憧憬ロマンス

鳫葉あん

文字の大きさ
上 下
12 / 12

12

しおりを挟む
 アレンは煌びやかな室内にいた。庶民育ちのアレンにも価値があることだけはわかる調度品に囲まれ、アレンの月の給料よりも高いだろうソファーに座り、目の前のテーブルには意匠の凝ったカップの中に香りのいい紅茶が注がれている。
 どうぞ、と勧められれば飲まないわけにもいかず。とりあえず一口、と思ったら想像以上に美味かった。
「今日は呼び出すような真似をして申し訳ありませんでした」
「……いいえ。ちょうど非番だったので。僕も貴方とは一度話がしてみたかったです」
 テーブルを挟んでアレンと向かい合うのは憎らしい恋敵。クラレンスの婚約者候補であるメルヴィンだ。
 彼は貴族だが継ぐものがなく、若くして起こした事業で成功し、得たものをクラレンスに捧げた。今のクラレンスがあるのは彼の尽力が大きいだろう。
 紅茶に口を付けながら盗み見たメルヴィンの相貌は同性のアレンから見ても整っている。
 同じような地位のご令嬢でも見初めればいいのに、彼が愛したのはクラレンスだった――けれど、それは仕方ない。アレンの信奉するクラレンスは美しく優しく気高く可愛らしい、誰をも魅了する王子様だ。好意を抱かない方がおかしい。
「不躾だが、きみはどうしてクラレンス殿下の婚約者に立候補したのかな」
 にっこりと微笑みながらの問いかけだが、目は微塵も笑っていない。下手な返しをすれば婚約者候補から蹴り落とされてしまうだろう。
 アレンに出来ることは誠実になるだけだった。クラレンス絡みなら尚更に。
「僕と殿下が出会ったのは、ガーランドを流行り病が襲った後のことでした」
 今でも鮮明に思い出せる。両親を一度に失った辛く悲しい記憶と、塞ぎ込む子供を救った王子様の朗らかな笑顔に包まれた優しい思い出。アレンが騎士を目指したのはただ彼の傍にいたいだけだった。
 アレンと同じく彼を信奉する目の前の男に、アレンはどう映るだろうか。身の程知らずと嗤われる覚悟をしていたアレンの昔話が終わる。メルヴィンは顔を伏せ、肩を震わせていた。
「……い」
 震える声は上手く聞き取れない。黙ったままメルヴィンを見つめていると、その顔は勢い良く上げられる。
 泣いていた。
「尊いっ……! ああっ、やはりクラレンス殿下は素晴らしい……うっ、うっうっ……」
 感涙に咽びなく年上の男性、それも憎むべき恋敵に、アレンは何と声を掛けていいものかわからなかった。逡巡してハンカチを取り出し、差し出すとメルヴィンは礼を言って好意を受け取る。
 貴族様には肌触りの悪いだろう木綿の布切れで涙を拭き、洗って返すよ、と微笑まれる。恋敵でなければ友人になれたかもしれない。
「……私はクラレンス殿下を譲るつもりはないが、きみを否定もしない。審美眼の確かな好青年だとすら思っているよ」
 まず、クラレンスを敬愛する時点でメルヴィンの好感度は上がる。それ程彼の目は盲いている。けれどクラレンスに情愛を見せれば好感は憎しみに変わる。
「ローザ姫の選ばれた婚約者候補は、年若いだけの……そう、クラレンス殿下の名前か体目当てだと思っていた」
「そんなこと!!」
 メルヴィンの言葉に、普段なら理知的なアレンが瞬時に憤る。クラレンスへの想いを貶されることだけは許せなかった。
「ああ。ありえなかったね。クラレンス殿下を語るきみの目は……」
 言葉を切る。間を持ち、紅茶を啜って冷静を取り戻したメルヴィンはアレンを見た。
「私と同じだ」
 冷徹に。感情を捨て切れず、憎悪を吐いた。
「私もクラレンス殿下を見つめ続けてきたよ。きみより長く、深く、傍らで……」
 両親は健在で、生活に困ったことのないメルヴィンではわからないクラレンスをアレンが知っているように、アレンにはわからないクラレンスをメルヴィンは知っている。少年期のクラレンスと間近で過ごした思い出、青年となり慈善活動に邁進するクラレンスを支えた日々を語られると、アレンの胸にはクラレンスの人柄を称賛する気持ちと目の前のうるさい男への苛立ちが募る。
 けれどそれは先程までメルヴィンが抱いていたものと同じなのだ。そう気付くと、自分達は立場は違えど同じなのだと思い至る。
「……ああ」
「ん。すまない。一人で語りすぎたね」
「いえ、違います。わかったんです……僕も貴方を審美眼の確かな、尊敬すべき男性だと思いました」
 結局の所、大切なことはたった一つ。クラレンスに誠実であることだ。簡単に思えて難しい。
 女神のような姫君から与えられた幸運を手離すつもりはないけれど、たとえ奪い取られたとしてもこの男なら仕方がないと諦めが――。
「つくわけない」
「何をいっているのかわからない筈だが、なんとなくわかるよ。そうだとも。諦められるわけがない」
 手を伸ばすことが許されなかった存在に、目の前の恋敵さえいなければ――クラレンスに選ばれさえすれば、触れることが許される。選ばれなければクラレンスは天上の人に戻ってしまう。
「……可能性がなければ、いつか諦めもついたかもしれないというのに」
 メルヴィンは諦めていた。クラレンスへ劣情を抱く自分が間違っているのだと。想いを伝えるつもりはなく、ただ彼の助けになれたらそれでいいと自分に言い聞かせて生きてきた。
「その目に映り込めたというのに。選ばれなければまたあの暮らしに戻る? 殿下の傍にいるのに、殿下の意識に残りもしない。あの日々に?」
 メルヴィンの独白は獣の咆哮を思わせた。叫び喚いているわけではなく、むしろ淡々と語っているというのに、嵐のように荒れ狂う感情が伝わってくる。アレンも同じだからだ。
 騎士になれてもクラレンスの傍にいられるわけではない。時折詰所を訪れるクラレンスを見つけて、彼から挨拶の言葉と微笑みを向けられる。それだけを励みに騎士を続けていた。
「諦められるものか」
 声にしたのはメルヴィンだけだが、アレンも胸中で言葉にした。諦められる筈がない。
「痴れ者と謗られても。嗤われても。蔑まれても。私はクラレンス殿下のお傍に侍り、あの目に見つめられていたい」
「……はい」
 静かに頷くアレンを見つめる眼差しに、最早憎悪はなかった。言葉にせずとも互いに通じるものが、絆が生まれてしまった。
「取り乱して……話が長くなって申し訳ない。ここからが今日の本題なんだが」
 穏やかな男の顔を取り戻したメルヴィンに、アレンは耳を傾ける。冷めても尚味わい深い紅茶を啜り、返した答えに後悔はなかった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

大好きな幼馴染は僕の親友が欲しい

月夜の晩に
BL
平凡なオメガ、飛鳥。 ずっと片想いしてきたアルファの幼馴染・慶太は、飛鳥の親友・咲也が好きで・・。 それぞれの片想いの行方は? ◆メルマガ https://tsukiyo-novel.com/2022/02/26/magazine/

可愛くない僕は愛されない…はず

おがこは
BL
Ωらしくない見た目がコンプレックスな自己肯定感低めなΩ。痴漢から助けた女子高生をきっかけにその子の兄(α)に絆され愛されていく話。 押しが強いスパダリα ‪✕‬‪‪ 逃げるツンツンデレΩ ハッピーエンドです! 病んでる受けが好みです。 闇描写大好きです(*´`) ※まだアルファポリスに慣れてないため、同じ話を何回か更新するかもしれません。頑張って慣れていきます!感想もお待ちしております! また、当方最近忙しく、投稿頻度が不安定です。気長に待って頂けると嬉しいです(*^^*)

愛され末っ子

西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。 リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。 (お知らせは本編で行います。) ******** 上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます! 上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、 上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。 上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的 上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン 上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。 てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。 (特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。 琉架の従者 遼(はる)琉架の10歳上 理斗の従者 蘭(らん)理斗の10歳上 その他の従者は後々出します。 虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。 前半、BL要素少なめです。 この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。 できないな、と悟ったらこの文は消します。 ※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。 皆様にとって最高の作品になりますように。 ※作者の近況状況欄は要チェックです! 西条ネア

同室の奴が俺好みだったので喰おうと思ったら逆に俺が喰われた…泣

彩ノ華
BL
高校から寮生活をすることになった主人公(チャラ男)が同室の子(めちゃ美人)を喰べようとしたら逆に喰われた話。 主人公は見た目チャラ男で中身陰キャ童貞。 とにかくはやく童貞卒業したい ゲイではないけどこいつなら余裕で抱ける♡…ってなって手を出そうとします。 美人攻め×偽チャラ男受け *←エロいのにはこれをつけます

転生悪役モブは溺愛されんで良いので死にたくない!

煮卵
BL
ゲーム会社に勤めていた俺はゲームの世界の『婚約破棄』イベントの混乱で殺されてしまうモブに転生した。処刑の原因となる婚約破棄を避けるべく王子に友人として接近。なんか数ヶ月おきに繰り返される「恋人や出会いのためのお祭り」をできる限り第二皇子と過ごし、婚約破棄の原因となる主人公と出会うきっかけを徹底的に排除する。 最近では監視をつけるまでもなくいつも一緒にいたいと言い出すようになった・・・やんごとなき血筋のハンサムな王子様を淑女たちから遠ざけ男の俺とばかり過ごすように仕向けるのはちょっと申し訳ない気もしたが、俺の運命のためだ。仕方あるまい。 俺の死亡フラグは完全に回避された! ・・・と思ったら、婚約の儀の当日、「私には思い人がいるのです」 と言いやがる!一体誰だ!? その日の夜、俺はゲームの告白イベントがある薔薇園に呼び出されて・・・ ラブコメが描きたかったので書きました。

優しい庭師の見る夢は

エウラ
BL
植物好きの青年が不治の病を得て若くして亡くなり、気付けば異世界に転生していた。 かつて管理者が住んでいた森の奥の小さなロッジで15歳くらいの体で目覚めた樹希(いつき)は、前世の知識と森の精霊達の協力で森の木々や花の世話をしながら一人暮らしを満喫していくのだが・・・。 ※主人公総受けではありません。 精霊達は単なる家族・友人・保護者的な位置づけです。お互いがそういう認識です。 基本的にほのぼのした話になると思います。 息抜きです。不定期更新。 ※タグには入れてませんが、女性もいます。 魔法や魔法薬で同性同士でも子供が出来るというふんわり設定。 ※10万字いっても終わらないので、一応、長編に切り替えます。 お付き合い下さいませ。

【完結】出会いは悪夢、甘い蜜

琉海
BL
憧れを追って入学した学園にいたのは運命の番だった。 アルファがオメガをガブガブしてます。

新訳 美女と野獣 〜獣人と少年の物語〜

若目
BL
いまはすっかり財政難となった商家マルシャン家は父シャルル、長兄ジャンティー、長女アヴァール、次女リュゼの4人家族。 妹たちが経済状況を顧みずに贅沢三昧するなか、一家はジャンティーの頑張りによってなんとか暮らしていた。 ある日、父が商用で出かける際に、何か欲しいものはないかと聞かれて、ジャンティーは一輪の薔薇をねだる。 しかし、帰る途中で父は道に迷ってしまう。 父があてもなく歩いていると、偶然、美しく奇妙な古城に辿り着く。 父はそこで、庭に薔薇の木で作られた生垣を見つけた。 ジャンティーとの約束を思い出した父が薔薇を一輪摘むと、彼の前に怒り狂った様子の野獣が現れ、「親切にしてやったのに、厚かましくも薔薇まで盗むとは」と吠えかかる。 野獣は父に死をもって償うように迫るが、薔薇が土産であったことを知ると、代わりに子どもを差し出すように要求してきて… そこから、ジャンティーの運命が大きく変わり出す。 童話の「美女と野獣」パロのBLです

処理中です...