日本各名山を旅して

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出羽主峰!「鳥海山」

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最上川も日本海に注ぐ庄内平野は山形県のみならず全国有数の米どころである。江戸時代には主に上方から出羽の国(山形県)も含めた日本海側各地への海運を支えてきた北前船の寄港地でもあった酒田市を中心に発展して来た。

映画「おくりびと」でもその庄内平野から望む鳥海山が美しいシーンもあった。結婚前だけどかみさんを初めて山登りに連れて行ったのが鳥海山であった。当時のかみさんの土日が殆ど休めない仕事の都合で、往復で当時上野から長岡などを経由して、日本海側を秋田や青森などに向かって北上していたブルートレイン(寝台特急あけぼの号)で、山頂付近の山小屋で一泊というなかなかハードなスケジュールであった。

朝5時過ぎにあけぼの号も停車する象潟駅で降りて、そこから路線バスで5合目にあたる象潟の登山口に向かった。登山口からは尾根伝いを歩いた。山頂に向かって左側の谷から沢の流れの音を聴きながらのスタートしばらく尾根伝いに歩いた。県境で秋田県から再び山形県に戻り最初の目標のポイントである火口湖らしく緑に囲まれたほぼ円形に綺麗にみえる鳥海湖が望める御浜小屋に着く頃には、既に森林帯を抜けニッコウキスゲなど丈の低い高山植物が広がっていた。

既に望めている山頂を目指して再び登って行く。途中で外輪山を回りながらと雪渓のコースに分かれるが雪渓のコースを選んだ。この辺りから急登になり当時のかみさんは「キツい」と口に出し始めた。それでもよくついて来てくれた。山頂付近の山小屋に着いた時にかみさんは既にぐったりでその日の山頂到達は諦めた。

振り返ると丁度日本海とその水平線が見えていた。疲れ切ったかみさんはリュックを枕にして山小屋の近くの広間でぐっすりお昼寝。その間私は山頂に向かうルートになっている岩場を見晴らしの良いところまで少し登った。晴れていて遠くに月山も見えた。あの時はいつか登りたいと思うのにとどまり、自分の息子を連れて初めて登頂する山になるなんて全く想像していなかった。

明日山頂に登るのを楽しみにしながら山小屋で日本海と夕陽も眺めた。夕飯はコッヘルなどで簡単にスパゲッティを茹でたりしたが簡単な料理でもかみさんの手がちょっと加わるだけで1人で用意するよりも美味しくなる事に良い意味でびっくりした。

2日目が覚めて山小屋から外に出てみると昨日とはうって変わって霧がかかっていた。昨日月山も含めた出羽三山などを見渡せたからまだ良かったけどもしそれをしていなかったら折角来たのに勿体ないところだった。数々の溶岩か積み重なり遠くから見るとドーム形に見える溶岩ドームを歩いた。とにかく岩と濃い霧の中であるまるでモノクロの世界で山頂に向かった。

「まだかな。まだかな。」

と思っているうちに気がついたら山頂が見えて着いた感じだった。とにかく無事に登頂出来て良かった。

下山する時は鳥海山の外輪山を通るルートを通った。霧がいつまで経っても晴れないししばらく歩きながらイワギキョウ、シャクナゲ、鳥海山特有のチョウカイフスマなどの高山植物の花々を見る事を楽しんだ。下っているうちに霧がかかっていたエリアは抜けたが依然としてどんよりとしていて山頂付近は我々が通って来た霧にあたる雲がかかっていて望めなかった。順調に登山口に目前に迫った。

驚いたのがなんと私の憧れでトンボの王様ともいえるオニヤンマが登山道に花道を作っているように道沿いの草木に並ぶように多く止まっているのではないか。しかも簡単に手で捕まえられた。大きくて緑と眼と黒地に黄色の線が何本かある胴体と透明な大きい羽根でカッコいいオニヤンマに小さい頃憧れていた。それなのになかなか捕まえられなかったもどかしさは何だったのかと思えるくらい。捕まえて手に取った時は本当に嬉しかった。

無事に下山したのを喜んでくれたように山頂付近の霧が晴れ鳥海山を再びの望む事ができた。日が長くしかも帰りのブルートレインが出発する夜まで時間があったので真夏の日本海で水浴びをして山登りでかいた汗を流した。
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