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 客足の落ち着いた昼下がりの食堂に、来客を知らせるベルの音が鳴る。接客係であるメリッサは「いらっしゃいませ」と声を掛けながら入口へ目を向けると、そこにはよく見知った青年と見知らぬ男が立っていた。
「メリッサ。お疲れ様」
 朗らかに笑うのは同僚であり幼馴染みのような存在であり、メリッサにとって家族に近しいシミオンだった。その後ろにはシミオンより背の高い、整った顔立ちの男が控えている。彼は無感情な瞳でメリッサを見て、会釈した。
「シミオン、いらっしゃい……あの、そちらの方は?」
「こっちはアシュレイ。あのね、彼がホムンクルスなんだ」
 アシュレイ、挨拶して、と。嬉しそうなシミオンが促すと、アシュレイは血色の良い唇を開き、涼やかな声で父から与えられた名を名乗り「よろしくお願い致します」と短く締めた。生まれたばかりの彼には他に言えることが見つからなかった。
「私はメリッサ……シミオンと一緒にここで働いているの。よろしくね」
「はい。シミオンからよく……メリッサさん達のことは聞かされています」
 アシュレイがフラスコの中にいた頃、シミオンが胎教代わりに聞かせた外の世界は彼の見聞きする世界、自然と食堂の出来事になっていった。可愛い看板娘を愛する両親。羨ましい程に理想的な家族の姿。
 他には錬金術のことばかりだったが、語り掛け以外にもシミオンから伝わったことがある。毎日与えられたシミオンの血、それに宿る魂の情報が、シミオンの奥底に閉ざされた記憶の一片まで隠さず教えてくれる。
 それらをかき集めて整理して、彼女達へ抱く感情は親愛、感謝。シミオンがそうであるように、アシュレイも彼女達に好意を抱いている。
「まぁ。どんなこと話してるのかしら?」
「え? 普通だよ。お世話になってるって。ね、アシュレイ」
 悪いことを吹き込んでいないか、疑いのジト目で見てくるメリッサに、シミオンは同意を求めてくる。
「とてもお世話になっていて、優しいご家族だと聞いていますよ」
 嘘ではないと装飾するように、表情に笑みを浮かべる。メリッサは「ならいいけど」と一応納得したらしく、微笑むアシュレイをまじまじと見つめる。
「あのフラスコの……ちっちゃいのが、この人なの?」
「うん。錬成は成功した。一年足らずでこんなに大きくなったんだ」
 胎児だった頃のアシュレイを見ているのは、シミオン以外ではメリッサだけだ。証人となるのは彼女だけになる。
「本当にすごいわね。錬金術って」
「あとは本当に石が黄金になれば言うことないんだけどなぁ」
「……あ。そうだわ。お父さん達にも紹介しないと。お客さんの出入りが落ち着いたから上で休んでるのよ」
 食堂の二階はメリッサ達の居住スペースになっている。忙しい昼時が過ぎるとメリッサを残してビルとエイダは二階で休憩を取り、夕方から夜の仕込みを始める。そうするとようやくメリッサの休憩が始まるのだ。
 勝手知ったるシミオンに手招きされたアシュレイも、彼ら親子の労働ルーティンを知っている。シミオンの背を追い、二階に上がると居間で新聞を読んでいたビルを見つけた。
「ビルさん。お疲れ様」
「んお?! シミオン……と、誰だぁ?」
 突然現れたシミオンに、そしてその後ろに控える見知らぬ青年に驚くビルへ、シミオンはアシュレイを紹介した。
「この子が今回生み出したホムンクルスです。名前はアシュレイ。今後、食堂の店番は彼に頼むつもりです」
「アシュレイです。よろしくお願い致します」
 頭を下げるアシュレイに、ビルは思わずといった様子で顎に手を掛ける。
「これが……ホム……すごいな、本当に人間を作ったのか」
「人間とは微妙に違いますが、主な生体活動は変わらないですね」
「ほぉ? はぁ、男前だなぁ」
「素材が良質なおかげです」
「そうかそうか。こいつが作ったならいい素材使ってるよな」
「はい」
 おかしな会話を繰り広げるビルとアシュレイはどちらも笑っている。シミオンの生み出したホムンクルスを、ビルは気に入っている様子だ。昔気質の頑固親父は気に入らなければ笑顔なんて見せてくれない。
 話し声を聞いたエイダもやって来ると、彼女も一目でアシュレイを気に入った。女性は見目麗しい男に弱いのだ。
 アシュレイがエイダの相手をしている間にシミオンはビルと今後の話をする。給仕の仕事には明日から戻ることになり、食堂の様子を聞いてみるとビルはしかめっ面になった。
「ど、どうしたの? メリッサに絡む奴がいるとか?」
「いや……そういうのはあの騎士様が追っ払ってくれるんだが……」
 あの、と呼ばれるのが誰か、シミオンにはわかった。テオドアだ。
「他に何かあるの?」
 メリッサに手を出そうとするならず者以外に問題があるのだろうか。真剣な顔で心配し始めるシミオンに、ビルも同じく真面目な顔で言い放った。
「あいつ、ここ一年ほぼ毎日食堂に通ってんだよ。あいつもメリッサを狙ってるんじゃねぇか?」
「……あ。そう。そうかもね」
「そうかもねじゃねえ! お前……そりゃ、腕っぷしも面も性格も良くて……あんな男に頭下げられりゃメリッサとの仲を認めてもいいけどよぉ、お前……」
 珍しく言い淀むビルに、シミオンはため息をついた。
「頭を下げられたら認めてあげればいいじゃないですか。勿論、メリッサも同じ気持ちならね。もう、深刻な顔するから何かと思ったら……まぁいいや。それじゃあ明日から復帰します。よろしくお願いしますね」
 エイダにも声を掛け、アシュレイを連れて帰っていくシミオンの背中にビルは寂しげな目を向けた。
「メリッサが同じ気持ちなわけないだろ……」
 鈍い頑固親父でもわかることが、シミオンにはわからない。けれどビルもシミオンをわかっていない。
 シミオンがメリッサの気持ちに応えることはないのだ。


 食堂からの帰り道、アシュレイを連れてシミオンは市場へ向かった。夕飯の材料を買って帰ることにしたのだ。
「アシュレイは何がいい?」
「何でもいいですよ」
「それが一番困るんだよなぁ」
 長い引きこもり生活はメリッサが賄いを届けてくれたとはいえ、殆どが乾燥させたパンを水で戻したり、作り置きしていた干し肉を齧って飢えを凌いでいた。
「きちんと味の染み込んだ料理が食べたい……」
「野菜もしっかり摂らないと」
「うん……スープでも作ろうかな」
 話しているうちに市場へ着き、野菜を売っている屋台へ近付いていく。ニンジンの山とにらめっこを始めたシミオンの後ろから、アシュレイも野菜を見てみる。シミオンから与えられた記憶が良し悪しの見方を囁いてきた。
「シミオン。こっちの方がいいのでは?」
「ん? あ、そうかも。それじゃ次は……」
 話しながら野菜を選び取っていく。買い物が終われば工房へ帰るだけだ。
「いい町ですね」
 ぽそりとした呟きにシミオンは頷いた。生まれ育ったこの都のことがシミオンは大好きだ。良いことばかりではないけれど、それも今では思い出として受け止めている。
「これから僕と……僕やメリッサ、ビルさん、エイダさん達と、一緒に暮らしていく町だからね」
「楽しみです」
 どちらからともなく笑い、家路を進んだ。

***

 翌日から給仕に戻ったシミオンは、久しぶりの労働に四苦八苦していた。一年休んだおかげで仕事の仕方をすっかり忘れており、メリッサに教え直されることが多々あった。
 アシュレイもシミオンと共に食堂へ赴き、シミオンお手製の商品を取り扱う為に隅に設置されたカウンターに腰掛ける。
「お客さん来たら適当に話して、何か聞かれてわからなかったら僕を呼んでね」
「はい。おそらく大丈夫です」
 店番を務めることになるアシュレイに、シミオンは心配そうに声を掛けるが錬金術の知識はまるまる受け継いでいるアシュレイに不安はなかった。
「シミオンこそ気を付けて。お勘定を間違えたりしないで下さいね」
「そんな間違いしないよぉ」
 アシュレイも冗談のつもりで言ったのだが、シミオンは冗談に出来なかった。

 復帰初日の昼。シミオンは失敗続きだった。
「提供間違い、勘定間違い、不注意でお客さんにぶつかる、お皿を割る……うーん。でもまぁ、お金関係は間違いにすぐ気付いて損益なしだし……お客さん達もシミオンが久しぶりの仕事だってわかってくれたから、いいんじゃないかしら」
「いいのかなぁ」
 忙しい時間が過ぎ、客が疎らになってくるとメリッサがシミオンの失敗を振り返り始めた。シミオンの失敗を大目に見てくれる常連客が殆どで、トラブルに発展する所か「頑張れよ」と励ましてくれる声ばかりだった。
「勘を取り戻せばいいだけよ」
「うん……」
 落ち込むシミオンをメリッサが励ましていると、食堂の扉が開き来客を知らせるベルの音が響く。出迎えの挨拶と共に入口を見たシミオンは、久しぶりに彼を見た。
「いらっしゃいませ」
「シミオン! 久しぶりだね」
 メリッサの隣に並び立つシミオンを見て、目を見開いて驚きつつもどこか喜んだように爽やかに微笑むのは、ここ一年で食堂の常連となったらしいテオドアだった。
「難しい錬成はもう終わったの?」
「はい。おかげさまで」
「今日からまた食堂で働く?」
「はい」
 頷くシミオンに、テオドアは「良かった」と笑った。嬉しそうな表情はシミオンの復帰に喜んでいるようだが、その理由は何だろうと考えて――隣の少女だと答えを出す。
(僕がいないとメリッサは忙しいし、嫌な奴に絡まれても防波堤がいないからなぁ)
「シミオンはもう休憩入って。お客様、お席にご案内します」
 暗い想像に心を塞ぐシミオンに休むよう伝えると、メリッサはテオドアを伴って空いている席へ向かう。ため息をついて休憩に入るシミオンの背中を、テオドアはじっと見つめてから、メリッサの案内に従った。
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