですよ。俺のこと好きになってくれる人なんていないし……」
「そうでしょうか。案外、すぐ近くにいるかもしれませんよ。例えば……わ」

 美しく整えられた指でシェイカーを振りながら、楽しげに微笑む彼が言おうとした言葉は遮られた。

「三橋さん?」

 界隈の人達と交流する際、昭文は名前しか教えない。昭文が三橋だと知っているのは三橋昭文という人間を知っている人だけだ。
 振り向いた昭文は、背後に立つ青年を見て固まった。昭文の現実生活、業務中に営業部を訪れる際の楽しみにしている存在が不思議そうに昭文を見つめていた。

 どうしてこんな所で彼を見るのか。理由は一つしかなかった。昭文に勝手に日々の楽しみにされていた青年は、同じ性的指向の持ち主だった。
 思いがけず目に入った知り合いに声をかけてしまっただけだろう。気まずさを覚えながら挨拶して、素知らぬ顔に戻るだけだと思っていたのに彼は昭文との会話を続けた。
 バーテンダーに見守られながら、隣に座った彼と話をしていたの覚えていても、何を話したかなんて覚えていない。そもそも昭文は言葉を発していたのだろうか。
 手の届く筈のない。伸ばそうともしていなかった。雲の上の存在だった。関わりのない人だったし、それで良かった。
 昭文の代わり映えのしない日常の中に色付く存在。それだけであった方が、彼も昭文も不愉快な思いをしなくて済んだ。
 その時の昭文は知る由もなく、憧れてやまない彼との接点に浮かれていた。
 現実が見えていなかった。



 戻れるのなら店に通うのを止めたかった。会社以外の彼との接点を潰して、彼の目に入るのを止めて。そうしていれば惨めな男にならなくて済んだ。
 年下の彼に謝罪することが惨めなのではなく、彼の怒りを理解出来ないことが惨めだった。
 何を直して謝ればいいのかわからない。何を間違えたのか。そこまで怒らせてしまうのか。
 そもそも昭文と彼とでは、色んなことが噛み合っていないのだろう。そんなこと初めからわかりきっていたのに、昭文はわからないふりをした。
 謝ることしか出来ない昭文の体は真っ白いシーツの上で蠢いていた。本当に、虫のように。平然とする美しい彼と違い、醜くのたうち回るしかない。
 拡張されて縦に割れた後孔は溢れるローションと大きなディルドを咥え込んで喜んでいる。浅ましく喘ぐ昭文を、怒れる彼は黙って見下ろしていた。
 きっと軽蔑されているのだ。そう思える目だった。



 彼との距離は急速に縮んでいった。
 同じ会社に同じ指向の相手を見つけて親近感を持たれたのだろう。社内で会っても社交辞令の挨拶を交わすだけだった間柄は、一言二言何かを話す仲になり、バーで会えば長く会話を楽しんだ。
 彼から交際を持ちかけられた時。昭文は夢を見ているようだった。夢だと思って断るべきだったけれど、昭文は頬を染めて頷いていた。
 嬉しいと言って笑い、さも当然のように顔が近付き、唇が重なった。それどころか舌が入り込んできて、驚く昭文を置いてけぼりに彼は口内を蹂躙する。
 三十二年間恋人もおらず、遊びもしなかった昭文には未知の領域だった。キスでこれならセックスはどうなる。ぼうっと、そう考えて背筋が冷えた。

 彼の告白を受け入れ、キスをして、その日はそれで帰った。家に着いた昭文はお気に入りのシングルソファに座り込むとスーツのポケットからスマートフォンを取り出し、掲示板へ向かった。

『三十二歳童貞処女です。彼氏が出来たのですがこの歳で未経験って引く?』

 界隈の雑談スレへの投稿はすぐにレスがついた。

『草』
『引く』
『めんどそう』

 他にも昭文に対して否定的な意見が多く、交際遍歴がないことは隠すべきだと悟った。そして何より、誰とも肉体関係のなかった清い体も、この歳では不利でしかない。
 便利な時代になった今、手の中の板に疑問を打ち込めばすぐに解決策を教えてもらえる。昭文は孔の拡張方法を調べ、いくつかのサイトを手本に数日かけて実践した。
 昭文は彼に抱かれたかった。面倒だと思われたくなかった。嫌われたくなかった。
 見栄をはったから昭文は罰を受けているのだろうか。



「淫乱」

 侮蔑の言葉をかけられる。けれどそれは事実に思えた。きっと、彼にとっては。

「あぅ……んん……んひっ……ああっ!」

 昭文の体は俯せに寝ていて、開いた足の間に彼はいた。
 彼の指が昭文の中に入り込むディルドを掴み、掻き回す。人とは違う無機物の固い圧迫に昭文は悶えた。気持ちのいい所を突かれると勝手に喘ぎ声が飛び出ていく。
 赤く染まった頬、喜びに歪む唇、蕩けて焦点の合わない目は快感を示していた。ディルドを咥え、胎内を抉られて悦ぶ昭文に舌打ちが降ってくる。
 僅かな理性が懸命に目を動かし、彼を見る。相変わらず怒った彼は憎々しげに昭文を睨んでいる。悲しかった。
 こんなこともう止めなければいけないのに、快楽に耐性のない体は与えられる刺激に悦ぶしかない。
 それでも。どうにか理性が戻り始めた。彼に見下ろされ、睨まれ、侮蔑されて。どうしようもない自分を苛まれ、いたたまれない心が逃走を選んだ。

「……あん……あ……もっ、」
「も? もっとしろって?」
「ちがます……も、もう、やめる……やめましゅ……ごめ……なさ……」
「……何を?」
「セックス、セックスしません。あの、抜いて……」

 昭文の情けない姿を見てか、彼は頼みを聞いてくれた。尻孔からディルドが抜かれていく。
 はやく立ち上がって、放り置かれたスーツを着て、部屋を出て帰ろう。シャワーは自宅で浴びればいい。
 手をついて動き出そうとした昭文の腰が掴まれる。

「え」

 当然ながら手助けではなく、起き上がろうとする体をベッドへ抑え付ける為だった。込められた力は強く、痛みが走る。
 なに、と聞く前に昭文の尻孔が再び塞がれる。冷たい無機質な玩具ではなく、人の体温によって。

「ぉっ……んぉぉぉぉぉおっ!!!」

 肉を裂き、抉り、胎の奥へと入り込まれるのに慣れることはなかった。
 孔の拡張をする為に初めて受け入れたのもディルドだった。先程まで咥えていた物より細めのそれすら、拒絶感と恐怖は大きかった。
 彼に抱かれたい。その瞬間になった時、手間取らせたくない。失敗したくない。呆れられて捨てられたくない。そう追い込んだ昭文は毎日孔に物を咥えた。
 彼から告白され、初めて体を繋げるまでの数日のうちに。昭文の孔が縦に割れたのが成果の証だった。



 生まれて初めて入ったラブホテルの中で、昭文は全てを晒した。筋肉はそれほど付いていないけれど、贅肉もない薄い体を見る彼の目はまだ熱っぽく、蔑みはなかった。
 練習した通りに受け入れる準備をする昭文を見て、彼の顔から笑みは消えた。複雑そうな目が向けられる。蔑みまではいかなかった。
 彼を受け入れた。ディルドとは違う、本物の肉の感触に違和感はあったけれど、それにはすぐ慣れた。大好きな彼のものだからだろうか。
 浅ましい声を上げて喜び喘ぐ昭文の中に、低い呻きと共に熱いものが吐き出される。
 嬉しかった。昭文の体で喜んでくれたのだと、そう思って見上げた彼は。

 舌打ちをしないのが不思議なくらい、不機嫌に怒っていた。



 意識が朦朧としている。ここは何処だったかと目を走らせ、見覚えの全くない綺麗な内装からホテルか何かだと当たりをつける。

「うあっ!」

 俯せになった昭文の上にのしかかった彼に尻の中を掻き回され、奥に隠れた器官を叩かれ。その刺激に声を上げる。そうされることに慣れた体は痛みより快感を拾う。

「んっ……ぁあ……あん……おく、おくぅ……」
「奥がいいの?」

 問われて、こくこくと頷く。肉を打ち付ける音が聞こえる程強く速く突かれ、舌を突き出して悦ぶ昭文の耳に声が聞こえる。

「俺と別れてどうするの。新しい男に抱いてもらうの?」

 『別れ』というワードを出され、蕩けた頭が少しずつ思い出していく。
 そうだ、別れたのだ。彼は体を繋げた昭文に怒っていた。何度か抱いてもらったけれど、いつも不機嫌な顔をしていた。
 昭文の体が良くないのかと思い、少しでも気持ち良くなってもらおうとネットのセックス講座を見て色々試してみたけれど、彼は射精はしても喜んではくれなかった。
 体の相性が良くないのかもしれない。そう気付いたら、昭文には何もなかった。
 彼のように若くもない。性格も明るくはない。一緒にいてもつまらないだろう。セックスが交際の全てではないけれど、そこが欠落していて他もないのなら、一緒にいても仕方ない。
 昭文なんかに構っているより、もっといい人を探した方がいい。短い間だったけれど若い彼の時間を奪って申し訳なかった。

(……そう。だからさっき、別れたんだ)

 週末の金曜の夜。人の多い居酒屋に連れだって、色んな席から聞こえる雑談に打ち消されながら告げた言葉は彼にきちんと届いていた。
 目を見開く程に驚かれるとは思っていなかった。もっと淡々と受け入れられるのだと、そう諦めていた。
 そこからどうしたのか。ぼやける頭から上手く記憶が取り出せない。

「ひっああっ……」

 昭文の思考を邪魔しないように、大人しくしていた彼が動く。胎の奥に居座ったままの肉棒が昭文の中を押しては引いて、肉襞を抉っていく。
 喘ぎ出した昭文の顔の近くに、ぼとりと何かが落とされる。潤む目を向けると、それは昭文の見慣れたスマートフォンだった。

「そいつに電話しろ。俺と別れませんって。お前とは付き合いませんって」
「……いない……いないです、そんな……ああっ……あん……んんぅ……!」

 しばらく問答が続いた。何故か昭文に新しい恋人がいるのだと決め付けた彼は執拗に責め立てた。快楽にのまれ、思考が封じられ、喃語のような声を上げるだけになって、それでも新しい恋人を否定する昭文にようやく彼は折れた。

「別れるとか。ないから」

 いつの間にか体をひっくり返され、仰向けになって奥を責められ、昭文の緩く勃ち上がった肉棒から白濁が散り、腹を汚していた。それをすくい舐め取った彼の言葉を聞く余裕は昭文に残っていなかった。
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