アオイロデイズ

はじめアキラ

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<第十五話~誰かの為に歌うウタ~>

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 多分、これは産まれて初めての感情だったのだろう。理音が心の底から、自分ではない誰かのために――何かをしたいと、そう願ったのは。
 幼い頃、母に尽くして、母が喜ぶことをしようと全力で頑張った時があった。
 でもそれは、つまるところ自分が愛されたいからで――己を認めて貰うために、必死で母のご機嫌を取ろうとした結果に過ぎない。あの頃の理音は、他の誰かに対してもそうであったと思う。とにかく、誰かの役に立てばきっと自分は認められると信じていたし――こんな訳のわからない力があったところで、否定されずに済むとばかり思っていたから。
 愛される筈だと、そう信じていたのだから。

――でも結局裏切られて、うまくいかなくて、全部ダメになって。

 母はノイローゼになり、父は一家心中を図り――全ての元凶であるはずの、理音ひとりが生き残る結果となってしまって。
 今まで何一つ、頑張ったことが報われたと思ったことはなかった。確かに絵を描くのは好きで、それで食えているというのは夢を追いかける者達からすれば十二分に羨ましいことであるのかもしれないが。理音にとっては、ただ“それだけ”のことだったのである。絵を描いて、それで金が稼げるのはありがたいけれど。それだけで、全てが満たされたと思ったことはなかったのである。どんな絵も、その向こう側のどんな世界も、結局理音の一部でしかない。理音が想像もしない、考えもしない発想は一つも浮かんではこないのだ。世界を広げるたび、仕事を完成させるたび、そしてお金を稼ぐたび――虚しい気持ちが募り続けていたのは、否定しようのないことなのである。
 他人からインプットできるものが何もないクリエーターなど、いつか持っているモノが尽きて空っぽになり、手詰まりになるのは目に見えているのである。
 今のまま漫然と絵を描き続けていても、いつかダメになる日が来ることは理音にもわかっていたことだった。そして、他に出来るスキルなど何もない自分は、その日が来た時点で生きていくことができなくなるのだろうということも。
 今のご時世、特に日本では――どんな仕事であっても、コミュニケーション能力が最も求められると言っても過言ではない。
 人の眼を見て話すこともできない男が、一体他のどんな仕事で役に立てるというのだろう。コンピューターや技術の専門的な知識や資格があるというわけでもないというのに。

――でも、そんな俺でも、誰かの役に立てそうな気がしてるんだ。必要としてくれる奴がいて……何か、変われそうな気がしてるんだよ……!

 理音は走る。もうあの異星人の男が追いかけてきていないことはわかっていたが、とにかく遠回りをして家に帰ることを優先させていた。万が一、あの男に自宅が見つかったら終わりだとわかっていたからだ。一番最初にドローンに見つかった時、家と反対方向に逃げて本当に良かったと思っている。不幸中の幸いというやつだ。勿論、予断を許さぬ状況であることに間違いはないけれど。
 あの男の攻撃からひとりで逃げなければならなかった距離は短いものだった。それでもあのよくわからないレーザーのようなもの?銃のようなもの?が掠めたふくらはぎからは血が滲んでいる。光線のように焼き切るというより、本当に純粋に光を圧縮して銃弾と化すタイプの武器であったのだろうか。火傷の痕跡はない。それでも、じんじんと痛むことに変わりはなかったけれど。

――あんな奴が、アオを狙ってるってのか……!くそ、本当に、冗談じゃない……!!

 きっと。アオと本当に出会った直後であったなら、自分も少しは迷ったことだろう。明らかに地球からするとオーバーテクノロジーの技術を持った相手。魔力を辿るだのなんだのとファンタジックなことを言っていたが、要するに人の生命エネルギーのようなものを感知する技術を持っていて、それでアオに関わった理音に辿り着いたということなのだろう。
 地球を消し飛ばせる技術がある、というのもどうやらハッタリではないようだし――どこからどう考えても、理音が対処できるレベルの相手でないことは明白である。厄介事を抱え込んでしまった、一体どうすればいいのだと悩んで――アオをこのまま匿っていていいのかと疑問に思ってしまった可能性は、十分に有り得たことだろう。
 だが。少なくとも今の理音に、アオを引き渡すなどという選択肢はないのである。
 理由はいくつもあるが――その最たるところは二つだろうか。
 一つは、理音にとって、アオと出会うまでの日常になんら未練がなかったということ。
 そしてもう一つは――あのエスメアとかいう少尉の思考が、理音にとっては不愉快極まりないものであったということだろうか。

――一言で言うならあいつは……狂信者だ。自分達の惑星が最強で、自分が仕える女王陛下が絶対だってのを全く疑ってねえ。

 あの男は、理音に対してはさほど警戒心を抱いていなかった。向こうが武器をフル装備していて、訓練を積んだ軍人であるということもそうだろうし、こちらが丸腰の一般人であるというのも大きなところだろう。そもそも、彼は――いや、彼らは、だろうか。地球という惑星そのものを完全に“ナメている”様子だった。無理もないのかもしれない。魔力を感知するだの、神経接続して敵を攻撃する重火器だの。そんなもの、今の日本どころか地球のどこであっても開発できるような代物ではない。そもそも易々と地球にやってきて日本に降り立てている時点で、こちらのセキュリティはザルも同然だ。圧倒的格下を相手に、本気で戦う必要もないと考えているのは十二分に透けて見えたのである。
 だが、反面アオ――奴の言葉が正しいのなら、本名は“ベティ・ロックハート”というらしいが――とにかく彼に対しては異常なまでに警戒しているし、憎しみにも近い感情をも持っている。それはどうやら、彼が現人神と同等に敬愛するファラビアという星の女王陛下が関係しているらしい。アオがその女王陛下の寵愛を振り切って惑星の外にまで逃げ出したことが、彼にとってはあまりにも許しがたいことであったというのだ。

――眼を見たところで、俺が読み取れる思考はほんの一部でしかない。記憶は、その思考の紐とつながっている一部分しか引っ張り出せない。でも……。

 それでも、そのファラビアという惑星がガチガチの階級社会であるらしいこと。エスメアがその女王陛下の狂信者とも言うべき存在であること。アオを女王陛下のため――ファラビアのためになにがなんでも連れ戻さなければならないという固い使命感を抱いていることははっきりと伝わってきたのである。
 それは、アオが女王の伴侶であると同時に、二つの宝物を持ち逃げしたからだ。その二つの宝は、なんとしてでもファラビアに留めておかなければならず、そうしなければ銀河さえも滅ぼしかねない重要な存在である、ということらしい。そのうちの片方は、宇宙全てを破壊しかねない究極の兵器“クライシス・コード”の設計図。もう一つは――残念ながら、詳細を読み解くことはできなかったが。

――俺には、アオが何故危険を冒して地球まで逃げてきたのかはわからない。寵愛されているという女王陛下に対してなにが不満であったのかも、そもそも銀河を征服しようとした大罪人というのもわけわからねえことだらけだ。あの男は嘘をついてないみたいだったが、だからといってあいつが言ったことがそのまま真実だとは俺には思えねえ。

 理音が、エスメアから何がなんでも逃げて、ついでに追跡用のドローンを命懸けで破壊しにかかった理由は。エスメアが、言葉では脅迫しつつも、実際は理音にも地球にも危害を加えたくないと考えていたのがわかっていたから。女王陛下に厳命されている以上、あの男の正確ならばその命令は頑なに守りぬくことだろう。理音に怪我をさせるのはやむなしと考えていたようなのでそこは賭けであったが、大騒ぎにしたくない彼が人通りの多い大通りまで逃げれば対処に困るだろうことは、思考を読み取れば十分にわかったことだったのである。
 しかし、理由はそれ以上にだ。エスメアの、アオに対しての認識が不愉快でならなかったのである。あの男は丁寧で紳士的に見えて――その実、アオのことなど一ミリも気にかけてはいない。必要なのは“女王陛下が欲しがっているアオの身柄と持ち物”であって、アオ本人の意思を尊重する気など微塵もないのは明白だったのである。彼は、アオを憎い存在であると同時に――ファラビアのために必要な供物、あるいは道具としか思っていない。あんな大罪人など、さっさと使い潰して殺してしまえばいいものを、とさえ思っている。
 ならばどうしてそんな相手に、アオを引き渡すような真似ができるだろうか。

――とりあえず追跡用のドローンとやらは多分壊れたから、すぐに追っかけてくるってことはないだろうが。それでも、このままだったらまた見つかるのは時間の問題だ。あの郵便局の近くだって普通に通る道だしな。なんとか撹乱する方法はないもんか?アオの記憶が戻るまで時間稼ぎできれば、新しい対処法も見つかるかもしれねぇけど……。

 へとへとに疲れてどうにか自宅まで戻ってきたのは、ドローンに追いかけられ始めてから一時間近く経過してからのことだった。万が一を思って家に連絡を入れることもできず、きっとアオには心配をかけてしまったことだろう。彼のことだから、それでも不用意に外に出るような真似はしないだろうが、申し訳ないことをしてしまったことに変わりはない。
 傷の手当やら、汗びっしょりでシャワーを浴びたいやら、そういうものは全部後回しである。とにかく早く顔を出して、アオを安心させてやらなければ。

「ただいま、アオ!ごめん、遅くなっちまった!!」

 理音は玄関に飛び込むやいなや、家の奥の方に向かって叫ぶ。用心のため、今後はきちんと毎回鍵をかけておくようにしなければ――そう思って振り返り、チェーンも含めた鍵をしっかりかけながら、理音は。
 家の中から、物音が殆どしない事に気づかされた。

「……アオ?」

 胸騒ぎがする。今の時間に、彼が眠っているということは殆どないはずである。そもそも毎朝理音より早く起きて、理音より後に寝るという甲斐甲斐しいことを当然のように続けていたアオだ。理音が帰る前に寝てしまうのは少々考えにくいことである。
 嫌な予感に、靴を慌てて脱ぎ捨てる理音。こういう時、広すぎる家が恨めしい。

「おい、アオ?どうした、帰ったぞ?まさかいないのか?」

 もしや、あのエスメアの仲間が、自宅までたどり着いてアオを連れ去った後なのではないか――最悪の想像は、幸いにして風呂場から聞こえた微かな物音に否定されることになった。
 洗面所では、綺麗に畳まれた理音の子供の頃の服が、脱衣カゴに入っている。しかし、風呂場のドアは開け放たれたまま。何かがおかしい。

「……アオ!?」

 そして、理音は見つけるのである。
 風呂場の床に飛び散った、鏡の破片と――その破片で切ったのであろう血だらけの手を握り締め、ガタガタと全裸で震えて座り込んでいる、アオの姿を。
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