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02 黄金の鐘の乙女

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 聖女降臨の儀は文字通り、聖女を降臨させる為の儀式である。プレガーレの北上に聳える大聖堂、その最奥にある儀式の間で、国王を筆頭に、プレガーレに住む貴族の中でもプレガーレ六家と呼ばれる有力貴族の当主を招き、教団の長たる導師が聖女へ祈りを捧げる。
 賓客の見守る中、導師が聖文を唱えて終わるだけなのが殆どの儀式だ。けれど巡礼が必要ならば聖女は選ばれるというか、生まれ変わっている聖女の存在を神から告げられる。聖女は魔王の封印へ祈りを捧げる為に、騎士や神官を従え旅立つ。
 儀式の日、祝祭の日がついにやって来ると、プレガーレは騒がしく活気付いていた。


 教団や国の上層部が儀式に参加する中、庶民達は気楽に祝い、喜ぶ。プレガーレ市街の至る所に屋台が並び、普段と違う物珍しさに目を輝かせる子供達に親は小遣いを握らせると「楽しんでおいで」と送り出す。
 両親が生きていた頃、ゼノとベルもそうやって過ごしていた。二人がいなくなってからはゼノが必死に稼いだ僅かな金から祭の小遣いを捻出し、隣人の好意を足してベルに何か買ってやった。それだけで精一杯だった。
 人の気の緩む祭を狙う犯罪者は多い。人混みの中、目を光らせ巡回していると玩具のアクセサリーを売る露店商を見付けた。色の付いたガラス玉が嵌め込まれた指輪やネックレスを、小さな女の子達は目を輝かせて見ている。かつてのベルのように。
 子供向けとあって安価だが、小さなゼノ達が買うには高かった。青い石のついた指輪を買ったら他には何も買えなくなる。フルーツで作られた飴玉一つすら買えないのだ。
 指輪を諦めて二人分のお菓子でも買った方がいい。幼いながらに賢く、聞き分けの良いベルはそうわかっていて、それでも名残惜しげに指輪を見ていたから。
 ポケットを漁ったゼノは余分な金があったと言って、ベルに指輪を買ってやった。元々の予算でお菓子を買う。明日の自分は三食抜きだという悲しい現実を忘れたくて、甘くてサクサクした焼き菓子をベルと一緒に食べた。
「おいしいね」
 嬉しそうに笑うベルの指には青い石が光る。その姿を見てゼノは。
「……」
 感傷に浸っている場合ではないと頭を振り、ゼノは歩き始めた。道行く人々は皆楽しそうに祭を楽しんでいる。何か事件があれば騎士の制服を着たゼノに声を掛けてくるだろうが、何もない。
 祭を楽しむ人々の姿は見ていて微笑ましい筈なのに、素直にそう思えないのは何故か。それ以上の思考を拒むように、ゼノは街を見て回った。


 休憩時間まであと少しという頃になり、街の東側を見回っていたゼノは詰所へ戻ろうとしていた。ユーグには妹離れをしろと言われたが、約束してしまった以上ベルに付き添ってやらないといけないだろう。それにどうせ。
 思考に沈み始めた時だった。何処かから人々のざわめきが伝染してくる。何かを騒ぎ立てている。それを耳にした時、ゼノは固まってしまった。
「聖女が選ばれたらしい!」
 野太い男の声が、自分の知った速報を大声で知らしめる。聞かされた人は事実を口にし始め、それを聞いた人々も他へ伝え歩いていく。
「『黄金の鐘の乙女が祈りを捧げる』と、導師様が神託を賜ったそうだ!」
 次いで明かされた聖女の姿を聞き、ゼノは直感した。金の髪、鐘を意味するベルナデッタ。金髪のベルナデッタなんて女性、世界中探せば他にもいるだろうが、ゼノには妹のことだとわかった。
「だって、ベルは皆に選ばれるんだから。神様にだって選ばれるよ」
 沸き立つ人々の中、一人静かに呟く己を異物に感じながら、ゼノは人をかき分けて路地裏へと入り込んだ。表通りと違い静かな空間は、自分と同じく熱狂に取り残された気がして落ち着いた。
「ねぇ、貴方」
 ぼうっとしていたゼノに、背後から声が掛かる。りんと鈴の鳴るような可愛らしさの、甘い声だった。
 振り向くとやはり彼女がいた。赤い瞳、白銀の髪、美しい顔をした見覚えのある女。先日の夜に見た探し物をしていた彼女に、ゼノはどうしたのかと尋ねた。
「一緒に来てほしいの」
 何処へ、何があったのか。普段のゼノならそう聞き返し、事件の概要を把握し、判断していただろう。だというのにこの時のゼノは軽く頷き、歩き出す彼女の背についていく。
 人で溢れる路を、彼女は難なく進んでいく。まるで彼女の進む先をあけるかのように、人混みに出来る隙間を進んでいく。脳内に描かれたプレガーレの地図を見ると、北へ向かって進んでいる。
「大聖堂に行くのか?」
「そうよ」
 プレガーレの北には王城と、さらに北の山、大聖堂へ進む為の階段がある。この日に行くとしたら大聖堂だろうと思い尋ねると、素直な肯定が返ってくる。
「今日は行けないよ。聖女降臨の儀の為に大聖堂への入場は制限されてる。騎士だって聖騎士か……よっぽど上に気に入られてる人くらいしか入れないよ」
 言って思い浮かんだのはユーグだった。彼はまだ何の地位もない末端の騎士だが、気に掛けてくれる騎士は多い。
「それに、聖女が選ばれたから大聖堂の中は今頃忙しいよ」
「関係ないわ」
 意に介した様子はなく、彼女はただ真っ直ぐに大聖堂へ向かっていく。何をするというのか。
「何がしたいの?」
 ようやく用件を尋ねたゼノへ、彼女は振り向いて答えた。
「探しものが見つかったから、忘れものを取りに行くのよ」


 山肌に造られた長い階段を登って辿り着いた大聖堂。その正門前に立つ門番に、懸念通りゼノと女性は行く手を阻まれていた。
「本日の大聖堂は一般公開されていない。そっちの騎士は知っているだろう」
「明日来なさい」
 門の左右に陣取る騎士は手にした槍を互いに向けて交差させ、斜めに十字を描いた。通れる道理もないので頷いたゼノは、女性へ諦めるよう促そうとした。
「……」
 白銀から覗く真紅の瞳が怪しく煌めく。魔術を発動しているのだとゼノにはわかった。
 止める間もなく女性の瞳に魅入られた門番二人はその場に立ちすくみ、反応がなくなった。虚ろな目はゼノ達を見ているようで何も見えていない。
「……なにを」
「行きましょう。すぐ元に戻るわ」
 女性が振り返る。その瞳から魔力は消え、ゼノが足を動かすのを待っていた。けれど、ゼノは動けなかった。動いてしまったらもう戻れない。今ですら、門番から正気を奪った謎の女の同行者という騎士にあるまじき立ち位置にいる。
 大聖堂へ入ろうとしないゼノに向けて、女性は少し考える素振りを見せた。ゼノに関心を抱かせ、その足を踏み出させる一言を考えたのだ。
「貴方が求めている人に会いたくないの?」
「……え?」
「貴方を求め、そして貴方も求めている。きっと会えば全て思い出すわ」
「……俺を求めている?」
 それはゼノにとって、どんな言葉よりも強い誘惑だった。十六年の長くも短い歳月の中、ゼノという人間を求めてくれた人なんていなかった。
 妹も。幼馴染みも。隣家の人々も。誰もゼノなんて見ていない。ゼノの苦悩を知りもしない。知られたくもない。
「行きましょう。ゼノ。貴方の果たすべき役目を果たし、貴方の会いたい人に会うのよ」
 抽象的な説得だ。詐欺だとか妄言だとか、普段のゼノならそう返して、封鎖された大聖堂に入り込むような禁忌を犯すことはない。
 けれど今はいつもと違っていた。何も知らない、先日姿を見掛けて、本当に一言だけ言葉を交わした程度の相手の筈なのに。ゼノの心は彼女の言葉に強く揺れ動いていた。
「……行くよ……ラウラ」
 ゼノは彼女に名前を教えていない。ゼノも彼女の名前を聞いていない。だというのに彼女はゼノを呼び、ゼノも彼女を呼んでいる。
 奇妙だった。けれどゼノは確かに彼女の名前を知っていた。
「ええ。行きましょう」
 ラウラは美しく微笑み、大聖堂へ足を踏み入れる。ゼノもそれに続き、通い慣れた場所へ入っていった。



「ねぇ、ゼノを見なかった?」
 騎士団の詰所前に、一人の少女が立っていた。長い金髪は陽の光に煌めき、青い瞳を不安気に揺らめかせる。誰もが声を掛けたくなるような美しいベルは、幼馴染みを見付けて尋ねた。
「見てないが。何だ、やっぱりお前と行くのか」
 ベルと並んでも遜色ない美青年、ユーグはそう言って返す。
「そうよ。もう約束の時間は過ぎてるのに……何かあったのかしら」
「……街を見てくる。お前はここを離れるなよ」
 騎士であるゼノ達は街の治安維持が仕事だ。諍いを見掛けたら止め、犯罪に気付いたら捕まえる。何か事件に巻き込まれ、対処に手間取っているのかもしれない。
「お。ユーグ!」
 そう考えたユーグが街を回り始めようとした所で、同僚に声を掛けられた。筋骨隆々としたその男は頭の中まで筋肉で出来ているのではないかという程短絡的だが、根は善良なので嫌いにはなれない。
「……あ。べ、ベルもいたのか」
「……ええ。こんにちは」
 男が近付くにつれ、ユーグの背に隠れ見えなかったベルの姿も目に入ったらしい。途端に頬を赤らめる男に、ユーグはゼノを見掛けなかったか聞いてみた。
「……お。おう。ついさっき見たんだよ。それを誰かに話したくてさぁ」
「どこ? ゼノをどこで見たの?」
「え。あ。お。う、その、あの……」
 食い付くベルに男はどもってしまい、何を言っているのかわからない。わかりやすい男だ。
「どこで見たんだ」
「……街の北へ向かって、女と歩いてたんだよ。あのゼノが」
 ユーグに頬を掴まれ、視界からベルを取り除かれた男はすらりと言葉にした目撃談に、二人は「そんなわけあるか」と声に出し掛けた。奥手で、ベルとユーグや昔からの知人、騎士団以外の人間関係に乏しいゼノが女性と連れ立って歩いているだなんてあるわけないと。
「道案内してるのかも」
「いや、女が先導してるかんじだったぞ」
「何か事件があって女に案内させてるとか」
「急いでる様子じゃなかった」
 浮かんだ可能性を否定される。仕事ではなくゼノが個人的に誰とも知らぬ女に会っているのだと思った二人は、明らかに憤怒し始めていた。頬を掴まれたままの男は同僚の怒り狂う表情に短く悲鳴を上げる。
「私との約束を放り出して……他の女と会うなんて……その女、絶対許さない」
「勝手に女なんか作りやがって……絶対許さん」
 呟きの後に男は解放され、二人は街の北側へ向かって歩いていく。恐ろしい形相に人々は道を開けていった。
 その場にへたりこみ、二人の背中を見送った男の耳に聖女降臨の知らせが聞こえるのはしばし後のことだった。
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