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<1・オメミエ。>
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合格の知らせを貰った時の、家族の喜びっぷりは凄まじいものであった。
それもそうだろう。宋家にとって、娘が帝に仕えることができる女官の地位を得ることは、まさに千載一遇のチャンスと言っても他ならない。先代帝の代に戦で大失態をやらかして都を追われた宋家が、汚名を返上して再び上級貴族の地位を得ることができる絶好の機会なのだから。
「よくやった、映!お前は宋家の誇りであるぞ!」
「ありがとうございます、お父様!立派にお役目を果たしてみせますわ……!」
この北皇国における女官とは。帝とその妃たちが住まう後宮で、妃たちの身の周りの世話と雑事を担当する女性達のことである。基本的には貴族の娘でなければ試験を受けることができず、受けることができたところで高い教養がなければ突破することができない。第一次、第二次、そして面接。三つを突破して初めて、帝とその妃に仕える栄誉を得ることができるのである。
娘が女官になるだけでもその家には箔がつくが、それ以上に狙うべきはなんといっても妃の地位であろう。正室である、第一妃。それ以外にも側室である第二から第十までの妃が同じ後宮で生活していると言われている。その妃の数は、その帝の性格や状況によって多少上下するとも言われているが――女官になって評価を挙げれば直接帝にお目通りできる機会も増え、そして見初められることにもなれば女官から妃の地位を得ることも充分に可能なのだった。
そもそも、帝がどこから妃を連れてくるかといえば、一部の上級貴族の娘とのお見合い以外だと女官の中から選ぶことも少なくない。当代の北皇帝は、とにかく美人に弱いらしいと専ら噂であった。女官の中から、あるいは車で道を通りがかかった折りに歩いていた庶民の娘を見初めて、なんてこともちょくちょくあるらしい。そういう意味で、映は非常に有利な立場でもある。女官になれば帝に逢えるチャンスが増えるのは勿論のこと、映は自らの美貌にひときわ自信があったからだ。
やや茶色がかった長い黒髪、星屑が散るような大きな金の瞳。自分で言うのも何だが、今まで己よりも美しい娘を、十六歳になった映は一度も見たことがなかったのだった。
「当代の北皇帝はなんとも幸せなお方じゃ。映のように美しい娘を女官として迎えられるのだから」
「こら、お父様。そのようなことを言っては帝に失礼ですわ」
「おお、すまんすまん。それだけ私達は映に期待しているということ。どうか帝の心を射止めて、宋の家に繁栄を齎しておくれ」
「ええ、是非とも」
親族一同に見送られ、いつもよりも丁寧に整備した車に乗せられ。映は高揚した心持ちのまま、帝のおわす後宮へと向かったのである。
己は必ず、帝の第一妃の座を射止めることができるはず。
この時の映は、そんな己の未来を疑ってもいなかった。
***
そう、思っていた、のだが。
「おぬしが今期、女官として唯一合格した……宋家の映であるか」
どっしりと大柄な体躯に、立派な黒い髭を持つ現皇帝、北郷。彼は帝の一族特有の青い目で、じっと映を見下ろして告げた。
「なるほど、まさに女官となるに相応しく、美しい娘よな。なかなか聡明そうでもある。宋家は、先代では軍師として帝に仕える身であったが……南方戦線で大敗を喫し、その責任を問われたのであったな」
「は、はい。大変、申し訳ございません」
「良い、もう何十年も前のことである。先代の頃の咎など儂は気にせん。むしろそれゆえに、そなたと家族の気概は並々ならぬものであろう。汚名を払拭できるような仕事ぶりを期待しているぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
有りがたい帝の言葉。自分は期待されている――そう喜ぶことも本来ならできたはずだった。しかし。
映は気が気ではなかった。何故、皇帝に謁見を行うこの席で、ずっと帝の横に引っ付いている女がいるのだろう。その太い腕に絡む、派手な藍色の蝶の着物の女。紫の瞳ということは、ほぼ間違いなく――あれが現在の第一妃である、蓮花なのだろう。
後宮に入った時、全ての女性達は皆名前を新しい物に変える事になる。花の字を与えられるのは、妃にのみ許された特権であった。後宮に住む妃たちが、外に出てきて顔を晒すことなどほぼ皆無に等しい。それでも、第一妃である蓮花に関しては、都の外まで噂が流れるほどの有名人であったのである。
一つは、その性格の悪さ。とにかく歯に衣着せぬ物言いで、彼女に苛め抜かれて心を病んだ女官は数知れず。妃でさえ臥せってしまい、暇を貰う結果となった者もいるとの噂。どうやって取り入ったのか知らないが、その上で北郷には格別寵愛を受けているというのだから、ものすごい色仕掛けが得意なのでは、なんて下劣な話も耳に入るほどであった。
そしてもう一つは、その美貌。美女ぞろいの後宮においても目を引くその美しさ。極めて珍しい長い青髪、白皙の肌、やや気の強そうな紫の眼は驚くほど睫毛が長い。その美しさは、同性異性問わず見ただけで倒れる者がいるほどであると聞き及んでいた。まあ、映は“そんな馬鹿げた話があるか”と心の中で笑い飛ばしてきたわけだが。
今、こうして対峙すればわかる。それらの噂が、けして誇張したものではなかったということに。
己の美に絶対の自信を持っていたはずの映が思わずたじろぐほど、蓮花の美しさは度を越したものであったのだ。同時に、このような場においてさえ皇帝の腕にぴったりとくっついて離れないというその図々しさも含めて。
――な、何よあいつ!人を馬鹿にしたように睨んできて!帝に謁見できるこの場で……なんという、侮辱!
しかも、映の災難はここで終わらなかったのだ。帝はしばし考えた後、ふむ、と露骨に蓮花の着物の尻を撫でながら告げたのである。
「のう、蓮花。この娘はどうか?舞の実技も見事であったし……舞と歌の名手であるお前とも話が合うのではなかろうか」
「……彼女を、私付きの女官になさると?」
「おうとも。儂はこの娘ならば、お前と共にいてもけして見劣りせぬと思うのだが」
見劣りしないってどういうことだ、と映は憤慨する。よりにもよって、一番蹴落としてやりたい正室の担当にされるなんて。確かに、女官の多くは、妃のうちの誰かの御付きとなってその身の周りの世話をすることになる。自分も誰かの所属になるのだろうとは思っていたが。
「……帝がそうお望みならば、私は構いません」
表情一つ変えず、言ってのける蓮花。その瞬間、映の未来は決まってしまったも同然だった。
「ふむ、決まりよな。宋映。おぬしの名前は今日から映子である。この蓮花付きの女官として、立派に務めて参れ」
「ぎょ、御意に……」
前途多難。そんな四文字が、頭の中をすーっと横切っていったのだった。
***
女官たちは全て、子、の字を与えられることになる。大抵が、元の名前をもじった名前になるわけだ。映が映子、になったのもそういう理屈である。これが妃に昇格した場合、子の字が取れて映花、に変わるわけだ。
――ってことは、あの蓮花も、元々は蓮子って名前だったのかしら。なんだか間抜けな響きね。
先輩女官に部屋へと案内されながら、やや八つ当たり気味にそう思う。まだちゃんと会話もしてはいないが、はっきり言って既に映子は蓮花のことが嫌いだった。仲良くなれる気がまったくしない。自分付きの女官となる相手に、笑顔の一つも見せないとはどういうことなのか。まあ、向こうは妃でこっちは女官。しかもあっちは帝に最も寵愛を受ける第一妃である。圧倒的に立場が上なのがどちらであるのかは、映子もよーくわかってはいたけれども。
「……子さん。映子さん」
「!は、はい!すみません!!」
いつの間にか部屋にまで到着していたらしい。はっとして顔を上げると、先輩女官である女性にはっきりと呆れられてしまった。
「新しい環境で緊張しているのはわかるけれど、もう少ししっかりして貰わないと困るわ。特に貴女は、あの蓮花様の御付きになったのだから」
あの、というのにどうしても含みを感じてしまう。ただの第一妃という意味だけではないような。
「私は筆頭女官の康子。これから暫くは、貴女にも私から仕事を割り振っていくことになるわ。帝や蓮花様からのご命令がない限りは、私の指示に従って動くように。……基本はこの部屋で他の女官と共に寝泊まりをすることになるけれど、お仕えするお妃様の性格によっては同じ部屋で寝ることになるからそのつもりで」
「は、はい」
「それと、今日からの仕事の流れだけれど……」
「す、すみません。その前に」
話を遮るのは良くないことくらいわかっている。それでも、映子は尋ねずにはいられなかった。
「あ、あの……蓮花様とは、どのようなお方なのでしょうか」
機会はそう、多くはない。
幸い今この場には、彼女と映子しかいないのだから。
それもそうだろう。宋家にとって、娘が帝に仕えることができる女官の地位を得ることは、まさに千載一遇のチャンスと言っても他ならない。先代帝の代に戦で大失態をやらかして都を追われた宋家が、汚名を返上して再び上級貴族の地位を得ることができる絶好の機会なのだから。
「よくやった、映!お前は宋家の誇りであるぞ!」
「ありがとうございます、お父様!立派にお役目を果たしてみせますわ……!」
この北皇国における女官とは。帝とその妃たちが住まう後宮で、妃たちの身の周りの世話と雑事を担当する女性達のことである。基本的には貴族の娘でなければ試験を受けることができず、受けることができたところで高い教養がなければ突破することができない。第一次、第二次、そして面接。三つを突破して初めて、帝とその妃に仕える栄誉を得ることができるのである。
娘が女官になるだけでもその家には箔がつくが、それ以上に狙うべきはなんといっても妃の地位であろう。正室である、第一妃。それ以外にも側室である第二から第十までの妃が同じ後宮で生活していると言われている。その妃の数は、その帝の性格や状況によって多少上下するとも言われているが――女官になって評価を挙げれば直接帝にお目通りできる機会も増え、そして見初められることにもなれば女官から妃の地位を得ることも充分に可能なのだった。
そもそも、帝がどこから妃を連れてくるかといえば、一部の上級貴族の娘とのお見合い以外だと女官の中から選ぶことも少なくない。当代の北皇帝は、とにかく美人に弱いらしいと専ら噂であった。女官の中から、あるいは車で道を通りがかかった折りに歩いていた庶民の娘を見初めて、なんてこともちょくちょくあるらしい。そういう意味で、映は非常に有利な立場でもある。女官になれば帝に逢えるチャンスが増えるのは勿論のこと、映は自らの美貌にひときわ自信があったからだ。
やや茶色がかった長い黒髪、星屑が散るような大きな金の瞳。自分で言うのも何だが、今まで己よりも美しい娘を、十六歳になった映は一度も見たことがなかったのだった。
「当代の北皇帝はなんとも幸せなお方じゃ。映のように美しい娘を女官として迎えられるのだから」
「こら、お父様。そのようなことを言っては帝に失礼ですわ」
「おお、すまんすまん。それだけ私達は映に期待しているということ。どうか帝の心を射止めて、宋の家に繁栄を齎しておくれ」
「ええ、是非とも」
親族一同に見送られ、いつもよりも丁寧に整備した車に乗せられ。映は高揚した心持ちのまま、帝のおわす後宮へと向かったのである。
己は必ず、帝の第一妃の座を射止めることができるはず。
この時の映は、そんな己の未来を疑ってもいなかった。
***
そう、思っていた、のだが。
「おぬしが今期、女官として唯一合格した……宋家の映であるか」
どっしりと大柄な体躯に、立派な黒い髭を持つ現皇帝、北郷。彼は帝の一族特有の青い目で、じっと映を見下ろして告げた。
「なるほど、まさに女官となるに相応しく、美しい娘よな。なかなか聡明そうでもある。宋家は、先代では軍師として帝に仕える身であったが……南方戦線で大敗を喫し、その責任を問われたのであったな」
「は、はい。大変、申し訳ございません」
「良い、もう何十年も前のことである。先代の頃の咎など儂は気にせん。むしろそれゆえに、そなたと家族の気概は並々ならぬものであろう。汚名を払拭できるような仕事ぶりを期待しているぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
有りがたい帝の言葉。自分は期待されている――そう喜ぶことも本来ならできたはずだった。しかし。
映は気が気ではなかった。何故、皇帝に謁見を行うこの席で、ずっと帝の横に引っ付いている女がいるのだろう。その太い腕に絡む、派手な藍色の蝶の着物の女。紫の瞳ということは、ほぼ間違いなく――あれが現在の第一妃である、蓮花なのだろう。
後宮に入った時、全ての女性達は皆名前を新しい物に変える事になる。花の字を与えられるのは、妃にのみ許された特権であった。後宮に住む妃たちが、外に出てきて顔を晒すことなどほぼ皆無に等しい。それでも、第一妃である蓮花に関しては、都の外まで噂が流れるほどの有名人であったのである。
一つは、その性格の悪さ。とにかく歯に衣着せぬ物言いで、彼女に苛め抜かれて心を病んだ女官は数知れず。妃でさえ臥せってしまい、暇を貰う結果となった者もいるとの噂。どうやって取り入ったのか知らないが、その上で北郷には格別寵愛を受けているというのだから、ものすごい色仕掛けが得意なのでは、なんて下劣な話も耳に入るほどであった。
そしてもう一つは、その美貌。美女ぞろいの後宮においても目を引くその美しさ。極めて珍しい長い青髪、白皙の肌、やや気の強そうな紫の眼は驚くほど睫毛が長い。その美しさは、同性異性問わず見ただけで倒れる者がいるほどであると聞き及んでいた。まあ、映は“そんな馬鹿げた話があるか”と心の中で笑い飛ばしてきたわけだが。
今、こうして対峙すればわかる。それらの噂が、けして誇張したものではなかったということに。
己の美に絶対の自信を持っていたはずの映が思わずたじろぐほど、蓮花の美しさは度を越したものであったのだ。同時に、このような場においてさえ皇帝の腕にぴったりとくっついて離れないというその図々しさも含めて。
――な、何よあいつ!人を馬鹿にしたように睨んできて!帝に謁見できるこの場で……なんという、侮辱!
しかも、映の災難はここで終わらなかったのだ。帝はしばし考えた後、ふむ、と露骨に蓮花の着物の尻を撫でながら告げたのである。
「のう、蓮花。この娘はどうか?舞の実技も見事であったし……舞と歌の名手であるお前とも話が合うのではなかろうか」
「……彼女を、私付きの女官になさると?」
「おうとも。儂はこの娘ならば、お前と共にいてもけして見劣りせぬと思うのだが」
見劣りしないってどういうことだ、と映は憤慨する。よりにもよって、一番蹴落としてやりたい正室の担当にされるなんて。確かに、女官の多くは、妃のうちの誰かの御付きとなってその身の周りの世話をすることになる。自分も誰かの所属になるのだろうとは思っていたが。
「……帝がそうお望みならば、私は構いません」
表情一つ変えず、言ってのける蓮花。その瞬間、映の未来は決まってしまったも同然だった。
「ふむ、決まりよな。宋映。おぬしの名前は今日から映子である。この蓮花付きの女官として、立派に務めて参れ」
「ぎょ、御意に……」
前途多難。そんな四文字が、頭の中をすーっと横切っていったのだった。
***
女官たちは全て、子、の字を与えられることになる。大抵が、元の名前をもじった名前になるわけだ。映が映子、になったのもそういう理屈である。これが妃に昇格した場合、子の字が取れて映花、に変わるわけだ。
――ってことは、あの蓮花も、元々は蓮子って名前だったのかしら。なんだか間抜けな響きね。
先輩女官に部屋へと案内されながら、やや八つ当たり気味にそう思う。まだちゃんと会話もしてはいないが、はっきり言って既に映子は蓮花のことが嫌いだった。仲良くなれる気がまったくしない。自分付きの女官となる相手に、笑顔の一つも見せないとはどういうことなのか。まあ、向こうは妃でこっちは女官。しかもあっちは帝に最も寵愛を受ける第一妃である。圧倒的に立場が上なのがどちらであるのかは、映子もよーくわかってはいたけれども。
「……子さん。映子さん」
「!は、はい!すみません!!」
いつの間にか部屋にまで到着していたらしい。はっとして顔を上げると、先輩女官である女性にはっきりと呆れられてしまった。
「新しい環境で緊張しているのはわかるけれど、もう少ししっかりして貰わないと困るわ。特に貴女は、あの蓮花様の御付きになったのだから」
あの、というのにどうしても含みを感じてしまう。ただの第一妃という意味だけではないような。
「私は筆頭女官の康子。これから暫くは、貴女にも私から仕事を割り振っていくことになるわ。帝や蓮花様からのご命令がない限りは、私の指示に従って動くように。……基本はこの部屋で他の女官と共に寝泊まりをすることになるけれど、お仕えするお妃様の性格によっては同じ部屋で寝ることになるからそのつもりで」
「は、はい」
「それと、今日からの仕事の流れだけれど……」
「す、すみません。その前に」
話を遮るのは良くないことくらいわかっている。それでも、映子は尋ねずにはいられなかった。
「あ、あの……蓮花様とは、どのようなお方なのでしょうか」
機会はそう、多くはない。
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