旅鉄からの手紙

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山陰本線

京都で寄り道~初めての泊まりで一人旅~

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山陰本線は、京都からほぼ北西の方向に進みながら丹波、丹後地方を抜けて、兵庫県北部の但馬地方から鳥取県、島根県、さらに山口県の終点の下関までほぼ日本海に沿って行く。

私は高校3年生になる前の春休みに生まれて初めて泊まりの一人旅をした。その時山陰本線沿線の代表的なスポットの一つである鳥取砂丘を訪れる前日にほぼ1日かけて京都市内を旅した。修学旅行でも行ったことのない、銀閣寺、金閣寺、龍安寺そして嵐山の渡月橋と回った。

清水寺のあたりで京都駅からの市バスを降りて、銀閣寺まで哲学の道を一人気ままに歩いたことから始まり、派手もしくは無駄な色がほとんど使われていない心が落ち着くようないぶし銀の銀閣寺、さらに触るのに恐れ多い程華麗な金に圧倒された金閣寺や、も一目見られて良かったが、あの時特に印象に残ったのが龍安寺の石庭であった。

初めて泊まりの一人旅に出る半年前の高校2年生の時、国語の自習の時に配られた課題のプリントには龍安寺の石庭について書かれていたエッセイが載っていた。

「石庭の突き詰められた無数の砂利が海で頭を出す岩が島で岩に生えている苔が島に生えている草木」

という意味の文がとても印象に残った。全国各地の名所でよく見られる資料館や博物館などで、その土地の立体の鳥瞰図をよく見る私もこの目で石庭を見てみたいと思った。生まれて初めて泊まりで行った一人旅で京都を巡った時には銀閣寺、金閣寺と並んで龍安寺は外せないと思った程である。龍安寺は金閣寺からわりと近く思えた。

実際に行って見てみると大海原にあたる無数の白に近い綺麗な砂利の沿岸にあたる岩の周りは岩の形に沿った曲線で沖にあたる広い部分は直線状に整然と描かれた砂紋に心を打たれた。しかも面白い事に島の草木のような岩の苔も海のような砂利に近い低い部分にしか生えておらず、岩の真ん中の高く突き出た部分は、標高の高い山々に植物が殆ど生えていないのを真似しているように苔が殆ど見当たらない。悪く言えばぼんやりと格好良く言えば無心に近い状態で眺めていてもしばらくは飽きなかった。私もすっかり龍安寺の石庭に惹きつけられていた。

龍安寺を出発してから向かったのは渡月橋などで有名な嵐山であった。龍安寺から嵐山まで直通している路線バスが見当たらなかったので途中から市バスを降りて嵐山方面に歩いて行くことにした。私と同じ方向に歩いているカップルらしき男女2人連れに出会った。その2人連れはイチャイチャしたりベトベトしたりしていなかったので思い切って話しかけたら私と同様に嵐山方面に向かう途中であった。そのうちの一人の女性の方が可愛くて綺麗だったので受験の前に京都を一人旅している話などをした。

「哲学の道、銀閣寺、金閣寺、龍安寺と1日かけて回っている。」

と話したら彼女に

「随分ハードスケジュールだね。」

と言われたのを今でも覚えている。もしカップルだとしたらもう一人の男の人に申し訳ないと思う気持ちよりも彼女と話ができたことによる楽しい気持ちの方が当時は遥かに上回っていた。彼女と楽しく話ができたお陰で嵐山までの時間が随分短く感じた。
嵐山で彼女達が乗った市バスを見送る時に、彼女がバスの最後尾から窓越しに私に思い切り手を振ってくれたことが、とても嬉しくて今でもはっきりと目に焼き付いている。

嵐山に着いた時はもう夕方で参拝客の姿が疎になった様な天龍寺の門の近くで夢中になって遊んでいる子供達の姿が目に留まった。
桂川を流れる渡月橋を渡っていた時にはもうそろそろ日が暮れようとしていた。

「やはり京都は一日だけでは足りない。」

と思えたけど、「龍安寺の石庭」を含めて、当時私がどうしても行きたかったスポットを全部巡れたので本当に良かった。おまけに龍安寺から嵐山に行く途中で可愛くて綺麗で感じのよい女性の方とも旅の途中で話ができたしとても楽しかった。

そもそも何で高校3年生になる前の春休みに旅をしたのかと言うと、生まれて初めて泊まりで一人旅に行く許可を親から貰う前に父には

「もっと大きくなってから行きなさい」

と言われ、さらに母からは

「旅行になんか行かないで家で家族皆と楽しく過ごそうよ」

と言われた。しかしそんな両親の心配以上に、俺は当時の夏休みに九州に行きたかったのに友達の言いなりになって男2人だけで四国一周をしてしまうなど、周りの目を気にし過ぎて

「自己主張ができない」

「自分の意思で行動ができない」

に当てはまってしまう程、不本意な高校生活を送っていたのがとても悔しかった。その不本意さからくるイライラから家ではしばしば親に当たったりもしてしまった。受験生でかつ球技祭や文化祭での劇などで最高の思い出を作るチャンスがありそうな高校3年生になる前に、とにかく気ままな一人旅から得られる開放感により、一度不本意な気持ちから解放されたかったのだ。

古くから人々が多くの山の木々を切り倒してたことにより住み辛くなった奈良の都などに代わって、以後1000年以上も日本の都として在り続けた京都には、年間で訪れる観光客や旅人が約5000万も訪れるという。

心が落ち着き癒されるような日本独自の文化が、日本国内外問わず多くの方々を魅きつけていると思える、龍安寺の石庭や銀閣寺を思い浮かべるだけでも、その数字は決して驚くべきものではないと思う。

その5000万という数字も、我々日本人は自分達の誇りや文化に大いなる自信を持って良い事を示しているのではないか。

彼女とのデートコースにもした、平安時代には貴族の別荘地として栄えるなど、千年以上も京都の避暑地としても存在感を存分に示した嵐山や竹藪でも有名な嵯峨野など、私にとっての京都への旅があの時で終わっていないことも、そのことを示している。
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