旅鉄からの手紙

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水郡線

川遊び教室に参加~清流を未来へ継げ!~

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息子と真夏の水郡線の車窓に映ったキャンプ場とは別の、久慈川沿い水郡線沿線のあるキャンプ場で、小さい頃は受験勉強の合間も含めて、暇さえあれば魚がたくさん泳いでいた地元の川で魚を手掴みするなどを川遊びが大好きで、大人になるとそれに加えて日本最後の清流と言われている四万十川などの日本全国だけに留まらず、アラスカのユーコン川などをカヌーで下るなど世界各地を旅して来た冒険家でエッセイストの野田知佑先生による、カヌーでの久慈川の一部の川下りや、魚がたくさん泳いでいるスポットでの川遊びの教室が開催される事がある。

ダムや河口堰などの建設で全国各地で川の自然が失われてきた中で、野田先生が小さい頃から味わって来た魚がたくさん泳いでいる川で、魚を捕まえたりする楽しさを子供達に伝えて行こうとする目的だという。

私も愛犬家の彼が初めて飼ったガクという犬について綴られた野田先生の本を読んだが、ガクは必要以上には鎖に繋がれずに伸び伸びとアラスカも含めた大自然の中を駆けまわり成長して来た様子が書かれていた。

全国各地の河川や湖沼を自分達が管理していると勘違いされている国土交通省や田舎の役場などのお役人の方々や、子供達を必要以上に危険から遠ざける気持ちを持つ過保護な大人達の手で作られている川での遊泳禁止などの必要以上な規制により、子供達が川で遊ばなくなる日本人の川離れが進んで行く中で、彼の川遊び教室の内容は子供達が誰にも規制されずに、伸び伸びと魚がたくさん泳いでいる川に飛び込んで泳いだり魚を取ったり、カヌーに乗るなどして遊びながら、川の楽しさと危なさを自ら学んで、判断出来る力を身につけるようになって行くきっかけを与えるようになっている事は容易に想像出来る。

私も6歳の息子と一緒に9月のお彼岸の頃に川遊び教室に参加した。

久慈川の支流のある清流と言えるスポットに連れて行って貰った。そこはハヤ、オイカワ、ウグイのようなたくさんの小魚のみならず鮎のように思える体長10センチ以上の大きめな魚が泳いでいるのも川面越しからだけでも多く見られた。川全体に魚達が点在しているような感じであった。さらに水中メガネをかけて潜って見るとそこは正に「天然の水族館」といえるくらい多くの魚達と一緒に泳いでいるような感覚であった。

魚達のみならず泳いでいるミズカマキリや、かなりの速さで飛ぶオニヤンマなどの昆虫もあちこちで見られた。そこはもう正に里山の自然の楽園であった。

私の地元の千葉県と隣の茨城県を併せて「ちばらぎ」という造語が存在するが、我らの故郷「ちばらぎ」にも私が誇れるような場所がまだ残されていることが嬉しくもあった。野田さんが子供の頃までの昔は魚達と一緒に泳げるくらいの楽園が全国のあちこちに当たり前のようにあったのだろう。子供達は豊かな自然の中で川遊びなどを通じて、自分の身は自分で守る術や魚や昆虫などの生き物を見たり捕まえたりしながら、命の大切さなどを遊びながら学んで行った。

うちの親も

「宿題は必ずやるように!」

言ったり勉強に関してなど厳しい面もあったが、長野県や新潟県あたりの田舎に旅行に連れて行ってくれた時などは、川でも子供同士で自由に遊ばせて貰えたし、私が住んでいたのが自然が少なめなベッドタウンではなく、魚があちこちで泳いでいる川に平気で飛び込めるような自然環境であれば、もっと自然を相手にした遊び方を知っているだけ心が豊かな人間になれたのではと思える。

それでも流される危険の有無の判断くらいは自分で出来るつもりだし、私よりも自然を相手にした遊びを知っている方々の意見にも耳を傾ける事も出来るし、大雨や台風で氾濫している川でジェットコースターのように流されてスリルを味わう遊びや、川の水位があがり流れに勢いが増すと流されないように流れの弱い淀みに逃げる魚が集まるのを利用して、長めの柄の網で魚を捕まえる知恵などの数々の楽しい遊び方や知恵を今からでもどんどん覚えたいものだ。

網や素手で川で魚を捕まえた事のなかった私が彼の川遊び教室に初めて参加した時も釣り竿ではなく野田先生の本に書いてあった魚の捕まえ方をヒントに、岩陰に追い詰めて網でハヤかオイカワのような小魚だけでなくどじょうも捕まえられた。どじょうを捕まえた時は息子のみならず、近くにいらっしゃった野田さんの秘書と言われている女性の方も一緒に喜んでくれた。うちの息子は

「どじょう捕まえた!」

って自分が魚を捕まえたように喜んでくれた。そんな息子もミズカマキリは自分で捕まえていたし、自分で魚を捕まえたり釣ったりする日もそう遠くないと思う。その時も息子達と一緒に魚がたくさん泳いでいる川で魚を夢中になって追いかけたい。

戦時中の木炭などエネルギー確保も含めた軍需産業のための山々の雑木林の乱伐採から始まり、戦後復興政策で木材によく使われるスギやヒノキの植林や、流域の乱開発などにより川沿いの雨水をスギやヒノキよりも多く溜める事が出来る広葉樹などによる森林が破壊されて、ちょっと雨が降るとすぐに川の水が濁るようになり雨が降らないと川の水が少なくなる時が多くなった。さらに国からの補償金や建設費用で自治体や建設業者などの地元の関係者や、河口堰などと共に設計したとても魚が通りそうにもないのに、魚が通るとされる道(魚道)などを見ても

「ダムや河口堰を作っても自然は壊れません」

という学者などダムの建設に賛成する方々の金回りを良くするのと、建設会社への天下り先確保の為に、関西地方の電力供給には欠かせない黒部ダムなどとは違い、必要以上にダムや河口堰の建設や護岸工事が全国各地で行なわれた。

元々魚がたくさん泳いでいる程綺麗であった川の水を堰き止めたダムは、アユのように川を上など川の中を移動する自然の魚の道を遮断するのと、ダムの底に溜まった汚いヘドロを下流に流すのみならず、川の水により自然に流されていた岩石も堰き止めて、下流の水の量を減らし、川を濁らせて汚して行った。

本来なら川は岩石や土砂を自然に流す程の豊富な水量で流れ、上流から流れて来る新しい岩石や土砂で、苔などが生えた古い岩石などは自然に浄化される。それがダムにより新しい岩石や土砂が流れて来なくなると、残された苔などで汚れた古い岩石は、満足に浄化される事なく川の水が濁って汚れて行く。ダムの底の水温が低い部分が表に出てくるだけでも、そこから下流で生きていけなくなる魚もいる。

こうして必要以上に作られたダムや森林破壊や森林の保水力低下により、川の自然サイクルが狂い、魚の数や種類が減少して、酷いところでは魚が住めない川へと環境が悪化する。更に護岸工事により川岸が草木や土砂岩石からコンクリートの壁へと変化するなど、美しい景観や人々が川に入り易い環境も失われたポイントも多過ぎて我々日本人の川離れに拍車をかけた。

両岸がすっかり高いコンクリートの壁に覆われていてしかも下水道のように濁っている近所の川を見る度に

「父親の子供の頃の代のように、自分の息子も含めた子供達がこの川で遊べればいいのに」

とか

「大人たちも済んだ水に泳ぐ魚や亀などの生き物を見るだけでも心が癒されるのに」

と嘆かわしい気持ちにさせられる。
本当に必要なのかどうか疑わしいダムや河口堰など過剰な公共事業一つとってもお金よりも大切な我々の大切な宝が失われてしまうことがよくわかる。

こうして進んでしまった川を取り巻く環境の破壊に危機感や疑問を持たれた方々により魚がたくさんいる川を未来に残そうとする取り組みも近年少しずつではあるが行なわれている話も耳にする。

近年日本で最後の清流と言われている四万十川が流れる高知県や、鵜飼でも有名な長良川のある岐阜県の一部で、川の水を増やしてアユなどの川の漁業を復活させようと、また全国有数の漁港のある宮城県気仙沼など全国あちこちの漁師が、下流にあたる海に魚の餌になるプランクトンの素となるミネラルをより多く流そうと、上流の山々に広葉樹を植える取り組みが始まっている。

徳島県では国にダム建設を中止にさせた村もある。過疎化などでダムに頼らない村づくりも、お金やモノが溢れていて「世の中お金が全て」と言うような雰囲気に流されやすい、今の時代の中では容易ではないと思うが、その中でもユズを特産品にして全国にPRするなど村など

「地方自治体の主役は国ではなくあくまでも我々村民なんだ!」

と頑張っていると聞く。その徳島県を流れる吉野川でも新しい河口堰(可動堰)を作ろうとする動きがあったが、野田先生達も参加した建設反対する方々の運動が実を結び建設されていない。その吉野川では「川ガキ養成講座・川の学校」が野田先生を校長先生とし、小中学生を親元から遠ざけて、川遊びの楽しさを教えるというか、自分から覚えることでにより

「川には魚がたくさん泳いでいるのが当たり前で、魚が棲んで川はおかしい」

ということを、一人でも多くの子供達にわかって貰うことによって、魚がたくさんいる川を未来に残そうとする取り組みも本格的に行なわているという。
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